第4話

 ただそれとは別に、どうしても身構えてしまう。

 相手が見知らぬ人物で、突然話し掛けられれば誰だって警戒心で全身を武装する。露骨に表には出さないが、いつでも逃げれるように、足に意識を集中しておく。

 不審者という不名誉な称号だけは避けたいところだ。

 やがて、彼女は口を開いた。


「あなたは、私のことが視えるんですか?」


 恐る恐るといった具合に、そう尋ねられる。耳を疑うなんてレベルじゃなくて、理解が追い付かない。今し方この目の前の女性が放った言葉の意味を吟味する。


「え、えーと?」

「ほ、本当に視えてます……!! 会話も、出来てます!!」


 ぱっと、表情が華やいだ。先程までは消え入りそうなまで儚げな様子だったが、そこには年相応な、つまり俺と同じ高校生ぐらいの女性がいた。

 いやしかし。俺までこの雰囲気に呑まれるわけにはいかない。その女性が何者なのか。予想出来る限りに脳内で仮説を立てていく。

 視える視えないという話だったから、透明人間か幽霊の類かもしれない。はたまた自分をそういった存在だと思い込む電波さんだという可能性が、一番濃厚だ。というかそれ以外には有り得ないだろうよ。


「あの、私。この姿になってから、自分のことを視てくれるなんて初めてで……。ええと、私、化野あだしの かすかっていいます。化けるに野原の野、それに幽は幽霊の幽で、化野 幽です」


 そう言って、化野と名乗った女性は手を差し出した。

 握手を求められている、それだけは分かるが、瞬時に手は伸びない。些かステレオ過ぎるというか、あまりにも慣れ慣れし過ぎるんじゃないか。

 俺と彼女とは初対面なはずだ。彼女がどういう人間か、俺にはまるで分からないんだから、この反応も妥当と言えることだろう。


「よ、よろしく……」


 流れに付いていけないのは当然として、それでも遅まきながら、ついその差し出された手に応対するのは日本人としての性か。

 俺は彼女の手を握った。否、握れた。


「さ、触ることも……っ!!」


 柔らかい肌がしっかりと伝わってくる。少しだけ、力が込められことも、その機微でさえ感じられた。

 普通の握手だ。人と人とが交わすコミュニケーションに、差異は無い。

 少しだけ、肩透かしを食らった感は否めない。

 どうしても、期待していたのかもしれない。視れるだの視れないだのと騒いでいた彼女に。

 こうして、触れ合う感触がある時点で、俺の期待値は地の底にまで下った。


 ……ああそうか。

 俺は叱翅にああ言われたけど。心の何処かでやはり認めたくは無かったのかもしれない。

 そういうフィクション世界が存在し得ないことを、どうしても受け入れたくなかったのかもしれないな。

 だから化野という女性と出会って、超常生物という可能性が生まれた瞬間。俺は頭の隅の方で、そうであることを望んだ。幽霊だとかそういうものが、いるという事実が欲しかった。


 だが、今ではその可能性も露と消えた。儚いなんてもんじゃない。そもそもやはり、有り得なかったのだ。

 俺はその現実に落胆しながら、そして意識を目の前の現状へと向けざるを得なかった。ずっと妄想に抱かれているわけにも、いかない。


「……その、そろそろ離してほしいんだけど」

「あ……。ご、ごめんなさい……。つい嬉しくって」


 素早く、けれども名残惜しそうに手を放した。改めて化野を見れば、顔立ちは整っていてしかし印象は薄い。長い黒髪はその儚さを助長させている。

 飛び抜けた美人ではないものの、その薄幸さは彼女の漂わせる雰囲気に似合っていると言えた。自然に溶け込んでいると言ってもいいかもしれない。

 これだけの女性が何故こんな時間、こんなところに、とそう思い掛けたが彼女は電波だ。自分のことを幽霊だか、それに準ずる何かだと思い込んでいる痛々しい人間だ。理由は特に無いのかもしれない。


「あの……、私のこと。どう視えてますか?」

「へ?」

「いやその……、視えてるにしてもきっと本来の自分の姿じゃないのかもしれませんし。それに、鏡に映らなくて……。誰かに教えてもらわないと、分からないんです」


 恥ずかしさを抑えるように、化野は指を絡ませて遊ばせる。よく分からない雰囲気だ。


「どうして俺が言わなくちゃならないんだ?」

「……だって。あなただけなんです。私のことを視認してくれたのは」


 そう言って、彼女は俯いた。微妙に空いた間が、大層長く感じられる。

 困った。自称幽霊に捕まるのはまだいい。だが友好的にされると、どうにもやはり一歩退いてしまう。

 人付き合いは苦手なタイプだ。


「あの、言ってくれるだけで良いんです。確認したいだけですから」


 切実。懇願ともとれるその言葉に、俺は溜め息で返した。

 人と仲良くなるのは苦手だが、頼まれればまた断れないのも俺の本質。これじゃあ俺が悪者みたい、というか些細なことも聞き入れてくれない心が狭い人間になっちまう。

 俺はつらつらと、とにかく彼女の容姿について語った。

 黒髪ロングに綺麗な顔立ち。丈の長い白コートに、黒いタイツが足を覆っていて、衣装にも人並みに人間らしさが見て取れた。

 彼女自身が放つ雰囲気まで述べる俺の声を、ただ化野は相槌を入れながら聞いていた。


 何をやっているんだろうか、俺は。相手は人間で、多分普通の女性だ。それだけなのに、どうしてここまで話してやるんだ。

 放っておけばそれで全てが終わっていたはずなのに。頼まれれば断れないというのは、本当にしても程度がある。二言三言特徴を告げてさようならと、それでも十分に彼女は納得してくれたかもしれないのに。

 俺は何を必死になっているんだ?

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