第15話

 雰囲気が、明らかに変わった。それは何も叱翅本人だけが持つ空気だけの話ではなく、根本的に、その空間ががらりと変化している。


「手短に行こう、時間も限られていることだからな」


 そう言って彼女は、床に置いていたそれを拾い上げた。暗くてそれがなんなのか分からなかったけども、しかし一連の所作の後、不気味に光ったそれを見て、その正体を看破した。


「おいおい、冗談だろ……」


 刀。それもサーベルのようなものなんかじゃなく、日本刀だ。

 詳しく知っているわけじゃないけども、しかしそれが日本刀でも西洋剣でも、その根底は問題じゃない。目に見える凶器、それが姿を現したこと自体が、俺の不信感を加速させる。


「な、何を……」


 一歩、化野が下がる。そりゃあそうだろう。いきなり、それに初対面の相手に、恐らく本物であろう刀を見せられれば、誰もが同じ反応を取るはずだ。

 俺だって戸惑っているんだ。動じるなという方が、無理な話だった。形容し難い不安が、俺を襲う。


「おい、説明ぐらいしてから……」


 刹那。俺の声は音に掻き消された。爆音、ではない。研ぎ澄まされた鋭い高音。それが宙を切り裂き、横切っていたのだ。

 俺がその瞬間に捉えた景色は、揺れる叱翅の短髪と。

 そして閃光のような白刃、その一振り。


「……な」


 俺が反応出来たのは、辛うじてその一文字を漏らすことだけだった。

 状況を改めて整理することも、突然の暴挙への反射行動さえも、取ることは出来ない。

 果たして、充分な間を置いてから俺はようやく、視線を動かすことが出来た。目の前には、叱翅の姿。先ほどまで悠長に寄りかかっていた椅子から、一気に間を詰められたのが、それだけで分かる。


 化野は化野で、何が起きたのか分からない様子だった。俺だって思考が追い付いてない。叱翅がなぜ間合いを詰めたのか。そしてどうして手中に収める刀を、俺と化野の間に振り下ろしたのか。

 どれだけ考えても、答えの欠片も浮かんでこない。刀で成仏、と。それだけで考え至る結末は、たった一つであるはずなのに、現状は俺の考え得る惨状にはなっていない。


 ……一体彼女は、何をしたんだ?


「混乱しているか。何故直接叩き切らないのか、疑問に思っているな。君は宙を裂いた訳を知りたがっている」


 嘲るように、彼女は笑った。弄ぶ形で刀を鞘に戻しながら、しかし見据えるのはたった一点。刀を振るった、俺と化野が立つその間だ。


「君と化野、たった今私はその関係を断ち切った」

「は……?」


 彼女が指差す場所は虚空。何もない、人一人入るスペースがあるだけのその場所を、けれど叱翅は意味ありげにそこを指し示さした。


「いや、関係を断ち切ったって。それってどういう……」

「言葉の通りだ。化野は君に依存しているわけじゃないが、別にその関係性というのは、霊に憑りつかれる憑かれないによるものじゃなくてな。君の主役足り得る結び付きを祓ったんだよ」


 この刀はね、と。さらに叱翅は俺と化野を置き去りにして、悠々と語る。


「魔を祓う刀として名が知れていてな。破魔刀というんだが、名前についてはこの際どうだっていい。肝心なのはその効力、それによる結果だ」


 魔を祓う刀。理屈では意味が分かる。漢字の示すままだろう。破魔矢なんていうのもあるぐらいだ。それの刀剣仕様があったところで、何も驚かない。

 しかし彼女の行動は破魔のそれではないように思えた。化野を刺すわけでも切り払うわけでもない。虚空を斬っただけ。何一つ分からない俺たちは、叱翅の説明を待つより他なかった。


「因果、という言葉は知っているか?」

「え? ああ、一応知ってるけどさ。元は仏教用語だっけか。確か前に起こした悪行は必ず跳ね返ってくるっていう意味だった気がするけど」

「まあその認識で間違いは無いよ。こいつの能力はそれに因るものだ」


 俺の答えに満足したのかどうか、叱翅は視線を外し、そのまま座っていた椅子の前まで歩き、着座した。

 乱暴に座ったにもかかわらず、衣服や髪も乱れておらず、座るその姿勢は模範そのもの。完璧な身のこなしと言えるだろう。

 膝の上に刀を乗せて、彼女はさらに話す。


「世の中には因果関係というものが必ず存在する。缶コーヒーを飲むと眠気が消えた気になる、というような原因と結果の連なりを指すモノだ。バタフライエフェクトも、細かく見ていけば因果関係の連なりなんだが。この刀が相手取るのはその類ではなくてな」

「……じゃあなんだ? まさかさっきの行動は俺と化野の因果をぶった切ったとでも言うつもりか? そんなの因果関係でもなんでも……」

「因果は至るところに存在するんだ、空絵桜真」


 俺が蛙だったならまさに蛇に睨まれた状態だっただろう。

 喜怒哀楽そのどれでも無い音調は窘めるようでもあり、しかしそんな生易しいものじゃあなかった。俺の精神をある程度にまで貶めるほどに、不安と不信を与える声音を鳴らした後、叱翅はほんの僅かに声質を和らげた。


「君に霊視の能力があったから化野と出会えた。化野と出会えたから君の周りで幽霊として存在し得ている。これらに因果関係はあるはずだろう。どちらも、君という因果がもたらした結果だからな」


 俺があの公園に行かなければ。

 俺があの公園で化野を見かけなければ。

 俺が化野に声を掛けられなければ。

 仮の世界を、一度だけ考えたことがあった。それが、因果だっていうのか?


「理解は出来たか? さてだったら、この刀についても、理解が及ぶはずだ。先の行動は、君と化野の因果関係を、全て破棄させるためのものだ」


 つまり。

 つまり、どういうことだ?

 因果関係が織り成す事象は単に物事に止まらないことは分かった。それが人間関係に及ぶこともだ。

 なら因果を断ち切るってのはどういうことだ?

 俺と化野の因果全て? じゃあなにか、俺の霊視能力が消えたのか? それとも俺と化野出会いそのものが無かったことになったとかか?

 いや違う、多分そうじゃない。これはもっと単純な話なんだろう。それこそ、コーヒー飲んだら眠れなくなったぐらいに、単細胞レベルの簡単な話なはずだ。

 つまるところ、結論を出すとするならば。


「君と化野は、これをもって一切の関係を解消された」

「……っ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る