一年
「ただいま~」
エリオットが元気に飛び込んできた時には、キッチンでエミリエとクラーレが夕食の準備をしていた。煮込み料理の良い香りが漂う。
「……おねーさん、だれ?」
「これからエリオットの先生になる人よ」
「よろしくお願いしますね、エリオット君」
ナイフを置いたクラーレは目線をエリオットの高さに合わせ、挨拶をした。
その後「ただいまー」の声とともにラルフも入って来た。
エリオットは走ってラルフの足にしがみつき、後ろに回ってクラーレを見ていた。
「あっ、おかえりなさい、ラルフ。クレイトス国王からの手紙に書いてあった先生が、いらっしゃったわよ」
「ああ、ブランノール法治国からの」
立ち上がったクラーレはラルフに深々とお辞儀した。
「初めましてラルフさん。私はクラーレ・コレドニウと申します。ブランノール法治国から参りました」
「思っていたより若いなぁ。こちらこそよろしく頼む」
「少々お待ちください」
クラーレは一旦リビングに行き、すぐに戻ってきた。
「こちらがアルベイニ教皇からの手紙になります」
靴の泥を落としたラルフは両手でその手紙を受け取り、封を開けて目を落とす。
『ラルフ、エミリエ・ボルケニア夫妻へ
初めまして。私はブランノール法治国の教皇アルベイニ・アンサクラスです。
クレイトス・ビルダーナ国王より依頼を受けまして、クラーレ・コレドニウを派遣いたしました。まだ若輩に見えると思いますが教師として道徳的、技量的に申し分のない逸材です。
彼女には勇者の事は口外しないように言っております。それではよしなに。
アルベイニ・アンサクラス』
手紙を折りたたんだラルフは、エミリエにそれを渡し、「これからよろしく」と微笑んだ。
クラーレはもう一度、深々とお辞儀をした。
「荷物はもう部屋に入れたかな?」
「まだリビングにあるわよ。重そうだからラルフ、運んでやってくれないかしら」
エミリエは手紙を読んで折りたたむ。
「分かった。荷物は持つから、ついてきてくれクラーレ。君の新しい部屋に案内する」
「はい、分かりました。お願いします」
二階へと上がっていくラルフとクラーレを見送ったあと、エリオットはエミリエに訊ねる。
「ねぇ、お母さん、あのおねーさんが僕の先生になるの?」
「そうよ。クラーレ先生と呼びなさい」
「僕、ガーラルみたいに学校に行きたかったんだけど……」
エリオットは再びラルフに言った言葉をもらした。
寂しさを含んだ六歳児の面影に、エミリエは一瞬、心を痛めた。
「ガーラル君とは学校が終わった後、遊べばいいわ。自然と友達も増えるでしょう。あなたは同年代の子より、かなり特別なのだから、専属の先生が必要なの。分かってくれる?」
エミリエは慈しみながら繭で包み込むようにエリオットを抱きしめた。
「うん……」
その声音は芳しくなかったが『特別』という言葉がエリオットの心に刺さった。
「分かった。僕、頑張る」
「さあ、その前に晩御飯にしましょう。今日はクラーレが初めて来た日だから、お祝いしましょう。まずは手を洗って」
その夜はエミリエとクラーレが腕を振るい、いつもより少し豪華な晩餐となった。
次の日からエリオットの一日が変わった。朝夕の食事前にラルフからの剣の稽古、ラルフが巡回に出ている間はクラーレによる勉強。それを週六でこなし、空いた一日はエリオットの自由にさせた。半年ほど経つと、エリオットは休日でも自ら剣の稽古や勉強に没頭するようになった。
自分が特別だという自我が開花し始めたエリオットは、勉強の内容やラルフからの剣の稽古を、みるみる吸収していった。
クラーレがボルケニア家にやってきて一年が経った。エリオットは七歳。エリオットは休日だったが、彼は久しぶりにラルフの巡回に付き合っていた。
「エリオット君は覚えが早いですね。自分で言うのもなんですが、子供の頃の自分を思い出します」
もはや家族の一員となったクラーレが、エミリエとお茶を嗜んでいた。
「クラーレも、その歳で教師兼魔法使いですものね。才能があったのよ」
「いえ、私は剣技などは全くなので、エリオット君は凄いと思いますよ。もうそろそろ魔法の修練も始めようかと思います」
「魔法、ですか」
「ええ、今はブランノール法治国の一部以外では使われていない魔法を教えることも私の仕事ですので。エリオット君は、その素質もあると思います。剣の稽古を見ていると分かるんです。時々、身体にマナが滲んでいるのが見えるのです。あれを形に出来たら、どれだけ有用か分かりません」
「そう……、危なくないかしら」
「マナは暴発などの危険性はありませんが、基本外で教えようと思います。とりあえずマナの制御は室内で練習出来ますので」
始めてエリオットを見たクラーレは、勇者の存在に対して僅かながら懐疑的であった。だが漏れ出る素質を知ったクラーレは、それを確信へと変えていった。
ただ、エミリエたちにとってエリオットが普通の生活を送ってもらうことが一番の願いだった。
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