成長
「ただ今帰ったぞー、エリオット」
巡回を終えたラルフがエリオットの部屋を覗き込むと、ベッドにうつ伏せに寝ている我が子を見た。
ベッドサイドにはクラーレが椅子に座って、人差し指を口の前に立てていた。
「今日は初めて魔法の練習をしたので、疲れ切って寝ています。剣の稽古は難しいでしょう」クラーレが笑顔でささやく。「二、三日経てば慣れるはずですので、その間、稽古は休ませてやって下さい」
ラルフは短く刈った黒い髪を掻きながら小さな溜息をついた。
「ならば仕方ない、しばらくは自分の稽古をしよう」
「ええ、お願いします」
リビングに降りてきたラルフは佩いていた剣を壁にかけ、ひときわ重そうな剣を取り出して庭へと向かった。
子供の成長は早い。それに負けないように、対勇者組織も影で密かに動いていた。
ビルダーナ王国騎士団長カーチネルも、魔物の専門家と十数名の騎士と共に試行錯誤を重ね、魔物を養殖していた。それに慣れるのに五年も擁した。
ブラックドッグやワイト、レッドキャップなど、野生の魔物は檻に閉じ込めれば勝手に繁殖するので、管理は容易だったが、両性具有のラミアを繁殖させるのには苦労した。ラミアは産み落とした自分の子供を食べてしまうので、出産時期がくると二十四時間体制で見守らなければならない。ラミアの子供には時々ラミアクイーンが出現することもあり他の種族も、より強い個体も出現しはじめ、新しく檻を作り直すなど手間や時間、費用を要した。
七ヶ国の首脳や対勇者組織は、定期的に手紙で進捗や画期的な飼育法などを伝え合い、少しずつ勇者を受け入れる準備が整いつつあった。
その中でも一番の朗報だったのが、グレイズ王国のラニエステル国王から伝説の武防具を発見した、との話だった。ただ劣化が激しいため、手直しに時間が必要だとのことだった。
「そう、そのまま指先に一点集中しましょう!」
クラーレの教師魂は日に日に強くなっていった。彼女の見立て通り、エリオットは成長速度が速く、密かに怪物を作り上げていた。もちろん勉強のほうも同時進行で続いている。
エリオットは自分の両指差しをくっつけ、体内でマナのコントロールをしている。
「指先が慣れてきたら、今度は針ほどの太さになるまで細く! 一気に放出、循環させる感じで」
「うっ……、くっ……!」
眉間にしわを寄せ、エリオットはクラーレから課される訓練をこなしていた。彼も自分自身が成長していることを実感しクラーレが喜ぶことで、それが彼の承認欲求を満たしていた。明らかにそれが勇者というものを形成していっていることに誰も気がつかなかった。
「はい、休憩しましょう!」
クラーレが胸の前で両手を叩く。
「私がそのレベルに達するまで一年かかりましたよ。すごいです」
「そ、そうですか……」
息を切らせながら、エリオットは床に両膝をつく。
「お昼を挟んで、次はマナを使ったアトムの制御をやってみましょう」
「ってことは、いよいよ魔法の練習ですか?」
エリオットの目が輝きに満ちてきた。
「今までやってきた事も魔法の練習ですよ。それを形にするだけです。さあ、さっきの練習をもう一度やってみましょう」
「……はぃ」
ラルフも一時帰宅し四人で昼食をとったあとの午後は、いよいよアトムの制御の授業になった。
「万物はアトムという小さな粒で出来ている、と教えましたね。土や木だけでなく大気もアトムで出来ています」
室内で、いつものように向かい合わせに座っているエリオットは頷く。
「マナとアトムは相性が良いです。アトムは非常に軽いため、アトムをマナの流れに乗せて様々な状態を作り出します。大気を動かして風、大気をぶつけ合って炎、逆に万物を静止させて氷、土にマナを流してゴーレムを作ったり、壁を作ったりと、かなり万能です。まずは一番簡単な、大気を動かす練習をしてみましょう」
そう言ってクラーレは人差し指を目の前に掲げる。そしてトンボの目を回すかのように、その指をくるくると回し始めた。すぐに風を斬るような音を奏で始める。垂れさがっている部屋のレースや、二人の髪の毛が風で微かに揺れた。部屋の隅の今日出来た蜘蛛の巣も揺れるが、部屋の窓は閉じている。
エリオットはその現象に瞠目していた。
やがてクラーレの指の動きが止まると、その風も治まった。
「まあ、こんな感じです。マナを指先に集中させて大気を攪拌すると、こういう現象が起こせます」
「やっぱりすごい! 僕も出来るんですか?」
「もう出来る段階にいます! さあ、早速やってみましょう!」
クラーレは目を輝かせて身を乗り出す。
「先生、ち、近いです」
「し、失礼」
クラーレはコホンと軽く咳をして取り直した。
「じゃあ、やってみます」
クラーレと同じように人差し指を立てたエリオットは、マナを指先に集中し掻き回した。だが、そよ風一つ起こらなかった。
「あれ……?」
エリオットは頓狂な声を出す。
「ただ掻き回すだけでなく大気を、アトムを意識して回しましょう!」
「大気……、アトム……、万物の粒……」
言葉として意識すると状況が変わってきた。クラーレのお手本のように聞こえ始めた風切り音が、少しずつ大きくなっていく。
「そうっ! その調子!!」
風はどんどん強くなっていく。部屋のレースや二人の髪だけではなく、写真立てや燭台も揺れ始めた。机の上の本もパラパラとページがめくれる。
「ちょ、ちょっと、待って! 待って下さい!! マナを抑えて!」
「これが、魔法……」
クラーレは慌ててエリオットの人差し指を握った。我に返ったエリオットがマナを注ぐのを止めると、風はピタリとやんだ。
「まだ、マナの出力加減が出来てませんでしたね。外でやりましょう」
クラーレは慌ててエリオットの手を掴み、キッチンにいたエミリエに一礼して外に引っ張り出した。
そんなクラーレの心配をよそに、魔法というものを初めて使ったエリオットは感動していた。それ以後マナの循環練習以外は外での練習となった。
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