第17話

 化野が俺の妄想?

 何言ってんだコイツ?

 それまでの会話がデタラメっていうのはまだ分かる。叱翅がそう言ったのなら、ここでの会話はただの戯言だったのだろう。

 化野が幽霊じゃないっていうんなら、話は変わってくる。まやかし? そんなはずない。だって現時点として、こいつはここにいて、俺たちの話を聞いてるんだからな。


「まあ当然、信じはしないだろうな。大体三日間か。その期間確かに化野は君の瞳に映り、触れもしたはずだ。妄想だと片付けるには少々強引が過ぎる」

「……そうだ、そうだよ。昨日一昨日一昨昨日、俺が視て出会い、触れて色々と成仏方法を試したあの時は。これっぽちも妄想なんかじゃないだろ。今もそこにいるしな」


 何を戸惑う必要がある。妄想なんかじゃないだろう。今ここに化野がいる、それが何よりの証拠だ。


「私、幽霊ですよ? 物も透過出来ますし、さすがに宙に浮くことは出来ませんけど。でも、誰にも。他の人には確認されません」


 そう。化野 幽は物は透過するわ誰にも視認出来ないわで、ステータスさえ見れば幽霊そのものなんだ。これを否定するのは些か無理ってものだろう。

 ただ。


「だが、しかし。果たして本当にそうか?」


 叱翅の言葉が、イヤに耳を突いた。調子はいつもと変わらないのに、俺の何かが彼女の声を拒み否定する。

 俺の自信でさえも、揺らがせてしまうぐらいに。


「本当に化野 幽は幽霊か。思い出してみろ。この数日間を。出会った時彼女は独りだったか。喋る時は誰もいなかったか。干渉は自分だけにしか出来なかったか。変だとは思わなかったか? 化野 幽は、その実誰にも観測出来ず、そしてただ一人にだけその存在を明かしているんだ」


 俺が公園で出会った時、確かに誰もいなかった。話している時、これも夜の公園だからか誰とも遭遇していない。

 神社に行った時も人の目のつくところで会話もしなかった。

 ただし、それだけだ。誰にも観測出来ないから幽霊じゃない。そう判断する材料は、どこにもない。


「……いや何がおかしいって言うんだよ? 幽霊なんだからそういうのが当たり前だろ?」

「幽霊が、いればの話だな」

「……っ。化野はここにいるだろ」


 思わず、怒気を孕ませてしまった。

 だって、そりゃあそうだ。実際いるんだから。妄想空想、そういうんじゃもう手が付けられないような、実体がそこにあるんだよ。

 現実を見る見ないの話なんかじゃない。これが、幽霊として化野がそこにいることこそが現実じゃないのかよ。


「……現実とフィクションの区別ぐらいついていて欲しかったものだが、やれやれだ。いやしかし会話の量から推察するに物語換算だと大体六、七頁か。それまでのやりとりは一切が無駄で、物語の本質にさえ絡んでいないとするならば、これほど読者を軽んじている話もあるまいね」


 ほとんど微動だにせず、叱翅は嘆息だけを漏らした。

 あたかもそうすることがここでは正しい反応であるかのように、まるで俺が何も分かっちゃいないような、そんな態度を、彼女は徹頭徹尾崩さない。


「全く、これでは紙とインクが無駄になるだけじゃないか」

「そんな、小説みたいに……っ」

「そうだ。現実世界は、決して物語なんかじゃない」


 彼女の鋭利な声は、果たして俺を射抜く。

 言葉に、詰まった。


「考えてもみたか? 自分だけがその幽霊を認識出来るというその現実を。君は都合の良いように解釈し納得し受け入れた。それこそが正当であるかのように。当たり前の権利であると自惚れて、自分にはこんなチカラがあると、錯覚してしまった、その可能性を」

「いや、でも……っ」

「知っているか? 幽霊が視えるメカニズムを。科学的な見地からすれば複数考えられるそうだが、その代表例が磁場、電磁波によう影響。そしてその磁力が人体に影響を与える所為で、影や物音を幽霊だと幻視するんだそうだ」


 ただし、と。叱翅は指を一つ立てる。


「これは飽く迄もその場所に強く依存する場合の話だな。磁場なんていつでもどこでも変化して強まったりするわけじゃない。その地点だからこそ、人体に影響を与えるほどの磁場があり、幽霊騒ぎだって確立されるわけでな。ならばこれは君の場合には当てはまらないね。何故ならその怪現象は移動するから。さて、ここで次なる見解だ」


 もう一つ、指を立てる。丁度ピースをする形だ。


「自己暗示。これが君の見ている幽霊、化野 幽の正体だ」


 明示された解答に、そして淡々と話す彼女に、耐え切れず、思わず化野の方を向いてしまった。

 彼女にも何も出来るはずがないっていうのに。頼って、縋っちまった。化野は、ただ俺の視線を、不安に満ち溢れた面持ちで、受け入れるだけ。

 何も、言えなかった。


「理解は出来たな。この自己暗示、あまりに自己意識が強い人間だけが患うらしい。まあ君にはおあつらえ向きというものだね。フィクションに焦がれ続けた結果、幽霊が視えるようになったのだからな」

「ち、違うだろ。こんな、化野が自己暗示の末生まれた、俺が生み出すわけがない」


 声が整っていない。いや、どうして震えてるんだよ。しっかりしろよ俺の言語中枢。肝心な時に、何も言い返せないで、おまえ。それでも特別な人間か?


「……俺は、正常だ」

「そうか? それならば磁場説を推すか。集団ヒステリーでも無いだろうし、一酸化炭素中毒による幻覚が妥当だろう」

「違う!! そうじゃねえよ。化野は実際にいるだろうが!! どうしてそんな簡単なことも分からないんだよ!? 視ることも出来るし言葉も伝えれる。話も聞けるし、触ることだって……」


 ……そうだ。

 これがあるじゃないか。どうしてもっと早く気が付かなかったんだ。そもそも化野が視えない叱翅には証明出来ないかもしれないけどな、少なくとも心の中にある、この黒い不安も幾らかマシになるだろうさ。

 ……不安? どうして不安にならなくちゃならないんだ? おかしいだろ、叱翅が言ってることは全部間違っていて、化野が幽霊であるそれこそが事実なはず。何も恐れることなんて無い、のに。

 この、言い知れない混乱と動悸は、なんだ?


「あ、化野!!」

「は、はい……」

「お前からもなんか言ってくれ。ここまで好き放題言われて、悔しくないのか? 意味分からん理屈ばかりこねくり回して、自分自身の存在を否定されたんだぞ? 自分は幽霊だっていう証拠を、叱翅のやつに見せてやれよ!!」


 なんだっていい。すり抜ける、のはそもそも視えないからアウトか。鏡に映らないのも叱翅には分からない。いっそ写真でも撮るか? もしかしたら映るかもしれない。

 とにかく、化野に触れさえすれば。そうすれば何か良い方法でも打開策でも名案でもなんだって思い付くかもしれない。

 だから俺は彼女に近付いて、触れる。

 その腕を掴む。当たる。握る。捉える。接する。ぶつかる。感触が伝わる。手応えを感じる。触れ合う。握り締める。

 ない。

 ない。

 ない。

 どこにも、何も。


「な……?」


 今度こそ、思考は空白に置き換わる。

 それら導き出されるはずだった結果は悉くハズレ、あったのはただの。

 虚空を掴む感覚だけ。


「え……、どう、して……?」


 遠い。

 目の前にいるはずの化野の声が、やけに遠くで響いたように感じた。

 何が、どうなった?


「お前、化野……、そこにいるよな? 避けたりなんて、してないよな?」

「は、はい……。あの、だって私、一歩も動いてなんか……」


 困惑。専ら俺と彼女を襲ったのは、それだった。怒りも後悔も疑念も浮かばない。それまで出来ていたことが、出来なくなっているんだ。それが、それだけが。俺たちの真っ新な思考を埋めていく。

 その上さらに、叱翅の声まで飛んでくる。


「触れなくなった、と。そう捉えても良いか?」

「いや違う!! 触れなくなったわけじゃない!! ただ……」

「ただ……、なんだ?」

「……っ!!」


 触れなくなったわけじゃないと。どう説明する? いやそもそも、叱翅はこいつのことが本当に見えていないのか? どうする? 何が最適だ?

 何を……


「時間切れだな」

「…………」


 いつのまに近くまで来ていたのか、叱翅にそう告げられ肩を叩かれる。

 時間切れ? 何を言ってるんだ。まだ化野はいるじゃないか。なに勝手に終わらせてるんだよ? 終わらない。終わらないんだ。化野が成仏出来るまでは、諦めるわけにはいかないだろ。


「昨日、いや日付はもう変わって一昨日か。あの時私がもっと突っ撥ねていれば、あるいは。こうなっていなかったかもしれないな。なまじ幽霊はいるとそう思わせてしまったせいで、落下時の精神的負担が大きくなってしまった。その点については、私の責任と言えなくも無いか」

「……なあ、待ってくれ」

「もう何をしてもムダだ。分からないか? 君がそれを自己暗示で形作っている以上、霊はいないかもしれないと、僅かに不安を抱いた時点で、終わっているんだよ。難しい話をしているわけじゃない。いったん、その火種が着けば、あとはもう燃え広がっていくだけなのだから」


 待てよ。まだ決着は着いてない。こんな終わり方、あんまりにあんまりだ。これは望まれない終幕だ。俺の思い込み一つで、誰かの存在が消えるなんて。そんなバカなこと有り得るか? 俺が望んでいたのはこんなことじゃない。もっと綺麗で、さっぱりとしていて。それでもって……。


「依頼は無事履行した。そこにいる彼女が消えるまで、もう時間は無いが、あとは好きにしてくれ。扉の鍵は閉めなくてもいいぞ。見つかる心配もしなくていいからな」

「まっ……!!」


 それ以上話すことはない。言外にそう告げるように、叱翅は扉を閉め、教室から立ち去った。

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