滅びの魔女-3
「……ヴィンセント?」
ふと、周囲がぼうと明るくなった。ヴィンセントの顔の近くに光の玉を浮かべて、ノインがヴィンセントをうかがっている。
ヴィンセントは、つい顔をそむけてしまった。
自分の顔が隠しようもなく照らされ、彼女に試されているように感じたのだ。
「すみません、少し、眩しくて」
「いいえ、悪かったわ」
ノインが光の玉を離す。光を遠ざられて安堵する自分が、罪を隠した悪人であるような気にさせられる。
あらゆる手を尽くしても消えない滅びの予兆に、国王や、神官たち、国民も、『滅びの魔女』こそが国を滅ぼすものだとすっかり思いこんでいる。
その思いこみが正しいかどうかは、魔女を殺して、星を見上げてみなければわからない。
「顔色が悪いわ。少し休みましょう」
暗い森の中だというのに、恐れて先を急ぐより、ヴィンセントを気遣ってくれる。
ノインが国を滅ぼすようには、とても思えなかった。
けれどヴィンセントは、まだ彼女をよく知らない。
結論を出すには早すぎる。たとえ、この国に残された時間が、刻一刻と減り続けているのだとしても、ヴィンセントは今すぐ目の前の少女を手にかけることはできないと思った。もう少しの猶予を祈るしかない。
「あなた、街に着いたばかりで、休む暇もなくわたしを助けてくれたものね」
ヴィンセントの不調の理由を問いただしたりせず、ノインは彼女の水筒を差し出してくれた。貴重な水を惜しむそぶりさえないのだ。
「ありがとうございます。でも、まだ自分のものが残っていますから」
ヴィンセントは自分の水筒を取り出し、軽く唇を湿らせた。水は残り少ないが、次の宿までは持つだろう。
水筒を揺らして残量の感触を確かめ、そう思ったヴィンセントの前で、ノインは周囲に浮かべていた光の玉のいくつかを、森の木立のほうへ向かわせた。
「ノイン?」
「あっちに湧き水があるの。念のため、汲んでいきましょう」
ノインは踏み慣らされていない下草をかきわけ、道を外れた。
「待ってください、うかつに進むと、道を見失ってしまいます」
「大丈夫」
木々のあいだで立ち止まり、ノインはヴィンセントを振り返って、安心させるように微笑んだ。彼女を見て、吸い寄せられるようにヴィンセントは二歩、三歩と、ノインのもとへ足を進めてしまう。
「一度憶えたものは、忘れないの。わたし」
ヴィンセントが追いつくのを待って、ノインは再び歩き始める。
湧き水があると言うが、ヴィンセントには水の音も聞こえていない。
「ノインは以前も、この森に来たことがあるのですか?」
「わたしじゃないわ。別の人。わたしはその人の記録を読んだの」
記録を読んだくらいで、森の中の半端な位置から、水の湧く場所まで、たどり着けるものだろうか。
ヴィンセントの心配をよそに、ノインが進んだ先で、水は確かに湧いていた。湧き水は、人の通る道の方向と反対へ向かって流れ出しており、たどれば川になるようだ。
普通に森の中を通っても、この湧き水にはたどり着かないし、見つけることさえないだろう。
「ノインの読んだ記録を書いた人は、なぜこのような場所にまで……」
「人の通り道ができる前だったのよ。この森が、まだ人の行き来に使われていなかったころ」
ヴィンセントは、いつから人がこの森を通るようになったのか知らない。だが、自分たちが歩いていた道の、踏みならされた様子を見れば、昨日今日でないことはわかる。
ノインの言う人の通り道ができる前とは、いったいいつの話なのか。
疑問に気を取られてぼうっとしているヴィンセントの前で、ノインは残っていた水を捨て、新しい水で彼女の水筒を満たしていた。水を汲み終えた彼女がヴィンセントを見るので、ヴィンセントも彼女に倣って、水筒の水を入れ替える。
涼やかな水のにおいに惹かれてひと口、水を含むと、その冷たさが体を清らかにしてゆくように感じられた。
秋口の今は、日の長さも、暑さ寒さもさほど問題にならない、旅をするにはほどよい時期だ。だが、あとひと月もすれば、冬の厳しさがにじり寄ってくる。
今年の冬は、おそらく去年よりも厳しい。
天候を和らげる魔法を使う宮廷魔術師たちが、ほとんど他国へ亡命したからだ。
国はこのことを隠している。明かして国民が恐慌状態に陥るのを避けるためとはいっても、不十分な冬支度で、どれほどの人々が犠牲になるだろう。
人々は数年前までの平穏に慣れきっていて、非常時への心構えもない。
「ヴィンセント、やはりどこか、体調が悪いの?」
顔色の優れないヴィンセントを、ノインが心配そうにうかがってくる。
「いいえ。魔女狩りのことなど、色々と考えてしまうと、どうしても気が塞いで」
ヴィンセントは、どうにか首を横に振った。
事情は明かせずとも、国民に注意をうながすべきだ。
ヴィンセントの主張は、検討の余地もなく撥ねつけられた。
国王はヴィンセントをどうしようもない無能の愚か者と思っている。だから宮廷から遠ざけられ、神殿に入れられたのだと、前王の正妃であった母親の言を信じたままだ。
今の自分では、当たらずとも遠からずだと、ヴィンセントは思う。
状況を打開する一手がほしい。『滅びの魔女』は、その手になりうると思っていた。
それが、ここに来て揺らいでいる。
「ほんの少し前まで、この国は『楽園』だったはずなのです。それなのにいまや、人々はノインのような少女を生贄にすることを躊躇わない。そんな国では、なかったのに……」
醜悪な人間のさがを目の当たりにして、ヴィンセントは、『魔女』ひとりを討っても、人々の心が変わるわけではないと感じている。この国はきっと、二度と元通りにはならない。
「もともと、人間ってきっとそんなものよ。みんな、生きるのに必死なのよ」
ノインからは、先ほど彼女を引き留めようとした人々への嫌悪を感じられなかった。ノインを犠牲にしようとしたのも当たり前のように言い、平然としている。
「すでに、犠牲は多く出ています。今の滅びの予兆を回避できても、犠牲は無かったことにはなりません」
「家族や友人を失った人々は、国を恨むでしょうね」
「この国は、どうなってしまうのでしょうか。いったいどうしたらいいというのでしょう……」
「そうね」
ノインは短くうなずいた。その平静な横顔に、ヴィンセントは気を取られる。
ヴィンセントのことは気遣ってくれるのに、この国のこととなると、ノインは少しも動じない。まるで、この国がどうなってもかまわないというような態度だ。
彼女が『滅びの魔女』だからなのか。国が滅びることを何とも思わないで、だから滅ぼすというのだろうか。
一方で、その姿勢は、彼女を害そうとした者を許すものでもある。
「でも、いくら考えても、人ひとりやふたりでたやすく国を救えるわけがないわ」
ノインはまた、彼女の胸元を手のひらでおさえた。服の上からではわからないが、そこに何かがあるようだ。
「滅びるときは、滅びる。だからこそわたしは、この国があったこと、そして滅びたことを、記録するの。わたしがこの目で見た物事を……」
ヴィンセントに言い聞かせるというよりも、ノインは祈りのようにつぶやいた。それから視線を上げ、ヴィンセントの瞳を、その薄灰色の双眸でとらえる。
「あなたは、あなたにできることをやるしかないと思うの。さっきわたしにしてくれたように、誰かを助けるなり、身を守るために逃げ出すなりをね」
「言うほど簡単ではありませんよ」
ヴィンセントは、手のひらに食い込んだ爪の痛みで、自分が手を握りしめてしまったのを知った。それを解いたのは、無力感が脱力させたからだ。
けれど、ノインはヴィンセントに微笑みかけた。
「そうね。その難しいことを、あなたはわたしにしてくれたのよ」
はっとして、それから、わずかだが救われた気がした。
この国を滅ぼすかもしれない少女に覚える感情としては、間違っている。それでもやはりヴィンセントは、彼女を星のようだと思った。
この国を導く光。
彼女が導く先にあるのは、果たして本当に滅亡だろうか。
滅びの魔女を討つつもりでいたのに、ようやく見つけた彼女を前にして、ヴィンセントは、己が彼女に希望を見出そうとしているのだと気づかざるをえなかった。
彼女には、きっと何かがあると思いたい。それが国を滅ぼすものだとしても、違う使い方をすれば、今のこの国を救えるかもしれない。
ヴィンセントの無力感を、言葉ひとつで打ち消したノイン。
彼女は、これまでヴィンセントが見聞きしてきた何よりも、ヴィンセントの求めるものに近い気がした。
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