第6話
「幽霊と出会ったかもしれない?」
そうだ、と。強く俺は頷いた。
夕焼けが差し込む教室は一周回って最早幻想的とも言え、茜色に染め上げられたその空間に彼女、叱翅 纂はいた。相も変わらずすました顔で、本と机と椅子に囲まれて堂々と座っている。
まるで絵画のようだ、と。場違いな感想を抱いて、俺は先の言葉を訂正して言い直す。
「いや、幽霊と出会ったかもしれない、というよりも。幽霊と出会った、出会っちまったの方が正しいな」
「その言い草だと確実に、絶対的に幽霊だという確証があるということだな。加えて自分から出会いに行ったというよりも、事故的に出会ったと。ただまあ、幽霊というのは出会いたくて出会えるものじゃないからな」
彼女は相変わらず淡々と述べる。
そこには驚きや興味といったおよそ人間らしい感情は存在しない。こいつには感情という機能が存在しないんじゃないかってぐらいに、欠如してる。
大仰に笑ったり、昂るように怒ってみせたり、物憂げに哀しんだり、そんな姿は見せない。神は二物も三物も与える代わりに、感情を奪って行ったに違いない。
「それで。まさか自分の心霊体験談を語りたいが為にここへ来たわけじゃ無いだろう。早速目的を聞きたいところだが」
「なんだよ。日常会話の一つとして、俺の話を聞くつもりもないのか」
「無い。寸秒たりとも無駄にしたくはないな。人生は有限だ。君と無駄話与太話の類をするなら、私は読書を選ぶよ」
「たまに無駄な話もしないか? 昨日だって前フリ云々とかそういう話してただろ」
「依頼に直結するかもしれないだろう。別に私としては単調に依頼者の話を聞き流しても良いんだ。ただそれだと色々と支障を来す。心を開いてくれなかったり、緊張で話して貰えなかったり。人間模様は多種多様なんでな」
「いや、前フリはアンタ楽しんでたろ……」
ともあれ、彼女に何を言っても無駄というのは痛いほど身に染みている。
それに彼女の言うことは正論、もといビジネスライクなものだ。ここは生徒や教師の相談場。夢や理想や現実が、混ざり合えるような環境だ。
黒と白の混沌に、何モノも混ざれないように、関係の無い事情は割り込めない。ここはそういう場所で、同時に叱翅 纂の職場とも言える。あるいは、彼女だからこそ。そういう環境となっているのかもしれないが。
「まあでもアンタの言う通りだな。無駄な会話をしたくないっていうのは状況に寄るけど、意味も無くここへ来るのは、失礼な話か」
「そういうことだ。無駄な話をしにきたってだけなら、悪いがお引き取り願いたいな」
「そんなに物事をすっぱりと言うから、魔女だって言われるんじゃねえの?」
「この性格と魔女という呼称は関係ないと思うが。そもそも現在思い浮かべるような魔女というのは魔女狩りを起源としたもので、それ以前の魔女のイメージと言えば、美しい貴婦人とさえも呼ばれるような存在だったんだ。ならばその呼称も、あながち間違っていないだろう」
自分のことを美人だと言うかコイツは。いや、美人だけども。美しい貴婦人だなんて、お似合い過ぎて寧ろ捻りが無いとも俺は思うが、しかし遥か昔のシャーマニズムに思いを馳せたところで、歴史の改変が起こるはずもない。
いつも通り、と。言葉で語るには簡単だが、実際に相対してみるとやはり疲れる。叱翅のノリは人を置き去りにし過ぎる。もう少し他人を労わることを覚えた方がいいんじゃないか?
「それで、覚悟は決まったか。ここを出て行くか、それとも今から相談事を話すか。それか私の為に窓からでも飛び降りるか。選べ」
「おい最後おかしいだろ。知ってるか、そういうの自殺教唆って言うんだぞ」
「問題無いな。窓から飛び降りたところでここは三階だ。運が悪ければ死ぬだろうが、生きていれば洗脳すればいいだけ。死んだなら処理をすればいいだけのことだろう。私が捕まることなど無い」
「いや別にアンタが捕まる心配してないからな。アンタなら本当にやりかねないし……、いやそうじゃなくても、元から飛び降りるなんて選択肢は存在しないけど」
不敵な笑みを浮かべ続ける彼女に、どうしたって一泡吹かせるような末来も見えない。多分、俺が飛び降りたところで、感情の起伏乏しく、事務的に処理していただけるのだろう。絶対に任せたくないが。
「それで、いい加減本題に入ろうか」
怒った様子も無く、整った顔は崩れることも無く。夕陽に映える彼女は、さながら美術作品のように、身じろぎ一つしない。椅子に座って、俺がここへ来るまで読んでいたであろう本を手元に置きながら、視線を飛ばす。
本当に、いい加減に、という気持ちだ。俺としても本題にはとっとと入りたかった。ずるずると彼女の他愛のない会話に付き合っていたら、この始末だ。
盛大にわざとらしく、溜め息を吐いて俺は、彼女に改めて向き直った。
「まあお察しの通りというか、ここに来た意味なんてそれぐらいしか無いわけだけどな。御多分に漏れず相談事だ。ただ、俺の話じゃない。その出会った幽霊が、持ち掛けてきたんだよ」
「深く聞かなくても分かることだが……、その幽霊の相談事というのは、もしかしなくても成仏とかそういった類の話か?」
告げる彼女の言葉に、俺は驚嘆の声を上げてしまった。どうして分かったのか。その疑問が、俺の周囲を飛んで回る。
「凄いな。まさにその通りだ。その彼女は、ああ。出会った幽霊は髪の長い女性なんだけど、そいつは成仏がしたいって言っててな。自分だけじゃ、どうにも無理らしい」
「いや、幽霊が自分で成仏出来れば苦労も無いだろうが。それに古今東西、幽霊ネタと言えば、大抵が成仏したいだのってのが定番だからな。大まかな予測を、私は言っただけだ。別段、驚くようなことはしていない」
幽霊に対しての理解力がそもそも一般人離れしているんじゃないかと、俺としては思わざるを得ないわけだ。
普通ならば一蹴して終わりだろう。俺としても、ある程度はそれを覚悟していた。幽霊なんざ非科学的。妄想であって空想上の現象だと、決め付けて決着をつける。そしてそれは実際正しい。
幽霊が非現実的なモノであることぐらい、今時の幼児でも知っているだろう。夢見がちな少年少女ならば、否定するところだが、残念ながらその否定意見も少数であることが現実。幽霊なんざ、その程度の存在でしかない。
「じゃあ分かってくれてるのなら話は早いな。どうにかして成仏したいって、彼女は言ってるんだけどさ。何か妙案でも授かれないか、叱翅」
「ふむ、いやいや。君は何か勘違いをしていないか」
「勘違い? 何をだ?」
「だからだ。つまり私という人間について、過大評価及びずれた認識をしているんじゃないかと言っている。分かっていないのか? 理解していないのなら、ただこんな在り来たりな事実の再確認なんて、間抜け過ぎてしたくないんだがな」
「さっきから何言ってんのか全然分かんないけど……」
「ああ。なら極めて簡略的に話すとするのなら、私は人間だ」
「……?」
人間じゃないと、彼女が明言した覚えも無い。
春に彼女と出会ってから、様々な相談事を投げ掛けてきたが、彼女が人外であると思ったことは無い。それに近い感情は抱いたことはあるが、やはりそれ以上に、叱翅 纂は人間というカテゴライズに振り分けられている。
というかわざわざそんなことを確認しなくても、俺は分かっているんだが。
俺の顔は恐らく呆けた鳩よりも腑抜けていたのだろう。叱翅は、ふう、と。一つ息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます