陣痛
エミリエのお腹もすっかり出てきて、村長のバルクスより高齢な助産婦のケーナが、『もういつ陣痛が始まってもおかしくない』と言われる時期が来た。ラルフは王国の騎士団長に、『子供が生まれそうだから、一人巡回員を追加派遣して欲しい』と手紙をしたためた。
三日後、家のドアを叩いたのは、以前門兵をしていたベルハルドだった。
「ラルフさん、子供が産まれそうって聞きましたが」
「やあ、ベルハルドが来たのか。俺はしばらく妻に付き添うことにした。すまないが村の警備をしばらくやってもらってもいいか? 寝泊りや食事はうちを使って構わない。今までほとんど魔物が出たことがないが、一応警戒して欲しい。よろしく頼む」
「もちろんですよ」
ラルフはベルハルドを家に招き入れた。奥から出て来たエミリエが、彼を見て顔を綻ばす。
「まぁ、結婚式の時に王都からやって来て下さった方ですね。覚えています。わざわざお越し下さって、ありがとうございます」
彼女は腹に負担を掛けないように、お辞儀した。
「ベルハルドといいます。しばらくの間、よろしくお願いします」
彼も後頭部をかきながら、お辞儀を返す。
ラルフは早速テーブルにベルハルドを呼んで、スワリ村の地図を広げた。
「俺が日頃巡回しているのは、このルートだ」
自作の貴重な地図に、羽ペンでラルフは線を引いていく。
「俺の踏み後があるから迷子になる事はないだろう。それに夜になると、ほとんどの村人は外に出ないので、日が暮れそうになったら、うちに戻って来ても大丈夫だ。一応この村には酒場もあるから夜、退屈だったら行ってみると良い」
「了解です。一回村の巡回などやってみたかったんですよ、王都は退屈で。では早速巡回を始めます」
ベルハルドは生活用品を詰め込んだ荷物を玄関に置き、槍だけを持って地図を片手に早速外に出ていった。
ラルフがベルハルドの荷物を二階の空き部屋に持っていっている間に、エミリエがお茶を淹れていた。
「エミ―、俺がやるから大丈夫だよ。ゆっくり座っていて」
慌ててラルフがキッチンにいたエミリエに近づいた。
「これぐらい大丈夫よ。それに私が淹れた方が美味しいから」
その言葉に反論できないラルフは、椅子に座って黙って淹れたてのお茶を啜った。
しばらくラルフはエミリエに、つきっきりで様子を見ていた。力が必要な家事や洗濯などは彼が率先して行い、家事が少しずつ上達していった。そしてエミリエの様子が安定しているのを確認して、何度も教会に向い女神像に祈りを捧げていた。
ある日の朝、教会でお祈りをすませた後、彼は村の青果店で果物を幾つか買い自宅に戻った。
「エミ―、戻ったよ。エミ―?」
買い物にでも行ったのだろうか、と家の奥に進むと、キッチンから身を出して廊下に倒れているエミリエを見つけた。
「エミ―!!」
ラルフは慌てて果物をその場に置き、エミリエの元に向った。
「エミ―、大丈夫か!」
ラルフはエミリエの額に手を置いた。熱は出てなく意識はある。
「ラルフ……」
エミリエは目をきつく閉じながら声を絞り出した。
「どうやら陣痛が始まったみたい」
「そうか! すぐにケーナさんのところに行ってくる」
ラルフは苦悶の表情を浮かべるエミリエを抱きかかえ、ベッドに寝かせた。そしてすぐに彼は家を飛び出し、走って三分もかからないケーナの家へと駆けた。
平屋に一人暮らしの家の扉は開いている。ラルフは扉を強めに三回たたいて声をかけた。
「ケーナさん、ラルフです。おそらく陣痛が始まりました!」
奥でお茶を飲んでいたケーナは、ゆっくり立ち上がり部屋の奥からシーツを何枚か出して姿を現した。
「ようやく来たか、待ちくたびれたぞ。そこの大きいタライを持ってきてくれないか」
彼女はシーツを片手にリビングの棚を指さした。
それは差渡しが手を広げたぐらいの金属製のタライで、ラルフはそこそこ重量のあるそれを手に取った。
「あと、家に着いたら出来るだけ大量のお湯を準備しておいてくれ」
「分かりました」
大きなタライを抱え、ラルフはケーナより先に家を出た。
タライを抱えて家に戻ったラルフは、それを寝室に持っていきエミリエに声をかける。
「エミ―、大丈夫か?」
「うん、とりあえずは治まったみたい」
軽く頭を上げたエミリエは額に汗をかいていた。それをラルフは手で拭う。
「すぐにケーナさんがやってくるから安心するんだ。あとエルガさんとアリ―さんも呼んでくる」
ラルフが釜に火を入れ、大鍋に瓶の水を入れる頃に、ドアがノックされた。
「開いてます」
開いた戸口にケーナと、その背後に長い黒髪をひっつめた妙齢の女性が立っていた。白い看護服をきている。おそらくケーナの助手だろうとラルフは思った。
入るなりケーナは「奥さんは?」と聞いてきた。
「今、寝室で横になっています。タライも寝室に運んでいます」
「寝室はどこ?」
「あっ、こちらです」
ラルフは慌ててケーナたち二人を案内した。
冷静に構えているように見えたラルフは、半分動転していた。こういう時は男は弱いものである。
二人が寝室に向かうときケーナは「これからは男子禁制だから入ってはいかんぞ」と、ラルフに釘を刺した。
「分かりました、今から自分はエミ―の……、エミリエの両親を呼んでまいります。彼女をよろしくお願いします」
釜土の火力を確認したラルフは、エミリエの実家に走って向っていった。
どうか母子ともに健康であり無事に……。
そう心の中で祈りながら村の中を走っていた。
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