滅びの魔女-2

「もしも魔女が、たったひとりで国を滅ぼせるような力を持つのなら、どれだけ探しても捕まえられるわけがない」


 ノインは恐れもせず、ひと言で王の失政を切り捨てた。


「それに、そんな力を持つ者がいたとして、その者に国を滅ぼす気があれば、この国はとうに滅びているわ。そうでしょう?」

「しかし……、星は誰かがこの国を滅ぼすと予言しています。原因となる何者かは存在するはずです」


 ヴィンセントが言ったとき、道の先に荷車が見えた。驢馬に引かせた荷車が並足でヴィンセントたちとすれ違い、十分に距離が離れてから、ノインが口を開く。


「国が滅ぶとは、どのようなことを指しているのかしら」

「え?」

「誰かの魔法で、この国の街も人々も何もかも、すべてが吹き飛ぶことかしら。それとも、今の動揺につけこんで、隣国あたりが攻め込んでくることかしら」

「神殿は、それを読み解こうとしましたが、星の予兆は明確な事象を示していません」

「では、さまざまな可能性があるということね」


 ノインは何でもないことのように言った。それはつまり、現在の魔女狩りが、まったく無意味である可能性に言い及んでいた。


「存在するかどうかもわからない魔女を探すより、ほかにすべきことがあるように思うわ」

「国も、さまざまに手を尽くしてはいるのです」

「結果として、人々は滅びより、軍や神殿、国王を恐れているのよ」


 ヴィンセントは、その言葉の内容と、ノインの冷静さ、どちらにも、言いようのない無力を感じた。何か、途方もないものを相手にしている感覚がある。


「ノインは、国が滅びてもかまわないと思っているのですか?」


 ふたりは森の入り口に差し掛かっていた。

 木々が鬱蒼と生い茂り、昼間でも薄暗い道が続く。ここ数日は雨が降っておらず、この道を行き来する馬車の轍はまだ残っているが、ひと気はない。


 ノインは臆する様子もなく足を進め、一瞬怯んだヴィンセントが、数歩ぶん置いて行かれる。慌てて追いかけたヴィンセントを肩越しに振り返り、彼女は初めて、ほんのりと微笑んだ。


「もし、国が滅びるというのなら……」


 追いついたヴィンセントは、ノインとともに森に踏み入る。数歩も行けばたちまち周囲は暗くなり、よく見なければ、正しい道から逸れてしまいそうである。

 その中を、ノインは迷わず歩いてゆく。


「その瞬間を、この目で見てみたいとは思うわ」


 思わず息を呑んだヴィンセントを宥めるように、彼女は肩を竦めた。


「『楽園』とまで呼ばれた国が、たった数年で滅びる。どうしてそうなるのか、興味があるのよ」


 彼女が言うと、まるで、国が滅ぶこともさほど特別ではないかのようだ。だが言葉とは裏腹に、彼女の薄灰色の瞳には、先ほどの微笑みを打ち消す憂いが見えた。遠くを見つめるまなざしは、この国のゆくすえとはまた違う何かを見ているようだった。


「この目で見て……わたしは……」


 ふっと周囲が明るくなる。ノインの表情ばかり見つめていたヴィンセントは、何事かと顔を上げて、辺りを白っぽい光がいくつか浮遊しているのに気づいた。そのうちのひとつにノインが手を伸ばし、彼女の指先が触れた瞬間、ひときわ光が強くなる。


「これは、ノインが?」

「そう。暗いところで、便利な魔法でしょう」


 光の玉は、ノインの手もと、足下、少し離れたものは、進む先の地面を照らしている。


「あなたは『魔女』なんですね」

「その言葉が正しく使われているところを、久しぶりに聞いたわ」


 ノインは少し悲しげに眉を下げていた。

 魔女とは本来、魔力を持ち、魔法を操る魔法使いのうち、女性を指す言葉だ。魔女狩りが始まる前まで、暮らしを支える者として、みなに重宝されていた。


 魔力を持つだけでは、魔法使いにはなれない。魔女も神官も、広くは魔法使いの括りだが、魔力を魔法や、星を読む眼に変える訓練を受けて初めて用をなせる。

 本来の『魔女』は、希少な才能と訓練によって、人々に幸福をもたらす存在だった。


「魔女も魔法使いも、この国からほとんどいなくなりました」

「逃げ出して当然よ。いつ魔女狩りの対象になるかわからなくて、危険だもの」


 この国に残る数少ない本当の魔女であるはずのノインは、やはり他人事のようにあっさり言った。


「あなたは、なぜ……?」

「わたしには、果たさなければならない役目があるの」


 道の先を照らしながら、ノインはヴィンセントの半歩前を歩く。ヴィンセントよりよほど旅慣れているらしい彼女の足取りに迷いがなさすぎて、気を抜くとヴィンセントは遅れがちになってしまう。


「役目とは何か、聞いてもいいですか?」


 ノインに追いついて、彼女の横顔を見下ろしたヴィンセントを、ノインがちらりと見遣る。その視線にもの言いたげな雰囲気を感じ取ったが、ヴィンセントには、彼女が何を言いたいのか、見当もつかなかった。

 ノインは前に向き直り、歩きながら答えた。


「記録すること」

「記録?」

「そう。この国のゆくすえを、わたしが記し残すの」


 それは、少女ひとりが背負うには、あまりに重い役目に思えた。

 ヴィンセントは、言葉を失って立ち止まりかけた。ノインが変わらぬ歩みで進むから、はっとしてまた彼女に追いつく。


「あなたひとりで……?」

「ひとりじゃないわ」


 ノインは、ほのかな笑みを浮かべて、彼女の胸のあたりを手のひらでそっとおさえた。その手の下に、彼女にとって大切な何かがあるのだと、ひと目でわかる丁寧な仕草だった。


 そのさまに、これ以上は深く踏み入りすぎる気がして、ヴィンセントは問いを重ねられなかった。彼女の心の大切なところを暴いてよいと思えるほど、彼女と親しくはない。

 親しくなるべきなのかもわからない。


 ノインを見つめていて、また目が合ったらすべて見透かされそうで、ヴィンセントは顔を前に向けた。進むべき道を、ノインの光が淡く照らしている。


 星は、何者かによって国が滅ぶと示しつつ、詳細を告げていない。


 ヴィンセントはつい空を見上げようとし、木々の枝葉に遮られて、視線を戻した。今の視線の動きを、ノインに気づかれていなければいいと思う。

 この道を進めば、迷うことなく森を出られるのだろう。ノインの迷いのなさに、そう思わされる。


 だが、自分の進むべき道は。


 ヴィンセントは己のなかで、答えの出ない問いを転がしては、ため息を押し殺した。


 滅びの魔女。

 国でそう呼ばれる少女の、本当の容姿を、ヴィンセントだけが知っている。

 星の光のような淡い金髪に、薄灰色の瞳。

 それらは、炎の光を受けると、濃い金に輝く。


 神殿を出て数年、やっと本物を見つけた。けれど、神殿を出るときに心に決めたことを、今、果たして正しいと言えるのか、わからなくなっている。


 この国を導いてきた無数の星の光たち。

 ノインの髪の色をそれらに重ねて、ヴィンセントは祈るような気持ちを抱いた。


 星が道を示すというなら、どうか教えてほしい。

 彼女を、殺すべきなのか。

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