胎動
「とりあえずエリオットは勇者だ。間違いない」
謁見の間、王座に座るなりクレイトスは言った。
「勇者……といいますと、魔王を倒しに行くという……」
ラルフは片膝をつきながら問う。謁見の間にて産後のエミリエは椅子に座って、エリオットを抱きながら聞いている。
「そうだ。だが平和な今、魔王は不在どころか魔物もほとんどいない」
「で、では、勇者として旅をしなくても大丈夫なんですね」
クレイトスは一つ大きな溜息をついた。
「それが、そういうわけにもいかんのだ。文献によると勇者として生まれてきたエリオットは、十五ぐらいになると勇者としての自覚が生まれる。世の中を旅して廻り、どこかにいるという魔王を倒さなければいけない、という使命が芽生えるのだ」
「魔王が不在なのにですか?」
「うむ。勇者としての承認欲求がそうさせる」
「魔王が不在だと伝えれば良いのではないですか?」
「そうなると、勇者としての承認欲求が満たされず、世界各地で天変地異が発生する。勇者とは名ばかりの、いわゆる生きた厄災なのだ。かといって勇者を殺害すると、人類が滅亡しかけるレベルの災害が発生すると言われている。先ほど見た古の装置を作った文明も、一度勇者を殺害した為、ほぼ滅亡したと言われている」
ラルフは驚きに開いた口が塞がらなかった。
クレイトスは再び大きな溜息をついた。
「エリオットが魔王を倒すと勇者の影響力は衰える、もしくは無くなると聞いている。とりあえず、まだ十五年ある。各国の首脳陣と話し合って、勇者の物語を作ったり魔王役の選定など、やる事は多数だ。そして……」クレイトスの鋭さを増した眼光に、ラルフが固い唾を飲む音が室内に響く。「王都では勇者を預かることが出来ない。いつエリオットに勇者や魔王という言葉が耳に入るか分からないからだ。そこでラルフ、スワリ村で育てて欲しい。もちろん勇者や魔物、魔王という言葉がエリオットを刺激しないように注意した上でな」
「は、はい。分かりました!」
その声に、今まで寝息を立てていたエリオットが泣き出した。ラルフは肩を跳ね上げ、エミリエの方を向く。その小さな体から、どうやってそのような大声を出せるのか、という鳴き声だった。
エリオットを抱いたエミリエが、申し訳なさそうに言う。
「どうやら、授乳の時間みたいです。どこか一室、貸していただけると良いのですが……」
「わかった、気が回らなくてすまない。係に案内させるので、ちょっと待っていて欲しい」
そう言って、クレイトスはハンドベルを鳴らした。女性が一礼して部屋に入ってくる。
「いかがなされましたか?」
「そこの女性を客室まで案内して欲しい」
「かしこまりました。では御案内しますので、ついてきて下さい」
エミリエはクレイトスに一礼し謁見の間を辞した。
「クレイトス王、一つ聞きたいことがあります」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「エリオットに剣術を教えても大丈夫なのでしょうか?」
「ラルフ、そなたは騎士団の中でも優秀なのだそうだな。その話は私の耳にも入ってきている。そうだな……、とりあえず自分の身を守れるほどの剣術は教えておいて欲しい。成長するというのも承認欲求の一つになる。あと、ある程度読み書きが出来始めた頃に、そなたの家に魔導士を派遣する。魔法も少しは教えておいたほうがいいだろう」
「魔法……なんてものが、まだあるのですか?」
「ああ、先代の勇者に付き従った魔導士の末裔が、ブランノール法治国にいて魔法を継承しているはずだ」
「分かりました、留意しておきます」
「他に聞きたいことは?」
「いえ、ございません。私たちの手で何とか勇者の自覚が芽生えるのを遅らせます」
「私はこれからしばらく忙しくなる。月に一回ほど進捗の手紙を私宛に送ってほしい。ラルフ、ケーナ、もちろんエリオットが勇者だということは他言無用だ。よろしく頼んだぞ」
「はい、了解しました」
王宮の一室、授乳しているエミリエに背を向け、ラルフは窓の外を眺めていた。ケーナも同室しエリオットを眺めている。
「勇者か……」
突きつけられた真実に、これからどう育てていくべきか、ラルフはずっと考えていた。もうクレイトスからの話で、ある程度方針は決まっているのだが、人類絶滅阻止のため、どれくらい剣術を伝えなければいけないのか。魔法も使えるようにならなければならないので、村の他の子どもとは違う生活になるだろう。そのことにエリオットは違和感を感じないかどうか。
その時、授乳を終えたエミリエが話しかけてきた。
げっぷを吐き出したエリオットは満足したのか寝ている。
「ラルフ、どのように育てようか悩んでいるのでしょう」
「ん、ああ」
見透かされている自分の考えに、エミリエの優しい声が耳に入ってくる。
「普通の子供と一緒に育てられないかもしれない。その様な状態が続くことで、自分が特別だと感じないのか……とか。でも、とりあえず愛を持って育てましょう。物心がつくまでには、まだ時間があるわ」
そう、ラルフとエミリエはまだ父親、母親になったばっかりだった。
エミリエの言葉はラルフに芽生え始めた懊悩を包みこんだ。鼻の下を擦ったラルフは、その言葉に助けられた。
そう、今から悩む必要はない。一人ではなくエミリエも、彼女の両親もいる。十五年も悩み続けていたら身が持たない。
「ああ、そうだな。とりあえず俺たちは、俺たちが出来ることをしよう。ありがとう、エミー」
スワリ村に四人が戻ったのは、翌日の昼過ぎだった。
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