第11話

 まあつまり、甘酸っぱい青春めいた何かを期待していたわけだ。

 年頃の男女が休日に逢瀬を約束すること自体は、特別視しているわけではないけど。

 しかし何も期待しない人間もいないはずだ。ましてや、化野は控えめに見ても容姿端麗と言える。

 幽霊と言えば美人、という風潮なんかもあるぐらいだ。これに関しては、いかに他の部分で化野が幽霊らしくないと言っても、彼女の唯一幽霊らしい点とも挙げることが可能だろう。


 何を言いたいかと言えば、そんな彼女と出掛けることに、胸を高まらせない男子などいないということ。より簡易的に済ませるならば。

 俺はその予定を尋ねられた次の日、いや正確にはその直後から、軽く意識してしまっていた。彼女が少し不思議な少女であるということ、それも踏まえて、惹かれつつあったのだ。


 人として、女性として。自分と生きる世界の違う存在を、魅力的に思わないはずもない。どうしようもなく、俺は、彼女を気にしていた。

 だから。期待の上昇は留まるところを知らなかったわけで。

 その当日に、当の化野から神社巡りをすると聞かされた時。まるでスカイダイビングのような降下を味わうことになったのが俺だ。上げた気分はどこへ行ったのか分からないほどに、そりゃあもう奈落へと落とされた。

 まあ俺の諸事情なんざ些末事。期待し過ぎていた俺が悪いんだ。思えば話の流れから、この成仏関連の話に行き着くことを理解出来ない方が問題なんだよな。やはりどう考えても俺が悪いらしい。


「やっぱりダメでしたね……。今日だけで、三つぐらい神社を回ったんですけど」

「まさか誰も化野のことが視えないなんてな。正直、期待外れだった」


 帰りの道中。俺と化野はそんな会話を交わしていた。

 夕刻と漆黒の狭間。俗に黄昏時と言われているその時間は、休日ということもあってか人通りも多く、普段通らないような路地に入っても、疎らに通行人がいた。先の会話の後も、一人の男性が防寒具に顔を埋めながら通り過ぎる。

 陽が射さない分、夜はぐっと気温が下がる。俺もコートで顔を隠しながら、化野の隣を歩いていた。


「もう、視えてるフリなんてしなくても良いんですけどね。だって初めに行った神社なんて、何も無いところで祓ってましたよ」

「ああ、笑いを堪えるのに必死だったから憶えてるな」

「それに、きちんと祓ってもらったのに効果無しですし。……これなら大丈夫だと思ったんですけどねー」


 化野は気持ち落ち込んだように項垂れた。横目でその様子を見ながら、俺は今日の行程をざっくりと思い出す。

 今日集まった理由はずばり、化野の成仏が目的だ。そのための案というのが神社巡り。神主に直接会い、事情を話して成仏させてもらおうというのが、今回の趣旨だったんだけども。

 率直な感想として、ここまでとは思ってなかった。


 誰にも視られない。誰にも触れない。誰にも声を掛けられず、誰にも振り向いてもらえない。

 神社の神主とか、そういった神秘的で高位な職だけじゃなくて、今日移動していく中でも、それは痛感させられた。

 千、二千と、数多大勢の人々とすれ違ったわけだけど、しかし人混みを彼女はすり抜けるばかり。それに気が付く人間がどこかにいたのなら、是非挙手をしてその存在を主張して欲しかった。


 暗礁に乗り上げた。化野の目的達成は遅々として進まない。

 どうしてよりにもよって、俺だけに視えるように設定したんだ。何の能力も持っていない、俺だけに。非日常に出会えて、今もそれが続いていることそれ自体は非情にありがたいことだ。ずっと望んできていたことだからな。

 ただそれでも。このままじゃあ、あんまりにも化野が可哀想過ぎるというか、辛く見えてしまう。


 化野は気丈に振る舞っている。

 感情を表には出すが、しかし何かを隠す素振りもない。矛盾があるわけじゃない。単に乗り越えただけなんだから。

 ただその乗り越えるという所業を、彼女一人で成し遂げそして一段落ついているそのことが、余計に儚く映る。


 たった独り。孤独。全世界から消えて尚、その世界に止まり続けている。

 それが幽霊でなくても、同じことなはず。透明人間だろうがなんだろうが、独りぼっちは変わらない。

 彼女の姿が視界に入る。俺から見れば普通の人間だ。少し抜けているところがあって、それからこんな俺に対しても敬語で自信が無い、可憐という言葉がぴったり当てはまる女性。

 視れるし触れる。彼女が幽霊である事実を、時折忘れるほどだ。それほど人間染みているのに。周囲には溶け込み過ぎているほどに、世界から浮いていた。

 彼女は、寂しくはないのだろうか。常人ならば、鬱々としそうなものだけども。

 俺には、彼女の本音とやらはどうにも皆目見当つかなかった。


「どうしたんです? 着きましたよ」

「あ……、悪い。少し考え事をな」


 そうですか、と。回れ右をし、変わらない足取りで彼女はそこに足を踏み入れていく。

 俺と彼女が出会った公園には、その寒さのせいか人波に曝されず、加えて吹き抜ける風がより寂しさを感じさせる。

 冬の夜、その到来は早い。俺たちが駅からここに着くまでに、すっかり陽は沈み紺色の空が天を覆っていた。

 アクセントになる雲は、一つもない。唯一ある全く明るくも無い街灯のおかげか、空に彩る星々はその存在を主張するかのごとく、煌めき瞬く。


 まるで大がかりな舞台だ。坂の途中に設けられたこの公園は、眼下に町の景色を一望、空には天体が広がる。

 下を見ても上を見ても、輝いているこの場所に、化野の姿は映えていた。この舞台上の主役であるかのように、彼女は公園の中心で、独り佇んでいる。俺はただそれを、見つめるだけだった。


「……その、星は好きですか?」


 しばらく静寂が続き、そうは思っても言葉は見つからず。不思議な雰囲気への対処に困っていると、不意に化野から声が掛かった。

 その質問への返答は簡単で、しかし俺は何も答えられなかった。

 なんとなく、それに応えない方が良いんじゃないかと、そう思えただけのことだったけども。とにかく俺は、何も言わなかった。


「私は、好きです。いつからか、分からなかったですけど、ふと見上げてると、ずっとそこにいるんです。いつ見てもどこで見ても、夜には星が光っていて、そこにいて。私はそれが、好きなんです」


 俺からは後ろ姿が視えるだけ。ここからでは、彼女の表情は見えない。上を見上げているのが、辛うじて分かるぐらいだ。

 俺はやはり、それを聞いた上でも。何も言わなかった。何を言うべきか迷っていた、とした方が正しいか。

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