第12話

「星だけじゃなくて、星座も……。今の季節だと、冬の大六角形とかですかね? ほら、あそこにありますよ」


 指を掲げ、冬の夜空を指し示す。その先に視線を向ければ、無数に散らばる星の中で、一際強い輝きを放っている星が数個、たしかに見て取れた。

 残念ながら、俺には星座の知識は無い。冬の大三角ぐらいなら憶えているけど、その程度だ。

 上を向いて、ふと思い出す。彼女と初めて出会った時のこと。化野はあの時もこうして。公園の真ん中辺りで上を向いていなかったか。


「星、好きだったんだな。俺が初めてあんたに会った時も、空を見てたのか」

「……はい。その、誰かに見られてたって思うと……、恥ずかしいですね」


 振り返った彼女の表情は、照れたようにはにかんでいた。それを見てやはり、確信した。彼女は人間で、俺たちとなんら変わらないんだ。人らしく、幽霊らしさは微塵も無い。

 それでも彼女は、幽霊と言えるのだろうか。


「星だけが、こうなっちゃった私のたった一つの楽しみで……。暇な時は、よくこうして空を見上げるんですよ」

「そりゃあなんとも……」


 手のモノも持てない。誰それと会話に明け暮れることも出来ない。彼女には星しかなかったと、俺は寂しげに佇んでいた化野を思い出す。

 あの時、俺が彼女に気が付いていなければ。もしくは彼女が俺に気が付かなければ。その擦れ違いが起きていた末来も、あったのかもしれない。

 まあいくら考えたところでキリが無いな。今は今を、生きるしかないわけだ。


「化野……、お前寂しくはないのか。いつからか、分からないけどな、ずっと独りだったわけだろ? どうしてさ、そんなに笑ってられるんだよ」

「寂しい、ですか? そりゃあだって、一人ですから。……なんですけど、もう慣れちゃいましたけどね。……それに、星もあります」


 微笑んで上を指す。そこには今も変わらず恒星が点在していた。

 でも、と。化野は続ける。その表情に影を落として、苦く笑いながら、呟いた。


「今見えている星は、実は消えているかもしれないんですよね。知っていますか? あそこにある星って、全部過去のものなんです」

「ああ、聞いたことぐらいはあるな」


 なんでも一光年離れた星から発せられる光は、丁度一年前のものだとかなんとか。だから、今俺たちを取り囲んでいるこの星々は、全て末来から来たものらしい。

 冬の大六角だって、数年前には滅んでいて、その光だけが未だ地球に来ているだけなのかもしれないわけだ。

 化野は首を上に向け、今一度その空を瞳に入れる。


「……今、星が死んでいるかもしれなくて。その輝きは、星が無くなってもあり続けていて。誰にだって観測されるんです。幽霊である私にも、見えてるんですから」


 私と似てるようで、全然違いますね、と。笑って彼女は言った。

 恒星である星が消えたとしても、その光は地球にはしばらく注がれ続ける。それは当然、人々の眼には映ることだろう。


 ただ化野はどうだ。

 化野本人が死んで、それから自身の存在を主張するような光が放たれているかと言えば、そうでもない。観測者はいない。個が潰えても気が付かれず、静かに存在し続ける。

 光が星の残した残滓なら、今の化野もまた、残留思念のようなものなのかもしれなかった。


 そんなわけないだろ、などと俺には言えない。

 実際にはその通りで、化野は俺を除く全ての人間から観測されないからだ。

 それに、俺がそんな気休めを言ったところで彼女は喜ばない。彼女自身が分かっているから、今更言うまでも無いことを、部外者であるところの俺が口を挟むことも無いだろう。

 なら何を言えば良いのか。掛ける言葉は適当な楽観的なものじゃない。かと言って、何が適切なのかと問われれば、俺は閉口してしまう。しかしけれど、何か言わなければ、俺自身が耐えられなかった。


「俺はフィクションが好きでな」

「……え?」

「別に今更こんなことを言うのも変な話なんだけどさ。幽霊なんかフィクション世界の創作物だ。俺はずっとそう思って生きていた。だから憧れていて、化野、あんたが幽霊だって言った時も、正直心が躍った」

「……そう、だったんですね。だから幽霊か確かめたかったんですか」

「まあ、本当に俺の求めるものなのかどうか、それが一番大事だったからな。そして今、フィクションはどうにも続いちまってるよな」


 一時の夢なら、俺は今こうしてここにいない。夢としては長過ぎるぐらいだ。

 永い永い夢だった、とかそういったオチなら、無い方がマシというものだろう。


「フィクションじゃないことを認めるのは簡単だな。俺がそう思うだけで良い。そんな現実有り得ないと叩き返せばそれで事足りるんだからな。ならフィクションだと信じるためにはどうするか。こっちも簡単だ、馴染めばいい。検証して、確かめて。納得のいくまで話し合って、そうしていれば、何時の間にか人は何だって信じられるもんなんだよ。俺は化野が幽霊だっていうベースを抑えた上で、あんたを人間扱いしてる」

「私は、人間じゃないですよ……」

「いいや、人間だ。しかもかなり普通のな。所々変わってるけど、本質は俺なんかよりもよっぽど、人間だと思うぞ。この三日だけだけど、俺はそう感じたな」


 この数日で、何を知った風な口をと思うかもしれないけどな、それぐらいには分かりやすかったんだ。

 感情もあり、趣味もあり、ただ肉体が無いというだけ。それだけで特別な存在になれるっていうんだから、フィクションというのは甘い。だからこそ俺も、馴染めているんだろうけども。


「つまり何が言いたいかっていうとだ。そこに事実があるという前提が大事なわけでな。星の話にしてもそうだし、そしてあんた自身にしてもそうだ。たとえフィクションだろうがそうでなかろうが、身体が透き通ることは事実だから、俺は認められるんだよ。まあ俺がそういう世界を好きだからっていうのもあるんだけど」


 事実は小説よりも奇なり。

 いかなる仮想であっても、現実に起きていることを、俺は認めざるを得ない。幽霊だって異世界人だってなんだって来いよ。俺が全部認めてやるからさ。


「……面白い人ですね」

「あんたには言われたくないな」

「そうでしょうか。随分変わってると思いますけど」

「いやいや、化野には負けるぞ。なんてったって身体を物がすり抜けるわけだからな」

「変わってますよ。だって、こんな私でも、あなたは認めてくれるんですから」

「初めはただのイタイ人かと思ったけどな」

「……ヒドイ話です」


 何がおかしかったのか、化野は笑った。俺もつられて口角を上げた。

 フィクションが好きだと。俺自身何度もそう言ってきた。言い聞かせて来たと言った方が間違いないのかもしれない。そうすれば、遭遇出来ると思っていたからな。現実として、俺と化野は出会えたわけだ。こうして、笑い合っているのが、何よりの証拠となるに違いない。


「……その」


 化野は成仏がしたいと言っていた。恐らく本当のことだろう。その目的を達することが、当面の俺自身の目標でもあるんだからな。

 だから俺は次の言葉に対しても、返す言葉は決まっていた。


「……もし、予定が開いているのならですけど。明日も、来てくれますか?」


 冬の夜。星々が瞬く雲一つない空。自分たち以外には誰もいないその公園で、俺の声が木霊した。




 その日の夜。一日の疲れをほどほどに削ぎ落とし、いざ惰眠をむさぼろうかというそのタイミングで。

 メールが一件、俺のひと時の邪魔をした。宛名を見れば、叱翅 纂の文字が躍っている。

 俺は不安感に駆られながら、その文面に目を落とした。

 内容は至極シンプル。ただ十数文字が、書き連ねられているだけだった。

『成仏の仕方が分かった、彼女と共に明日の夜、待っている』

 俺の手は無意識に、携帯を握り締めていた。

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