第5話 愛してるの!

 玄関チャイムが鳴っていることに気が付いて目が覚めた。


「もしかして!」

 私は掛け布団を跳ね飛ばして飛び起き、階下へ走った。


 玄関扉のすりガラスの向こうに、街頭の灯りで2つの人影が映っている。その人影がごとごとと扉を開けようとしている。その人影は小さかった。


「どなたですか?」

「歩海さん、ルアンだよ。こんな時間にごめんなさい」

「ルアン?」

 私は急いで玄関の鍵を開放し、扉を開けた。


 そこにはあんなに会いたかったルアンとレイナが立っていた。二人とも笑顔はなく、やつれた顔をしている。髪も下ろしたままで、パジャマにしているスエット姿で足元はスニーカー履きだ。

 すぐに何かがあったことが想像でたきた。


「どうしたの!?」

 私の顔を見て安心したのか、二人とも玄関先にへたり込んでしまった。


「歩海さん、助けて……」

 誰かに追いかけられているのかもしれない。私は二人を中に入れ、周囲を確認して扉に鍵を懸けた。


「何があったの?」

「パパが……」

「パパが、どうしたの?」

「ガス欠で……」

「がすけつ?」

「車が動かなくなって……」

 ああ、ガソリンが無くなったってことか。


「この先の道路わきに車停めてる」

「パパを助けて」

「分かったよ。それであなたたちは大丈夫なの?」

「何日もご飯食べてない」「お腹ぺこぺこ」


 いったい何があったんだ?とにかくこの子たちに何か食べさせなくては。

 私は明日のモーニング用に仕込んであった材料でささっとサンドイッチを作った。オレンジジュースといっしょに二人の前に出すと、二人はサンドイッチにかぶりついた。喉に詰めて咳き込む二人の背中を叩いて、ジュースを飲ませる。


 ようやくひと心地ついたところを見計らって、聞き出した。

「パパの車は何処に停まってるの?」

「案内する」


 私は二人を車に乗せ、パパとママ用のサンドイッチと飲み物も積み込んで、深夜の街に向かって走り出した。


 二人の案内で到着したところは私の店から30分ほども走ったところだった。道路わきにキッチンカーが停まっているのが見える。


 ここから私の店まで子供の足だと2時間以上はかかっただろう。地図で道は確認したんだろうけど、初めての道でさぞや心細かっただろう。夜中に小さな女の子が二人だけで歩いている姿を思って、私は涙が出そうになった。


 孫パパとママがキッチンカーに寄りかかって座っている、と言うよりへたり込んでいる感じだ。


「孫パパ、何があったの?」

「ガス欠で車が止まってしまって、道のわきに寄せるの苦労した。車も人間もガス欠ね」

 そう言って力なく笑った。


「二人には明日でいいって言ったのに……歩海さんご迷惑かけて申し訳ない」

「そんなことはいいよ!とりあえずこれ食べて!」

 私は持ってきたサンドイッチと紙パックのオレンジジュースを取り出した。


 明日、行き付けのガソリンスタンドに頼んで給油に来てもらうとして、取り急ぎ4人を私の車に乗せて家に戻った。


「とにかく、お風呂に入って落ち着こう」


 孫パパもママも、ルアンもレイナも疲れ切っているようで口数も少ない。いつも賑やかなところばかり見ていたから、こんな孫さん一家を見るのは初めてだ。


 入浴後、ルアンとレイナを早々に私の部屋で寝かしつけてから、私は孫パパ、ママと向かい合った。二人も疲れているだろうが、何があったのかは聞いておいた方がいいだろうと思ったのだ。


「お金盗まれたネ」と孫パパ。

「カードや通帳も全部入ったパパのカバン盗まれた」と孫ママ。

「カードや通帳はすぐ使えないように手続きした。でも手持ちのお金ほとんどなかった」

「娘たちのリュックに入ってた財布は無事だったから、それを頼りにここまで帰って来たけど、ちょっと手前でガソリン切れた」


 お金がないから高速には乗れず(キッチンカーにはETCは付いていないらしい)、ずっと一般道を走って来たそうだ。


 キッチンカーに残っていた食材で食いつなぎながら、残ったお金はすべてガソリン代に注ぎ込んだのだと言う。


「神戸まで帰れればよかたんだけど、それが無理と分かったとき、歩海さんのことが思い浮かんだ。ご迷惑かけて本当に申し訳ない」

「いいよそんなの!私のこと思い出してくれて嬉しかった」

「娘たちが歩海さんのことを……いや、とにかくこのご恩は忘れない。必ずお返しする」


 とにかく事情は分かった。孫パパとママにも部屋で休んでもらうことにする。


 思いがかけない形ではあったが、私はルアン、レイナと再開することができて嬉しかった。神様が私の願いを叶えてくれたのかもしれない。だから私は神様との約束を果たさなくてはいけない。孫さん一家が神戸へ帰ってしまう前に。


 翌日は行き付けのガソリンスタンドに電話。私の車に孫パパを乗せてキッチンカーに移動。ガソリンスタンドから給油に来てくれた車と合流し、給油完了後、孫パパはキッチンカーを運転し、私は自分の車でお店まで戻った。


 モーニングの時間帯のお客様は孫ママとルアン、レイナに任せてある。

 戻って見るとお店がなにやら随分と賑やかな様子だ。店内ではルアンとレイナが笑顔を振りまきながら接客している。常連さんだけでなく、噂を聞きつけた近隣の人たちがやって来ているらしい。


 私の時には滅多に姿を見せないお客さんもいる。ちょっとムカつくけど仕方ないか。あの二人、かわいいもんね。


 その日は孫さん一家に手伝ってもらって営業。中華以外の料理でも孫パパはその凄腕を垣間見せてくれた。それにルアン、レイナのかわいい接客の妙もあって、その日は終日お客さんが途切れることなく訪れてくれて、売り上げもずいぶんと伸びた。


「歩海さん、本当にお世話になった。このご恩は一生忘れない。借りたお金のこともあるからまたすぐ戻って来るけど、明日、一旦神戸に戻って、とりあえず生活を立て直すネ」

「私たち、まだ夏休みだし、パパすぐに戻って来る。それまでここにいてもいい?」

「歩海さん、二人こう言ってるがご迷惑じゃないかな?」

「全然!全然迷惑じゃないです。二人のことは私に任せてください。孫パパ、ママも色々やることあるだろうし」


 そう言う私に孫パパは微笑んで、

「では、お願いするネ」

「二人とも、ちゃんとお姉さんの言うこと聞いて絶対に迷惑かけないこと、約束できるか?」

「うん、約束する!」

 やったー、嬉しい!『棚からぼた餅』とはまさにこういうことを言うのだろう。

 告白するなら今夜がいい。今を逃したらきっと決心が鈍ってしまう。


「あの……孫パパ、ママ。お話ししたいことがあります。ルアンとレイナも聞いて欲しいの」

 その言葉に四人の視線が私に集まる。


「あ、とりあえずお茶でも淹れますね」

 思わず仕切り直しを入れてしまった。うわー緊張する。でも言わなきゃ。

 私は冷たい麦茶の入ったコップをみんなの前に置いた。「ふー」と目を閉じて深呼吸する。


「私!……私……あの……ルアンとレイナのことが好きなんです。もっと正直に言うと愛してます。ずっと一緒にいたい。もっと正直に言うと結婚して欲しい。もちろん結婚なんて日本の法律上では無理なことは分かっています。二人がまだ9才で、私は23才で。しかも二人とも愛してるなんて、無茶苦茶なことを言ってるのも分かってるんです。でも、これが私の包み隠さない正直な気持ちなんです」


「ルアンとレイナがいなくなって私、気が付いたんです。二人がいないと私、生きてる意味が無いって。二人から連絡が来なくなったとき、神様にお祈りしたんです。二人を無事に私の元へ戻して下さい。もし二人が無事に戻って来てくれたら私の気持ちを正直に告白しますって」


「神様は私の願いを叶えてくれました。だから私も約束を果たそうと思います」

 ここまで孫パパとママの顔を真っ直ぐに見ながら喋った。二人は特に驚いた表情も見せず真剣に私の話を聞いてくれている。

 私は勇気を振り絞ってルアンとレイナに向かって先を続けた。


「ルアン、レイナ。私あなたたちのことを愛してしまった。23にもなって変な奴だって思うだろうけど……きっと気持ち悪いって思うよね……」

 ルアンとレイナの表情は動かない、じっと私を見つめている。


「でも……もし……私のこと……」

 自分勝手すぎる思いに、さすがに言葉に詰まる。そろそろ私のなけなしの勇気もガス欠しそうだ。段々と顔が俯き加減になる。自分の膝の上に置いた手を見つめる。


「ルアンも歩海さんのこと好きだよ」

「レイナも愛してるよ」

「法律なんて関係ない。結婚する。ずっと一緒にいる」

「相思相愛。なんの問題もない。ね、パパ」


 二人の思いがけない言葉に私ははっと顔を上げた。ずっと黙って私たちを見ていた孫パパが口を開いた。

「うーん、二人がそれでいいならパパとママには異存はないネ」

 えええ!?何か拍子抜けするくらい物分かり良すぎないか?


「本当にいいんですか?」

 私は思わず突っ込んだ。


「人みんな色んな価値観ある。年齢とか性別とか色々言う人いる。でも、私は本人同士の意思を一番に尊重する。本人たちが合意であれば周りが何も言う必要ないと思ってます。もちろん悪いことはいけないけどネ」


 その言葉を聞いて私はへたり込んだ。振り絞った勇気と報われた幸福感で全身からどっと力が抜けた。おそらく私の脳は今の告白ですべてのカロリーを使ってしまったに違いない。


「私たちは中国にいたときキッチンカーで国中を旅していました。それが私と妻の夢でした。そのうちルアンとレイナが生まれた。それからは四人で旅を続けた。中国では少数民族がひどい目にあっているところ沢山見た。私たち自身がひどい目にあいそうになることも何度もあった」


「武器を持った人たちに捕まって、妻や娘たちが危険な目にあうことになったとき、私は死にものぐるいで戦って何とか逃げ延びた。そのとき中国に見切りつけた。ここでは娘たちを育てることできない。それで日本に来た。ここで娘たち育てることに決めて苦労して日本国籍取った。そして祖国を捨てた」


「日本はたぶん今の世界で一番安全な国。中国中を見てきたからそれがよく分かる。だからルアン、レイナがやりたいことは何でもさせてあげるって決めた。この国だったらそれが出来る」


「二人が歩海さんを愛してるって気持ちはたぶん本当。人を愛することができる、とても豊かなこと。私は娘たちを誇りに思います。だからその気持ちを叶えてあげたい。歩海さんも二人を愛してる。何も問題ない。三人を祝福します」

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