第2話

 例えば授業中、学校がテロリストに占拠される妄想をしたり、自分が颯爽とクラスメイトを助ける演出まで考えたりする。ようは非日常を思い描く。痛々しい想像を、自分自身が主役として、世界を創る。


 想像力豊かと言えば、それはプラスに受け取られるかもしれないが、事実に目を向ければそれはやはり単なる都合のいい妄想に過ぎない。


「でもある時を境に気が付くわけだ。こんなことは起きない。現実では有り得ない。学校がテロリストに占拠される確率がゼロとは言い切れない部分もあるけど、それはそれで現実逃避だからな」

「学校がテロリストに占拠って、君はそんなありきたりな妄想で満足していたのか。なんというか、勿体ないな」

「いいだろ、人がどんな妄想で学生時代を送っても。その時は楽しかったんだ。誰か何時かの妄想を、他人に指摘されたくは無いな」

「ああその通りだな。君の言う事はほとんどが正しい。本来、その行為は誰かの意見を求めるものでは無く、自分自身で気が付くものだからな」

「……そう、なんだよ」


 日が沈みかけた放課後。校舎の外では部活動が練習に励んでいて、多種多様な掛け声が室内にまで響く。この空間が静かになれば、それが殊更浮いて聞こえた。

 彼女は笑みを、絶やさない。


「気が付いて、現実を思い知って。そういう世界が存在しないと再認識して。起こり得るはずのない妄想を、投げ出してきた。俺も、実際そうだった。マンガやアニメみたいな世界に憧れは抱くけど、まるで遠くて叶わない。テロリストが跋扈する世界よりも、剣や魔法の世界の方が遥かに有り得ないからな。俺はそういった、有り得ないことから卒業した」

「……なるほど。君がどう感じてどう行動したいのかはよく分かった。つまり君にとってのハーレムという行為は――」


 この独白に何か意味があるのか。もしかすると、彼女が何か妙案でもくれるのかもしれないが、そんなことはとにかくどうだっていい。

 確かに恥ずかしさは覚えるものの、俺の中でその気持ちは今のところ何よりも強い。

 すなわち誰かに聞いてほしい。誰かに話したい。そして、荒唐無稽なその話を、容赦なく叩き伏して踏み潰して否定して欲しい。

 俺はその妄想から、逃げ出すきっかけが欲しかっただけだ。

 そんなこともお見通しと言わんばかりに、彼女は俺を見つめる。透き通ったその眼光は、夕焼けが作り出す陰で黒く輝いていた。


「――現実世界で有り得ることだと、そう認識するわけだ」


 見事に看破された。いっそ清々しい。

 さすがは校内期間試験、一位常連だ。知識と知能に、何の関連性も無いがしかし、この叱翅しかばね あつむという女子生徒に、俺は尊敬の念さえ覚える。看破されたこと、そのものへの恐怖心や警戒心を感じさせないのも、彼女が纏う雰囲気の所為なのかもしれない。

 ちなみに校内で彼女は魔女なんて大層な名が付けられている。名付け親は自分のセンスを誇っていいぞ。


「君が言う通り、ハーレムという行為は確かに成立しやすい。存在しない現象事象を願うよりも、まずは普遍的にいる男女というカテゴライズで考えるという、簡単な話だな。ただし飽く迄もファンタジーやSFと言った観点と比べると、という話に収束してしまうが。そもそもハーレムというのは一人のオスに対して、複数のメスがいる状況だ。大昔の国家ならばいざ知らず、今は各個人の主義主張が尊重される時代。今の日本で君一人が王となることは出来ないだろう」

「……まあ、そんな気はしてたけどな」


 無理だってことも、承知の上だ。俺としては無理だってことを誰かの言葉で言われて、より意識させたかっただけ。初めから本気でハーレムを作りたいと思ってなんかいない。


「悪かったな、こんな相談に乗ってくれて。ありがとう」


 オレンジ色に染まった部屋は、綺麗ではあるが落ち着かない。目的を終えた俺は、早々にこの部屋から立ち去ろうと踵を返した。

 そんな俺に。背後から、楽しそうな声が掛かる。


「悩みは解決したか。まだ否定の言葉は用意していたが」


 裏の意図までしっかりとバレていた。振り返らずに、苦笑して返す。


「相談事を話した時点で俺の悩みはほとんど解決してたよ。脱思春期、脱多感期みたいなところだな。アンタのおかげで残りの学生生活、まっとうなものを送れそうだ」


 引き戸に手を掛ける。彼女と話していると、ここが学校内であることをついつい忘れてしまう。

 俺は最後まで振り返らない。別に大した理由があるわけじゃない。単に、騙すように相談を持ち掛けて、合わす顔が無いだけだ。相談自体は無償で乗ってくれるが、だからこそ申し訳ないという気持ちが込み上げてくる。

 恐らく、彼女に対してのそういった想いは、杞憂に終わるだろうが。そのまま部屋から立ち去ろうとした俺は、再び彼女の声を浴びた。

 彼女は変わらず、調子のいい声音で語る。


「大丈夫。君は見てくれは微妙だが、まあ器量は良さそうだ。なに、すぐにモテるようになる」


 ハーレムも夢じゃないかもしれないぞ、と。嬉々としてそう言って見せた。それを適当に聞き流して、扉を閉める。

 最後。扉の閉まる隙間から聞こえた声は、いつも通りの物だった。


「いつでも待っているぞ、空絵うつろえ 桜真おうま。ありとあらゆる悩みを私、叱翅 纂が解決しよう」

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