第10話
幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉があるように。そういった存在はかつてより、そのような扱いを受けていた。超常という枠に嵌められ、しかし空想の現象だとして、その歴史を培ってきたわけだ。
妖怪や都市伝説として、姿形は変えつつも、決して本質に変化は無い。誰の目に見えるというモノではなく、見える者にしかその姿を現すことは無いのが、幽霊の幽霊たる所以だろう。
視えないのが普通。視えるのは異常。日常的な景色として、確率から見ても統計を取ってみても、少数に満たないその現実に、しかして俺は直面していた。この俺が、だ。
散々求めていた景色。最早諦めていたそのタイミングで、彼女は姿を現してくれたのだ。
「あの……、また来てくれてありがとうございます」
顔を伏せて、決して視界を合わせようとせずに、化野 幽はそう言った。俺はそれに、適当に返答する。
言葉と一緒に、白い息が漏れた。
叱翅に幽霊がいたと報告したその日の夜。
今度は時計の短針が九の文字を指す時間帯に、昨日と同じ場所へ訪れていた。住宅街の中に在りながらも、人気が一切無い寂れた公園。薄暗い街灯が一つ、ぼんやりと灯るだけ。それが逆に一層暗い雰囲気を作り出していた。
「それで……、来てもらったのは嬉しいんですけど。何ですか? これ……」
「なんかよく分からんけど、取り敢えず関係ありそうなのを片っ端から持ってきた。成仏したいんだろ、あんたは」
化野はベンチに広げられた品々を見やって、尋ねた。
手鏡や包み紙、果ては手書きの魔方陣など、ビニール袋へは様々なモノが雑多に詰め込まれている。
幽霊とか、それに準ずる現象について、てんで俺は無知だからな。成仏に必要な物が何なのか分からないから、効き目の有りそうなのとか持ってきたわけだ。
「これで成仏出来るのか分かんないけどな。色々試そうと思ったんだよ」
言いながら、思い出す。
彼女の死そのもののきっかけを尋ねろと、叱翅にはそう言われたけども、到底俺にはそれも出来ない。
大して親しくもない相手に、根掘り葉掘り聞きだす勇気は、まだ俺には備わっていないし、また今後実装される予定もない。
精々、ネットで軽く調べるぐらいが関の山だ。俺が出来ることなんて、今も昔も、そしてこれからも、小さいことだけなもんでな。直接誰かを救えるなんて、そんな大層なこと出来るはずも無い。
だからこその、この道具らだ。
「こんなので幽霊であるあんたの役に立てるわけがないことぐらい、それは火を見るよりも明らかだ。けど何かあんたのために、出来る事がないかって、そう思えてだな」
「あ……」
偽善。決して今の発言は嘘では無いし、全てが全て本心であるというわけでもない。ただ異常である彼女との接点が欲しかっただけに過ぎない。それだけのために、柄でも無い偽善者っぷりを見せつけたわけなんだからな。
それで、彼女がどう思おうがそれは俺の預かり知るところでは無い。
「あ、ありがとうございます!! 私の為に手間だけじゃ無くて時間さえも割いてくれるなんて……。今すぐ昇天してもいいぐらいです!!」
時折見せる幽霊ボケは天然かそれともツッコミ待ちなのか。ともあれ、化野は化野で、都合良く解釈してくれたようだ。
これでいい。お互いがお互いに、干渉し過ぎず、離れ過ぎず。しかしまるで水と油のように混ぜ合わさらず、絶妙なバランスを保ちながら、人間関係は成り立っている。そしてそれは幽霊に関しても同じことなはず。
俺のこの善意は、非日常へと切り込むその偉大なる一歩になり得るだろう。そう期待はするが、望むだけだ。それ以上のことは、俺にだって分からなかった。
「よし、じゃあ早速やってみるか。まずはこれで確認しよう」
ビニール袋から取り出したるは、装飾も付けられていない手鏡一つ。幽霊の浄化云々よりも前に、昨夜彼女本人が言っていたことを思い出す。
「鏡に映らないって言ってただろ。別に疑って掛かるわけじゃないんだけど、自分の眼で確かめさせてもらおうと思ってな」
言いながら手鏡をかざす。丁度彼女の顔を映す形だ。
「あ、やっぱり映りませんね……」
「映るとも思ってなかったけどな」
その手鏡にはやはりというか意外にもというべきなのか。ただ先にあるベンチを映すだけだった。事実そこにいるのに、現実としてそこにいない。
まるで禅問答だな。中々に謎かけのような言葉遊びを彷彿とさせてくれる。
それに改めて考えてみれば、いや認識し直せば、この今俺が身を置いている状況はやはりどうにも、なんとも不思議だ。俺だけにしか観測出来ないなんて、悪い冗談にしても成り立たない。
「鏡とかに映れば、他の人にも視える可能性があったんだけどな」
「そうですね……。そもそも鏡にだけ映る幽霊っていうのも、思えばおかしな話ですよね」
化野は、ううんと。そう唸りながら、さらに続ける。
「だってですよ、心霊特番とかそういうテレビの番組でやってるじゃないですか。心霊写真とか心霊映像とか。ああいうのもそうですけど、写真でも電子機器でも、肉眼で見えないのにワンクッション挟めば視えるっていう道理も分かりませんよね」
他の幽霊さんは恥ずかしがり屋なだけなんでしょうか、と。胸の前で腕を組み、悩む素振りを見せた化野。
いや、聞かれても困るんだが。
「……幽霊であるあんたが分からないのに、俺がそれに答えられるわけないだろ。そもそも、他に幽霊がいる保障も無いっていうのに」
俺は幽霊の専門家でも、誰の相談事をも受け付ける万能美少女でもないからな。
……さて、話を戻そう。次に取り出すのは包み紙。開けば白い粉末が少量ほと姿を見せる。
化野の首が僅かに傾いだ。
「塩、ですか?」
「そうだ。食塩じゃないぞ。正真正銘、清めの塩だ」
言うには及ばないだろうが、塩には浄化の効果がある。果たして効くのかという疑問は上がるものの、しかし今でもこのような伝統が残っている辺り霊を寄せ付けない方法としては有用なモノなはずだ。
俺は早速、塩を摘んで化野に振り掛けた。消えてしまいそうな白雪が、夜に舞う。
「……」
「えーと。すり抜けちゃいましたね」
失敗。どうやら古来より続く日本の伝統は、彼女には効き目も無いらしい。
割と一番効果的っぽいものが早々に予選敗退を決めて、俺の期待値が高速下降していく。
これが効かなかったら万策尽きたと言っても過言では無いんだが、まあめげずに次だ。
「何でしょうか。ロウソクは分かるんですけど、この図形は何ですか?」
「魔方陣だ。悪魔とか西洋系列の妖精とか、そういうのを呼ぶためものだったり払う為に使われたりするんだけども。万が一、効くかもしれないからな」
「……どうしてそんなもの持ってるんです?」
「中学生ぐらいの男の子はな、こういうのに憧れるものなんだよ」
納得しているような伝わっていないような。そんな不可思議な表情を化野は浮かべる。あまり深く考えないで頂きたい。若気の至りってやつだ。
「それで、これをどうするんでしょうか?」
「俺も詳しく知らないんだけどな。とりあえず魔方陣が描かれた真ん中に、ロウソクを発てるらしい」
俺はビニール袋から一緒に取りだしていたマッチを擦り、火を点けて素早く点火させた。
「それからこの火を見つめてくれ」
「はい」
「そのまま十秒ぐらい集中して……」
ぼんやりと炎が煌めき、薄暗い公園に蛍のような光が揺らめく。
淡い。ひと時の夢と、そのような表現でさえ頭の中に浮かんでくるぐらいには、その光景は儚く美しさを覚えるレベルだった。
容姿を見れば整っている、美少女と言えなくも無い化野と、泡沫のような刹那的景色があいまって、やはり一枚の絵画のようだと、そう評することが出来よう。
と、あまり観賞していても話が微々として進まない。俺は懸命に目先の焔を見つめ続けている化野の傍に立ち、その視線の先に息を吹き掛けた。
オレンジに輝く滴が、瞬きの内にその姿を一筋の煙へと変わる。
「……どうだ?」
「どうって言われましても……、チカチカします」
「そうだよな。そりゃあそうだ。ああ、極めて生きた人間らしい反応をありがとう。……まあ分かってたさ。期待もしてなかったしな」
例え暗順応という現象に幽霊が見舞われなかったとしても、化野にこの方法は効果が薄い気がしていた。海外の霊使いよ。もう少しマシな方法を享受してくれ。
そして、彼女の幽霊らしからぬ反応にはもう慣れた。俺としても、最早当然のようにそのことを受け入れて、次の成仏グッズに手を伸ばす。
「それは、カセットテープですか?」
「ああ、それにラジカセだな。この中にはお経が録音されている」
「……またどうしたんですか? こんなに古いモノを。というよりも、よく持ってましたね」
「買い揃えたんだよ。理由は聞くな」
この文明危機そのものが幽霊的扱いを受けているなんて、そんなツッコミはしないでもらいたい。
今時ラジカセとか、ノスタルジックに浸りたい時ぐらいでしか使われてないんじゃないか。それぐらい目撃例が少ない代物だ。
ただしかし、俺の使用目的はその限りじゃなかったわけだけど。
今回は用法をきちんと守った使い方なはず。霊障による副作用も跳ね返りも心配無用だろう。間違っても、呪われるなんてことは無い……、と信じたい。
「それじゃあ掛けるぞ」
確かな手ごたえと、小気味良いカチリという音が鳴り。
ナムアミダブツ……ナムアミダブツ……、と。
延々と同じことばかり唱える音が、公園内に木霊した。もしたまたま通りがかった人なんかがいれば、ホラーなことこの上ないだろう。実際に幽霊はいるわけだけども。
「どうだ? 何か変ったことは無いか? 例えば、体調が崩れてきたとか、頭がぼうっとしてきたとか、意識が遠退いていく感覚に苛まれているとか。なんでもいい。このお経を聞いて、何か変化はあったか?」
「いえ、残念ですけどそういうのは……。なんか同じことばっかりリピートされて、ナミアムダブツってなんだっけ、とはなってますけど」
「……奇遇だな」
ゲシュタルトの崩壊を招いたところで、霊の成仏は見込めない。これも失敗か。
「次はこれか……」
「あ、これってアレですよね、良い匂いのするスプレー。お母さんとかがよくお父さんのコートとかに振り掛けてました。うん、憶えてます」
「ああ、まあそうなんだけどな。これには除霊の効力が少なからずあるらしい。……とりあえず吹き掛けるか」
手に持ったそれを、彼女の周囲に振り撒く。勢いよく中の液体が霧散し、広がり消えて行った。
「良い匂いしますね」
「やっぱりダメだよな。……分かりきってたけどもだ」
これに関しては期待すらしていない。消臭スプレーに除霊の効果があるなんて、都市伝説でしか耳にしないからな。その信憑性は遥かに低い。
「よし、次だな」
「は、はい」
それからというもの。
俺と化野は様々な除霊方法を試みたが、結果はもうそれはそれは進展の無いものだった。彼女の身体が消えるはずもなく、また光を発して天に召されるわけも無く。こうして冬の寒空の下、第一回化野成仏実践会は、なんの成果もなく平穏無事に幕を下ろした。
「はあ……」
全く、自分の不甲斐なさに溜め息が漏れる。彼女の願いを手伝って、それで俺がこの出会いの物語の主役となるはずなのに、しかし神とやらは俺のことがどうにも好きじゃないらしい。
元から信仰心があったわけじゃないへど、天より見下ろす神々に俺は軽蔑の視線を送ろう。都合の良い覚醒でも内なる力の発現でも何でもいいから、俺に現状を打開するチカラをくれ。
などと、恐れ多い八つ当たりをかましながらも、真面目に次を考え直していると、化野が口を開いた。惑っているような、そして身を縮ませるような、そんな声。
「あの、その。……もう大丈夫です」
「……大丈夫って何がだ?」
「ですから、あの。成仏、手伝って貰わなくても大丈夫です。ええと、その別に迷惑だからとかそういう意味じゃなくて……。どうか私のことなんて、気にしないでください。これ以上時間を取らせてしまうのも、申し訳ないですし。それに……」
そこで言葉が途切れ、一呼吸の後、化野は笑った。
「とても嬉しかったんです。こうして色々してもらっただけじゃなくて、私を認識してくれる人に出会えたこと、たったのそれだけなんですけど。私としては……、もうそれだけで、満足です」
張り付けたような笑顔と、そういう表現をよく耳にするけども。彼女の表情は単純な笑み。嬉しいとか楽しいとか幸せだとか。そういう時に垣間見せる本物の笑顔のように、俺の瞳には映った。
ただし、違う。それは俺に贈られるようなものなんかじゃない。
「あんたが満足だろうが、俺としてはそういうわけにもいかないんだよ。化野本人の問題だろうけどな、俺にとってもこれは大事なきっかけなんだ」
「きっかけ、ですか……。でも……」
苦々しく笑う彼女は、一体何を思ってそう言ったのか。
裏表の無さそうな彼女のこと。恐らく言葉通りなんだろうが……。ならばそれを伝えて、本気で俺が引くと思っているんだろうか。
……分かるはずないよな。なんせこれで会うのは二回目だ。俺だって彼女のことを全て知ってるわけじゃないし、数をこなせば理解出来るモノでもない。
興味。そう、俺が彼女に抱く感情はまさにそれ。いちいち彼女の遠慮を鵜呑みにして、はいそうですかと引き下がれるほど、俺は自分で言うのも何だが、大人に成りきれていない。まだまだ肉体も精神もガキそのものなんだよ。
動機は不純か。
感情は無粋か。
どちらも正しい。間違ってなんかいない。俺は今のこの環境そのものの続きを欲していると言える。渇望していると言い換えても良い。
こんな言い方は失礼だろうけど、幽霊が化野でなくても構わないんだ。だから別に、化野が申し訳ないとか、その種類の感情を抱くのは実に自由なわけだけども、しかしそもそも間違っている。
俺は俺の好奇心で動いているだけ。それ以上もそれ以下も有り得ない。
つまり俺が引く理由は、ただの一つも存在しないってことだ。
「いいか、化野。俺は別に時間に追われる受験生でも人間関係に悩める若者でもない。友人が少ないってのはまあ認めざるを得ないところだけど、それは置いておくとしてだな」
「でもやっぱり、申し訳ないですよ……。私の身勝手に、振り回させているわけなんですから」
「ああいや、だからな。なんと言えば伝わるんだ……」
しっかりとした人間関係を構築してこなかったから、こういう時どうするのが正解なのか、どうにも要領を得ない。
俺はしばらくあれこれと考えて、そうしてやはりこれまでと同様、適当に言葉を見繕った。
「モノ好きなんだよ。あとヒマでな。勉強にも退屈してたところだ。やりたいことも特にない。だからつまり、手伝わせて欲しいんだよ」
「ほ、ホントに……」
「ああ、神に誓ってやってもいい」
「……そう、ですか」
彼女は笑顔を作って、そしてその顔を伏せた。
化野の感情は兎にも角にも分かりやすいの一言に尽きる。
コロコロと、その時の気分が顔に現れ出るのだ。ちなみに今の様子は、曇りのち晴れといったところだろうか。
それまでの不安な表情から一転、再び花火のように笑みが咲いた。
「あ、ありがとうございます!! 私、絶対に成仏してみせます!!」
「幽霊本人が言うと、説得力しか感じないな」
ともあれ、だ。俺が持ってきたグッズは全て無駄だった。成仏させたいと意気込んだ割に策も何もないんじゃ、格好が付かない。かといって、何か作戦があるわけでもない。
どうしたものかと、頭を抱えていると、その悩みの種から小さく手が挙がった。
「その、私に考えがあると言いますか……。これはどうだろうっていうのが、あるんですけど」
「お、なんだ? 何か良い案でも浮かんだのか」
自信無さげに呟かれたその言葉へ、しかし期待を込めて喰い付く。藁にでも縋る想いとはまさにこのこと。小さなことでもなんでも、今は無いよりもマシってもんだ。
「はい、そうなんですけど……」
先程までの元気はどこへやら。化野の表情に陰りが差す。
いつもそうだが、今回はいつにも増して、歯切れが悪い。
まあほとんど初対面と変わらないようなもんだしな。未だ打ち解け切れていないのは事実だ。俺は彼女の恥ずかしそうにしている様子を眺めながら、ただ言葉を待った。
「その……」
やがて意を決したのか。まだ恥らっている化野が、言葉を放った。
それは意外、と。そういうよりも意表を突かれた、その言葉の方がしっくりくる。その微細なレベルでの驚嘆は確かにあった。
彼女は真実、確かにこう口にしたのだ。
「明日って土曜日ですよね。……その、もしお暇なら、お時間結構取らせちゃうんですけど。えーと……付き合って、貰えませんか? その、お昼にでも」
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