第3話
フィクション世界に憧れを抱いたことはあるだろうか。
俺はある。恥ずかしながら、馬鹿みたいに真っ直ぐ、それはもうガラス玉のように綺麗な世界を夢見ていた。
当然、どれほど待ってみても転機は訪れなかった。突然異世界へのワープゲートが開いたり、空から女の子が降ってきたり、誰かに追われている美少女と遭遇することも、まるで無かった。
待つのが駄目なら行動してみようと、そうして色々と果敢に努力してみたけど全ては無駄。魔方陣を描いてみたり、願いを叶えるという胡散臭い猫もどきを見かけようとして歩き回る。
そんな妄想、所詮現実では起こり得ない。フィクション世界なんてただの飾りであり、模型。度重なる検証を通して、フィクションに至れそうなことを繰り返して。実際には何も起こらない。
思えば、見切りをつけたのもその辺りだった。
この現代世界には魔法も奇跡も超能力も驚異的な科学力も存在しない。普通で普遍で平凡で、簡潔で簡略で不変な世界。
そんなものは無いと、自分自身が身を置く現実世界は嫌という程に教えてくれた。
だから諦めた。いや、これは卒業出来たと言った方が正しいのかもしれない。
生物としてこの地に産み落とされた以上、成長することから免れる事が出来ない。フィクションだと気付くこと、それこそが成長するための要因だ。
俺は成長した。人としてか、精神そのものが変化したのか、そこは分からない。実感も無い。意識をしても、果たして自分が本当にフィクション世界を否定し切れるのか怪しいところだ。
ただ卒業は、出来たはずだ。卒業証書なんて立派なものがあるはずもない。純粋に、そう思えただけの話だった。
夜の町を歩く俺は、ぼんやりと空を眺めて思考に耽る。めでたく空虚な妄想の連鎖から卒業出来たわけだが、それで日常に何か変化があるわけでもなく。何をするわけでも無く、静まり返った近隣を徘徊していた。
数時間前、叱翅に俺の妄想を粉砕してもらった。その経緯もあって、真面目に現実を受け止め勉強していたところ、頭が追い付かず行き詰ったという次第だ。
所詮高校二年生。受験もそろそろ見据えていかないといけない時期なわけだが、クラスメイトの大半は、そんな現実から目を背けるように遊んでいる。
故に、それに付随して俺にも危機感なんてものは一切合切無かったのだが、今日授業の復習をしてみて、自分のレベルがいかに低いかを再認識した。
空を見上げるその視界に、月の光が差し込み続けている。空が澄んでいる。散歩に出て良かったとそう思えた。
深夜に散歩をする理由なんて人それぞれだ。こうやって月を眺める人間もいれば、ランニングしている人だっている。
俺の場合は、勉強に行き詰って、息が詰まりそうになったから。散歩で時間を無駄にしていると、自己結論に陥るのも嫌なので、コンビニにコーヒーを買いに行くというオマケ付きだ。坂を下ってまた上るという極めて健康的な行為も、さらに付け加えて良い。
さして大きくも無い道を、車が通り過ぎて行った。赤色のテールランプが遠退き、やがて住宅街の奥へと消えていく。
現実を見せられた心地だ。
こちらとしては非日常感を楽しんでいたのに、すぐさま引き戻された。人が視る夢だって、一晩はその中で過ごせるが、現実とは無情。何気ない一コマで、現実を強く意識させられる。
「……帰ろう」
その呟きに反応する者なんていない。俺は去来する寂しさから身を守るように、コートの前を留めた。
というか早く帰らないとホットコーヒーがアイスコーヒーになってしまう。いっそのこと人肌で温めながら帰った方がまだ温熱効果は保たれるんじゃないか。
手からぶら下がっているビニール袋に視線を落とす。缶コーヒーが入った袋は、ただ振り子のように揺れるだけ。俺は冷気に触れる手をポケットに入れ、足早に家へと向かった。
道中は深夜と言えど明るい。
街灯がずらりと並んでいるのは言うまでもないが、今夜は月も明るく星も瞬いていた。
だからだろう。街灯が一つしかない、いつも薄暗い公園の中に、視線を向けたのは。そこは単なる通過点。公園内に入るわけでもなく、ただ通り過ぎるだけだ。無論、帰りを急ぐ俺としてもそのつもりだった。
しかし、それは叶わない。通常時よりも明るい、見慣れないその光景のせいというのもある。人間というのは環境の変化を、敏感に捉える生き物だ。ちょっとした差異でさえも、違和感と受け取り疑念を抱く。
だとすれば。俺が今見ている光景もまた、違和感だろう。視線の先。公園内には街灯とベンチ、それと滑り台ぐらいしかなく、あとは大した広さも無い広場となっている。
そして、その中心に。人がいた。しかも女性。日を跨ごうという時間帯にも関わらず、それは一人で佇んでいる。
深く気にするものでもないんだろう。人ぐらいいる。住宅地に埋もれるように設けられた公園だ。
世界が俺一人ならば驚くのも頷けるわけだが、そうじゃない。世界は人という人で溢れてしまってる。そういう意味ではやはり、その光景は当たり前で普通なのかもしれなかった。
ならどうして。
こんなにも惹きつけられて、その光景を特別に思えてしまえるのだろうか。急いでいるというのも忘れて、俺はただ彼女を見続けていた。公園に入ることも無く、ただ上を向くその女性から、目を背けることも出来ず。
俺が意識を現実へと戻したのは、彼女が振り返ったからだった。
深夜帯に公園で一人佇む女性というのも、なんともオカルティズム溢れる光景だが、その女性をただ黙って見つめ続けるのも練度の高い異常者と称されるだろう。どっちにしたってオカシイわけで、そしてこの場合俺の世間一般的視点からの立場はとてつもない低階級を取る形になるはずだ。
男に人権は無い、とまでは言わないが、この場合どちらにしても面倒な末来しか見えない。
戦術的撤退。何も疾しいことなどしていないが、国家権力の世話になるのだけは願い下げだ。俺にだって非日常を選ぶ権利ぐらいはある。
などと、うだうだ考えている暇があれば立ち去れば良かったかもしれない。いつのまにか、その女性は手を伸ばせば届きそうなほどの距離にまで近づいていた。
「あなたは……」
鈴の音。例えるのならばそれが一番近い。一音一音が響くように、透明感のある声だ。決して声が小さいわけじゃない。しかし今すぐに消えてしまいそうな儚さが、その音にはあった。
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