漏洩

 勇者の卵であるエリオットは、ラルフとエミリエの愛情に包まれ健やかに育っていった。初めての子育ても、エルガとアリーの手助けもあって、エミリエの家事やラルフの職務も、つつがなく普段の生活に戻っていった。

 ラルフは起伏のある丘の上に立って、魔物の住み家となっている森と自分たちが生活している村を見渡した。遠くにはフェンバックが統治しているジラール連合国が、海を挟んで見えている。

「エリオットが十五歳になるまで、あと十一年か……」

 エリオットはもう四歳になっていた。今は時間があればエミリエから文字の読み書きを教わっている。そしてエリオットはエミリエの家事手伝いなどを、小さい体で出来るだけ手伝っている。

 月日が経つのは早いものだ、とラルフはしみじみと感じていた。そして最近は魔物の出現数も目撃情報も、目に見えて少なくなってきている。騎士団長のカーチネルが、村や森に顔を出す回数も増えてきているせいだろう、とラルフは思っていた。

 そう考えていると西日が先程よりも高度を低くしていた。今日もまた夜が来て明日がやってくる。

「戻るか」

 いつも手入れしている騎士剣の柄に手を掛けて、丘を下って自宅へと向かった。


 夕食にはまだ早くエミリエがキッチンで仕度をしていた。

「おかえりなさいラルフ。早かったわね」

「最近めっきり魔物が減ってね。俺の巡回が必要なのかどうか分からなくなってくるよ」

「まぁ、平和なのが一番じゃない」

「確かにそうなんだけどね。ところでエリオットは?」

「お父さんと一緒にリビングにいるわ」

「お義父さん、エリオットが生まれてからべったりだね。仕事の方は大丈夫なの?」

「農業も午後は暇になるからね。早い時は昼過ぎにはエリオットに会いにきているわ」

「本当、孫煩悩だな」と言いながら、エルガの声がするリビングに入った。

「……そこでだ、勇者は回復呪文を後回しにして、一人で魔王軍に突入していったのだ。そして獅子奮迅の活躍を見せ……」

「ししふんじんってなに?」

 エリオットが無邪気に聞く。

 エルガは、エリオットに勇者譚の読み聞かせをしていた。

 よりによって勇者の話を読み聞かせするなんて……。

 重い頭を支えるようにラルフは頭を抱えた。かと言ってエリオットが勇者だと話す訳にもいかず「ただ今帰りました、お義父さん」と、話を遮ることしか出来なかった。

「おお、お邪魔しているぞ」エルガは片手を上げて挨拶をする。「もう仕事は終わったのか、じゃあ私もそろそろ戻らないと、アリーがうるさいからな。それに最近、森で見つけた苗の様子も見なくてはいけないし……。よしエリオット、続きはまた明日だ」

 立ち上がったエルガはエリオットを一度抱きしめ、家を出ていった。

「エリオット、勇者なんて本当はいないからな」

 エルガが去った後、ラルフはエリオットの頭を撫でた。

「えーっ、いないの?」

「魔王も魔物も、ほとんどいないのに勇者なんていらないだろ」

「うーん……」

「さあ、もうそろそろご飯だ。お母さんの手伝いをしよう」

「うん、わかった」

 快活な返事をしたエリオットは台所に走っていった。

 この素直な子が本当に厄災を起こし、人類を絶滅に招く原因となるのだろうか。ラルフは今だ半信半疑だった。

 ただ、エリオットは勇者という存在を知ってしまった。この事を国王への手紙に書かないわけにはいかないだろう。

 一度深い溜息をついてラルフはキッチンへと向かった。


 ラルフから届いた手紙を見て、クレイトスはラルフと同じく深い溜息をついた。

「知ってしまったか……、いつかくるとは思っていたが」

 エリオットが覚醒するまで、あと十一年。そのための準備は着々と進んではいたが、徐々にその時期が迫ってきている事に焦りを感じていた。勇者の厄災については文献でしか知るすべがないが、どれも内容は熾烈を極めていた。国が一つ無くなる事は当然といった内容だった。

 それに、そろそろ勇者パーティーの選定をしなければいけない時期に来ている。

 魔導士や僧侶はブランノール法治国教皇アルベイニに一任するとして、パーティーのメンバーは出来るだけ少人数のほうが勇者の承認欲求を満たしてくれるだろう。勇者を入れて三、四人といったところか。

 月が満ちて明るいその夜はベッドに入っても熟考し、なかなか寝付けなかった。

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