覚醒

 彼らはビルダーナ城下で必要な物資を王国付けで買い揃え、王国から護衛を借り、まずはビルダーナ王国とジラール連合国との間にあるザルト海峡へと向かった。

「ザルト海峡は潮流が強いため、ここを渡るには大きく迂回しなくてはいけないだろう。定期船も無いし、この線はないな。やはり大陸づてに時計回りで旅をする方が現実味があるだろう」

 セプロはザルト海峡を目の前にして呟いた。その言葉にトラステリアとブルーノも同意する。

「オルビス大海に出ると、海賊の危険性もありますからね」

 と、トラステリアは自分の経験をもとに言った。

 三人は馬車で各国を時計回りに進み、首脳や関係者と会い、状況や情勢などを加味して、半年強にわたる旅で現実味がある勇者譚を道中で書き上げていった。


 その三つの作品は、最後の勇者対策会議で各国の首脳や勇者対策組織の代表たちの目に触れられた。

「このオルガノフ帝国出身のトラステリア・ゲオの作品は、物語としても勇者の承認欲求を満たす意味でも面白いですな」

「私もこのシナリオが各国の現状に沿っていて良いと思います」

「若い劇作家ということで柔軟性や体力もありそうですね」

 自国の作家を称賛され、クロード・オルガノフは上機嫌でカイゼル髭を触っていた。

「では、トラステリア・ゲオ女史に勇者パーティーを監視させましょう。魔物を勇者にあてるとともに、勇者を誘導する指揮官が必要です。それを彼女に任せましょう」

 イツツクニ民主国元首相であるタニヤ・フジが手を上げる。

「わが国で三年前に実用化された技術なのですが、無線というものを開発しました。それを使えば勇者パーティーとトラステリア・ゲオ女史との会話が、遠距離でも出来るでしょう。今は小型化、防水加工など技術開発が進められています。勇者出立までにパーティーに持たせられるでしょう」

 会議場は、書簡が主な情報伝達手段の現代において、小さな国が技術革新を起こしたことに騒然とした。

 クレイトスが目を光らす。

「ムセン、ですか。遠距離通話が出来るなんて素晴らしい技術ですね。確かにそれは有用です。私から優れた戦士を一人出して、その者に持たせましょう」

 そのクレイトスの目には、あわよくば、その技術を買うか盗みたいといった光が宿っていた。

 だがタニヤ・フジは気にした様子もなく、頷いて了承した。彼は黒ぶち眼鏡を人差し指で上げて問う。

「ラニエステル国王、伝説の武防具の補修は終わりましたか?」

「それが世界各地の名匠にお願いしたのですが、金属部分は補修が出来ず手を焼いています。どうも皆が扱ったことのない金属で出来ているようで。それに、いかんせん重くて勇者に渡しても有用なのかどうか……。ただ強度は申し分ないと思います」

「とりあえずタイミングを見て、シナリオ通り勇者が手に入れられるよう図るしかないですな」

「ところでロノワ殿」珍しくアルベイニが話しかける。「折からの不況で魔物養殖所が崩壊したと聞きましたが、隣接する我が国に影響はないのでしょうか?」

 ロノワ元元首は汗を拭きながら答弁する。

「申し訳ないです。現政権になってから、さらに不況が酷くなり、節税のために私ども対勇者組織のための資金が捻出できず、私の計画は瓦解してしまいました。それに気付いた現政権が緊急に対応を行っています。国境付近は守りを固めているようで、貴国に影響はないと思います」

「ならいいのですが、お願いしますよ」

 閑寂にクレイトスが呟く。「それよりも肝心の魔王なんですが……」

 その言葉に議会に参加している全員が沈黙した。重苦しい空気が漂う。

 結論は出るはずもなく、最後の会議は終了した。


 勇者が覚醒するであろう三ヶ月前、トラステリアはビルダーナ王国国王のクレイトスに呼ばれた。自分が脚本した公演が行われている最中だった。二人きりの謁見の間でクレイトスは話し始める。

「オルガノフ帝から概要を聞いているとは思うが、勇者は実在する」

 トラステリアは頷いた。

「そこでトラステリア女史には、勇者パーティーをシナリオ通りに導いてほしい。先日イツツクニ民主国のタニヤ・フジ殿から無線なるものを預かった。これは遠く離れた者と連絡することが出来る希少なものだ。勇者パーティーの中に密偵を遣わせるので、その者と連絡を取り合いながら旅してもらいたい」

「はい、かしこまりました」

 トラステリアにとって、この使命は自分の血肉となり壁を破る旅になるだろう、と確信していた。


 エリオットが十五の誕生日が過ぎ二ヶ月が過ぎた。

 ラルフやエミリエ、ケーナは勇者として覚醒するのは何時かと気をもんでいた。このまま勇者として覚醒しなければいい、と心から願っていた。教師兼魔法使いだったクラーレは二年ほど前、ある程度エリオットが魔法を習熟した時、ブランノール法治国の都合で帰っていった。その時エリオットは悲嘆にくれたものの、また近いうちに会いにくるから、と言われ涙を滲ませながら彼女の背中を見送った。

 エリオットは魔法における相当な知識と技術を彼女から得ていた。クラーレが帰国後も剣の稽古だけでなく、魔法の練習も欠かさないでいた。

 

 その日は突然やってきた。


 夕食後の団らんが終わった後、もう寝るだけという時間。ラルフはリビングで一人、晩酌をしていた。エリオットは先に寝ているはずなのにリビングにゆっくりと彼が姿を現した。

「うわ、びっくりした! ……どうしたエリオット、眠れないのか? もう十五だし酒でも飲むか?」

 思わず飲もうとしたグラスを置いたラルフは、努めて柔らかく聞いた。

 エリオットの目は、いつもと違い緑色の瞳に光が揺らめいている。

「エリオット?」

「お父さん、僕、行かなくては」

「どこに? もう夜更けだぞ。店も開いてないし」

「いや、魔王を僕が倒さなければいけないんだ」

「魔王?」

 ラルフは、そらとぼける。

「うん。魔王の気配がするんだ。僕はそれを倒さなくてはいけない」

 いずれ聞くかもしれないであろう言葉を何度も想像していたが、その言葉はラルフの心を揺り動かした。

「ま、魔王なんていないぞ」

「いや、いるんだ! 倒せるのは僕だけだ!」

 エリオットの熱い瞳と言葉に、ラルフは嘆息をついた。

「……分かった。明日国王の元に報告に行く。今日は寝なさい」

 覚悟を決めたような表情だったエリオットは、表情を微かに緩め頷いて寝室へと戻っていった。

「来てしまったか……」

 ラルフは残っている酒を一気に飲み干して、頭を抱えた。酔いは、すっかり醒めてしまった。


 寝室に入ったラルフは悪いと思いながらも、エミリエを優しく揺すって起こした。

「……なに? ラルフ」

「エリオットが勇者に覚醒した」

「えっ!?」半開きだったエミリエの目が驚きのそれに変わった。「それで、どうしたの!?」

「とりあえず明日、エリオットを連れて国王陛下の元に行こうと思う」

「私も一緒に行くわ」

「ああ。成人になったとはいえ、まだ子供だ。私達も同行しなければ国王の前で無礼を働きかねん」

「でも、ケーナさんや国王が言った通り、やはり来てしまったのね」

「あんなに強い意志で見られると断り切れなかった。だが国王や対勇者組織も補助してくれるし、私たちは無事にスワリ村に帰ってくることを祈ろう」

「……ええ」

 ラルフもベッドに入ったが結局二人共、眠れずに朝を迎えてしまった。

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