ニイハオ飯店 ~旅するキッチンカー~
@nakamayu7
第1話 プロローグ
「お母さん、これ」
私は先生から言われた通り、学習参観の案内の紙を母親に差し出した。
母は仕事の手を止めてその紙を受け取って一瞥すると、
「これ土曜日でしょ。行けないわ」
そう言って私にその紙を返した。
渡す前から答えは分かっていた。我が家は喫茶と軽食の店を経営している。「カフェ山下」それがお店の名前だった。
定休日は毎週水曜日と決まっていたから、土曜日の学習参観に来れるはずはない。
私は母から返された学習参観の案内の紙をくしゃりと握り潰すと、手近にある屑かごに放り込んだ。
今回の学習参観だけではなく、入学式や学習発表会、運動会などの行事に来てくれたことはこれまでも一回もない。
別に嫌われている訳ではないと思う。暴力を振われたこともないし、言われのない叱責を受けたこともない。ご飯もちゃんと食べさせてもらえるし、着るものだって欲しいと言えば大抵のものは買ってくれる。
何が不満なんだって言われれば、特に不満は思い当たらない。
学校の行事に来てくれないのも、家族で旅行に行ったことがないのも、お店を経営しているからだ。仕方ないのだ。仕事なんだから。
晩ご飯はたいてい一人で食べる。店が夜9時まで営業だから、両親はそれから晩ご飯を食べる。
お店が終わり、晩ご飯を食べながら両親がする会話を聞くともなしに聞きながら、私は部屋の隅っこに寝転んで宿題をしていた。
自分の部屋もちゃんとある。でもこのときしか両親と一緒にいられないから、わざと寝るまで居間で何かして過ごすのが私の日課だった。
両親の話はお客さんのことや新しいメニューのこと、お店の売り上げのことが主な話題で、私のことや学校のことが話題になることはめったにない。
たぶんこの人たちは私に興味がないのだ。
そんな両親が突然亡くなったのは、私が短大に通っていたちょうど20歳のときだった。仕入れに行った帰り道での事故だった。
和歌山港に面したこのあたりには工場や倉庫が立ち並んでいて、一般の住宅街とは趣がかなり異なる。
広い産業道路が通っていて、大型の貨物トラックの往来も結構ある。
中央卸売市場から出たところで、走って来た大型トラックに真横から衝突されたらしい。
大学から知らせを受けて私が戻ったときには両親は既に病院で亡くなっていた。
私は両親の臨終に立ち会えなかったことに内心ほっとしていた。だって、死の間際にどう振る舞ったらいいのか分からなかったのだ。
ドラマみたいに泣きながら「今まで育ててくれてありがとう」とか感謝の気持ちを告げるものなんだろうか。私にはそんなことができる自信がなかった。心からの気持ちがどうしても湧いてこないのだ。
病院で紹介してもらった葬儀屋さんに連絡し、お通夜とお葬式の手配、役所への届け出、親戚や知人への連絡など、まったく勝手の分からない喪主としての役目を担わされて、私は両親の死を悲しむ間もなく、儀式に忙殺された。
その後も、相続手続きや遺品の処理、納骨、四十九日の法要などを一人で片づけ、やっと落ち着いてみると、私は両親のいた家で独りぼっちだった。
結局私は両親が亡くなってから一回も涙を流すことはなかった。悲しい気持よりも、ただ一人でいることが寂しかった。
ときどき夢の中に出てくる両親の顔はいつも不鮮明だ。
私は両親に可愛いがられた記憶がない。私を憎んだり疎ましく思っていた訳ではない。両親は私に興味がなかっただけだ。
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