クラーレ・コレドニウ
ある日の早朝、ラルフはエリオットに剣術を教えていた。彼は六歳になっていた。
「よし、袈裟切り。そしてすぐに中段だ」
ラルフは比較的軽いパフの木で作られた木の剣で、エリオットに基本的なコンビネーションを教える。それに合わせて、やや重たそうにエリオットは体全身を使ってパフの剣を当てていく。
「いいぞ、次は上段と見せかけて突きだ」
コンコンと小気味良い音が広い庭先に響く。空気を取り入れるために開けた窓際ではエミリエがお茶を飲みながら、その様子をほほえましく見ていた。すると自分の腹の虫が鳴った。首だけを回して室内の時計を見ると、もう朝食の時間だった。窓から二人を呼ぶ。
「ラルフ、エリオット、もうすぐ朝ご飯よ!」
すると二人の剣が止まり、ラルフは木の剣を腰に戻した。
「よしエリオット、後は上段の素振り五十回で、今朝の稽古は終了だ」
「うん」
エリオットは数を数えながら素振りを始める。
剣術を習い始めたエリオットは将来、ラルフのように人を守れる大人になりたい、と剣技すべてを吸収していった。ラルフは時折、笑顔で剣を交えている時があり、期待を一身に受けているとエリオットは感じていた。その期待に答えるように、彼は一心に剣を振るった。
年齢的にエリオットは学校に行かなければならないが、昨日クレイトスから届いた手紙に、こう書かれてあった。
『エリオットが六歳になった頃に、ブランノール法治国から教師兼魔法使いを派遣するので、その準備をお願いしたい』
ラルフは物置小屋になっている二階を午前中に掃除して、寝具類を搬入し、生活が出来るようにしなければならなかった。
朝食が終わるとエリオットはラルフと一緒に、二階に詰め込まれている調度品の移動に取り掛かった。
「ねぇ、僕は隣のガーラルみたいに学校に行かなくていいの?」
小さい荷物を持ちながら、エリオットはラルフに問う。
「エリオットは勉強以外のことも学ばないといけないから、専門の先生がつくんだ」
「そうなんだ。僕も学校に行って皆と遊びたかったけど……」
少し寂しそうにしているエリオットの頭を、ラルフは撫でる。
「大丈夫だ。遊ぶ時間も作ってやる」
その言葉に永久歯に生えそろった白い歯をエリオットは見せた。
部屋の片づけは午前中に終わり、午後はエミリエが床を拭くだけだった。
昼食も済んだので、ラルフは剣を佩き巡回に行くと言った。
「お父さん、僕も見回りに行く!」
ラルフは一瞬、迷った表情を見せたものの「よし、行くか! 足腰のトレーニングにもなるしな」と、笑顔で答えた。最近、魔物が出ていない事を考えての判断だった。
村の西側から森に入り、起伏のある巡回路を二人で歩く。
「ここからが一番登りが激しくなるぞ」
「うん」
エリオットは、まだ身が軽いためか、急な起伏も余裕でついていける。やがて二人は最も高い丘の上に着いた。
「エリオット、ここが一番見晴らしがいいところだ」
「わあ~~すごい!」
まだまだ続く森の奥に、深く暗いザルト海峡を挟んで、高い山々が聳(そび)える大陸も見える。
「あのザルト海峡を挟んだところにあるのが、ジラール連合国だ。世界地図を一度見させてもらったが七つの国は、オルビス大海を囲むように円を描いている。今は国家間の戦争も無く平和だ」
ラルフは平和という言葉を強調した。クレイトス国王から聞かされた話によると、オルビス大海は過去の勇者が招いた隕石衝突痕だと聞かされ、身震いを起こしたことを彼は思い出した。
そのようなことを知らないエリオットは目を輝かせながら、その壮大な景色を見ていた。
「行くぞ、エリオット」
「うん!」
西に傾き始めた太陽を背に丘を下り、森の中を通って村を囲う塀の入り口まで着いた。
「疲れたか?」
「うん、お腹空いた」
ラルフは笑顔でエリオットの頭を撫でた。
客室を整えてから四日後の昼過ぎ、馬車に乗って一人の女性がやってきた。
淡い水色のベリーショートに、同じく青い瞳。割と背の高いエミリエより、頭一つ小さい。
「始めまして。ブランノール法治国から参りました、クラーレ・コレドニウと申します。ラルフさんはいらっしゃいますか? 私の国の教皇アルベイニの手紙を持ってきました。えーっと……」
大きなザックを下ろして、封蝋の押された手紙を出した。
「こちらです。しばらくお世話になります」
対応に出たエミリエは、その女性の幼さに驚いた。教師兼魔法使いと聞いていたので、割と高齢の人が来ると思っていたからだ。
「今、ラルフはエリオットと一緒に巡回に出たばっかりですので、リビングへどうぞ。そのような大きな荷物で大変だったでしょう」
エミリエは扉を全開にした。
「申し訳ありません、では失礼します」
クラーレは、もう一度ザックを重そうに背負って、ラルフの家に入った。
「ラルフさんがお戻りになられるまで、どれくらいかかりますか?」
「普通だと一時間半ぐらいだけど、エリオットも一緒なので、もう少し時間がかかると思うわ」
クラーレはザックをリビングの隅に置いて「失礼します」と、もう一度言い椅子に座った。
エミリエはその所作を見て、躾の行き届いた礼儀正しい子だと思った。キッチンに向かいお茶の準備をする。
「クラーレさんは、歳はおいくつ?」
キッチンからエミリエは声をかける。
「今年十六歳です」
「へぇー、若いのに教師って凄いわね」
「よく言われます」
茶器とカップをトレーに乗せて、エミリエはリビングに入ってきた。
「スワリ村特産のお茶なんだけど、口に合うかどうか……」
クラーレの前にカップを置いて、お茶を注いだ。醗酵された茶葉の芳醇な香りが一気に室内に広がる。
「あと、お茶菓子も持ってくるから」
「お菓子ですか!!」
突然クラーレの声のトーンが変わった。
「あっ! す、すいません」
「お菓子は嫌い?」
「い、いえ! 大好きです! ブランノールではあまり流通してないものでして……」
「うふふ、ちょっと待ってね」
その後、二時間弱、二人はラルフとエリオットの事以外に、お菓子や料理の話で盛り上がった。
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