第2話 旅するキッチンカー

 和歌山港フェリーターミナル前で営業する「カフェ歩海(あゆみ)」は喫茶と軽食の店である。

 朝8時開店で夜は9時まで営業。


 主なメニューは、

 コーヒー 390円

 オレンジジュース 450円

 クリームソーダ 500円

 ミックスジュース 550円

 コーヒーフロート 550円

 ミックスサンド 750円

 ホットケーキ 550円

 親子丼 740円

 カツ丼 900円

 海老フライカレー 950円

 カツカレー 950円

 きつねうどん 540円

 肉うどん 650円

 ラーメン 700円

 カツとじ定食 900円

 ヒレカツ定食 1050円

 モーニングA(トースト、ミニサラダ、コロッケ、コーヒーまたは紅茶) 550円

 モーニングB(トースト、ミニサラダ、コロッケ、ハムエッグ、コーヒーまたは紅茶) 700円

 ホットケーキセット(ホットケーキ、コーヒーまたは紅茶) 550円


 この他に、注文によってはお弁当も作るし、常連さんには上記以外のカスタムメニューにも対応する。


 カレーうどんならぬカレーそば、それに天ぷらをトッピングしたもの。かつ丼の上にカレーをかけたかつ丼カレーなど。

 

 今年23才になる山下歩海(あゆみ)は、短大のとき、当時「カフェ山下」という名前のこのカフェを経営していた両親を亡くして以来、数年のブランクはあるものの、この店を一人で切り盛りしている。


 短大はちょっと遊ぶくらいの気持ちで入学したから、一番楽そうな国文科を専攻した。在学中には何の資格も取らなかった。


 卒業したら実家から通える地元の会社に就職し、たまには両親のカフェを手伝ったりして呑気に生活して、いずれは何らかの出会いがあって結婚し、家庭に収まるのだろうと漠然と思っていた。

 しかし両親の突然の死が、そんな歩海の呑気な人生設計を根底から覆してしまった。


 短大を卒業した当初、地元では何の資格もなくても就職できる会社は何社かあった。でも両親が残した店をどうするかで悩んだ末、店を引き継いだ方が自立でき、うまく行けば将来的にも安定した人生が送れるのではないかと判断した。


 カフェを経営するにあたって必要な資格は、実家がカフェであったことから従事経験が認められ、講習会の受講だけで取得することができた。


 飲食店を経営するにあって、両親が存命であれば教えて貰えたようなことも、全部自分でやり方を調べなくてはならなかった。


 仕入れのことは、両親の代からお世話になっている仕入れ業者さんから逆に教えてもらったし、料理については両親の残したレシピを見たり、料理上手の常連さんから教えてもらったりと、今にして思えばかなり無茶で強引なスタートであったと思う。


 けれど、それから3年。今ではひととうりのメニューもなんとか一人で作れるし、仕入れも仕込みも一人でこなせるようになった。


 一応、若い女の子が切り盛りする店ってことで、フェリーターミナルで働く若者やおじさま、近隣の工場や倉庫で働く若者やおじさまのご贔屓をいただき、モーニングやお昼ご飯、夕食、夜勤の夜食を供給する、このあたりで唯一の食堂(カフェだけど)として、一応の安定経営を実現している。


 モーニングの時間帯が過ぎ、昼の繁忙時間までの間のちょっと間延びしたひととき、歩海は厨房の窓からぼんやりとカフェ歩海の駐車場に入ってくる車を見ていた。


 駐車場がコンビニ並みに広いのがカフェ歩海の取柄である。その駐車場に一台のキッチンカーが入ってきた。たぶんさっきフェリーターミナルに到着したフェリーから降りてきたものと思われた。


 2tのトラックの貨物部分を改造してキッチンカーとして使っているらしく、ウイングボディで、後部には荷物の出し入れに使う電動式のリフトも装備されている。


 ウイングボディとは、荷台の側面が鳥の翼のように上に開くタイプのトラックのことである。貨物室の中には調理設備を備えたキッチンがあって、営業するときは貨物室の側面を開けるのだろう。


 車の側面には『ニイハオ飯店』とポップな文字で書かれている。どうやら中華料理の店であるらしい。

 それにしても『ニイハオ飯店』ってちょっと残念なネーミングだなあ。歩海はその車が駐車場の端で停車するのを見ながら、そんなことをぼんやりと考えていた。

 

 車のエンジンが停止し、運転席のドアが開いて中から大柄な男性、中柄な女性、それに続いて小柄な女の子が二人降りてきた。運転席に4人も乗っていたとは、さぞや狭かったろう。

 4人はカフェ歩海の扉を開いた。


「いらっしゃいませ」と歩海が対応する。


「ごめんなさい。私達お客さん違う。ご相談あります。ここの駐車場でキッチンカー営業したい。いいですか?」


「えー、困るよ。うちのお客さん取られちゃうし」

 こんな申し出は初めてだけど、正直めんどくさい。歩海は断る気満々で対応した。


「大丈夫です。私たち中華屋。メニュー被らない。それに私の娘たちパフォーマンスします。お客さんいっぱい来る。あなたの店にもいっぱい入る」

 本当にそんなうまく行くのかな。かなり胡散臭い。


「ちゃんと場所代も払います」

 場所代っていくらくらいもらったらいいんだろう。相場も分かんないし。何かめんどくさい。やっぱり断ろう。そう思ったときだった。


「パパ。準備できた」

 二人の女の子が入ってきた。


「ちょっと待って。今、オーナーと交渉中」

 長い髪を頭の左右で2個のお団子にまとめ、そのお団子の先っぽから残りの髪の毛が左右の肩あたりまで垂れ下がっている。


 いくつくらいだろう。小学校3、4年生くらいかな。すごく、かわいい……

 ダブっとしたシャツとパンツにローカットのスニーカー。シンプルな服装だけど、それがかえって魅力的に見える。


 この服装では体の線が分かりにくいから、胸の膨らみや腰のくびれがどうなっているかは分からない。

 この子たちならミニスカートでも、ひらひら系のドレスでも着こなすだろうな。その姿を想像して……


「オーナー、どうですか?」

 はっと我に返る。


「あ、そう言えば、パフォーマンスって何やるんですか?」


「それは見てのお楽しみ。私の双子の娘たちが演技する」

 そう言うと、「ルアン」「レイナ」と二人の女の子に声を掛けた。


「こんにちは」「こんにちは」


「こっちが姉のルアン、こっちが妹のレイナ」

 二人はにっこりと微笑んだ。

 背の高さや手足の長さ、痩せ具合など体系はそっくりだけど、顔はあんまり似ていない。


「双子だけど、あんまり似てないんですね」


 ルアンは切れ長の目でキリッとした印象。レイナは大きなクリっとした目と下がり気味の眉で優しい印象を受ける。

 たぶん二卵性双生児なんだろう。


「場所代は、売り上げの5%でどうか?」


 この人たちが10万円売り上げたとして5000円か。あんまり魅力的な数字じゃない。そもそも1日で10万円も売り上げることはカフェ歩海でもめったにない。ぽっとやって来て、いきなりそんなに売り上げられるなんてとても思えない。

 でも双子の女の子を見た時点で答えは決まっていた。


「OK、よろしく!」


 歩海が右手を差し出した。その男性が歩海の手を両手でがっしり握り、交渉は成立した。


「私たち、孫(そん)いいます。よろしく」


「私は歩海です。山下歩海」


 駐車場には既に調理用のバーナーがトラックから降ろされ、プロパンガスのボンベが接続されていた。


 お昼時、フェリーターミナルや近隣の工場、倉庫で働く人たちがカフェ歩海にやってくる。フェリーに乗降のお客さんも寄ってくれる。


 そこで、ルアンとレイナは中華鍋を使った炒め物パフォーマンスを実演した。

 ルアンの見事な中華鍋さばき。鍋の中身が宙を舞う。横から調味料やダシをレイナがタイミング良く投入する。


 さすが双子、息がぴったり。中華鍋からぽんと手際よく皿に盛り付けられた料理をレイナがテーブルへ運ぶ。


 二人のかわいい笑顔と、切れ味のいい中華鍋さばきに、やってきたお客さんから拍手が起こる。見る間に、二人の周りには人だかりができ、用意されていたテーブルはあっと言う間に満席になった。車の中で食べる人や、持ち帰る人もいて、広いだけが取り柄のカフェ歩海の駐車場は、過去最高の駐車率を記録した。


 SNSなんかでも噂は広まっているのだろう、キッチンカーの前には長い待ち行列が出来た。それを孫パパ、ママが手際よく捌いていく。孫パパ、ママの手際も十分にパフォーマンスだ。


 ニイハオ飯店が混み合っているというのもあるだろう、席が満席っていうのもあるだろう、ニイハオ飯店では飲み物を提供していないというのもあるだろう、カフェ歩海の売り上げはその日、過去最高の15万円を突破した。


 正直、しょぼいと思う。普段は今日の半分くらいの売上だから、食材の仕入れなどの経費が4割、それを差し引くと実質の利益は3万円ほど。カフェ歩海では人件費や家賃は掛からないから、これがそのまま収入となる。


 水曜が定休日で月25日営業するとして、だいたい70~75万円くらいが月額の収入。そこから税金やら社会保険料やら水道代、光熱費などが6割、これを差し引いたら残りは30万円ほど。サラリーマンのようにボーナスもないし、有給休暇もない。もし病気で休んでも何の保障もない。結構かつかつの生活なのだ。


 でもまあ、歩海には彼氏もいないし、高価な洋服や宝石、アクセサリーを買う趣味もないし必要もない。賭け事など大きな散財をすることもないから、それでも僅かながら貯金ができるくらいは手元に残る。


 特に今の生活に不満はないが、満足かと聞かれると「YES!」と答えるほどの勇気はない。


 午前のパフォーマンスが終了すると、ルアンとレイナは真っ直ぐカフェ歩海にやって来た。


「あー、疲れたー」


 双子の姉妹は同時にそう言うと、厨房奥の畳み部屋に倒れこんだ。普段は歩海が客足が途絶えて暇なときに過ごす、控えの間のような部屋だ。


「お疲れさまー。オレンジジュースでよかったかな?」

 私は満面の笑みでオレンジジュースの入ったグラスを差し出した。


「う……」

 それを見て二人が固まる。オレンジジュース嫌いだったのかな?


「歩海さん。オレンジジュースは確か450円でしたね」

 いつの間にかメニューを見たらしい。


「まあ、お店で出したらそうだけど。これは私のおごりだからお代はいらないよ」


「そうは行きません。パパがいつも言ってるんです。恩を受けたら身体で払えと」


「え!?」身体で払う?私は咄嗟にその言葉の意味を普通の日本人として考えた。


 身体で払ってくれるの?でも450円だもんね、そんなに色々してくれないよね。じゃあ、パンチラ?胸ちら?くらいなら……

 いかん!鼻血が出そうになった。違うだろ、私。働いて返せってことだよ。


「じゃあ、今晩、私の家で一緒にご飯たべよ。私一人だし、みんなと一緒に食べられたら嬉しい」


「私たちも歩海さんと仲良くなれるの嬉しい!でもそんなんでいいのかな?」


「いい、いい。私がいいって言ってるんだからいいんだよ」


「分かりました!」

 いただきまーす、と言うと二人は漸くオレンジジュースに口を付けた。本当に律儀な子たちだ。


 お昼からの中華鍋パフォーマンスは大人気を博し、カフェ歩海の客足も途絶えることがなかった。


 こんなに忙しかったのは歩海がこの店を引き継いで初めてだった。何も考えないで無心で働くのって気持ちいい。いつもなら暇な時間には何かと取り留めもないことをぐじぐじと考えてしまう。それって返って疲れるのかもしれない。


 午後のパフォーマンスが終了した二人に、晩ご飯のリクエストを尋ねた。

「カツ丼!」

 即答だった。しかも二人みごとにシンクロしてるし。


「そんなんでいいの?」

「カツ丼!カツ丼でいいの。って言うかカツ丼がいいの!」

「了解。それなら私でもできるよ」


 本日の営業が終了したところで、キッチンカーの中を見せてもらった。調理器具が所狭しと配置されている。冷蔵庫もある。反対側の壁に2段ベッドが2組。普段はここに折り畳み式のテーブルや椅子も収納しているのだろう。狭い!


「孫パパさん。ここにいる間は私の家に泊まりなよ。私一人で部屋空いてるし、お風呂もあるしさ」


「ありがとう。ではお言葉に甘えるね」

 孫パパはすんなり私の提案を受けてくれた。よかった。変に遠慮する日本人って苦手なんだ。


 晩ご飯は、カフェ歩海の閉店時間が9時のため、それに合わせて遅くなってしまった。先に食べてって言ったけど、孫パパは頑としてその提案は受け入れなかった。


「今日の後片づけと明日の仕込みする。洗濯機使わせてもらっていいか?」


 そう言って、私の仕事が終わるまで、何やかやと働いていた。ルアン、レイナもお手伝いしていた。お腹空いてるのにゴメンね。私は、閉店間際で少ないお客さんを捌きながら、ルアンとレイナのリクエストのカツ丼を用意した。


 孫パパが私の作ったカツ丼を味見して、

「ほお、これは美味しい。歩海さん、料理上手ね」

「うん」「うん」

「おいしい」「おいしい」

 シンクロで感想を述べながら、本当においしそうに食べてくれるルアンとレイナを見ると、つい顔がほころぶ。


「いや、こんなもんでお恥ずかしいです」

「この卵とじとスープの絡み加減が絶妙ね。これが出来たらたくさんの中華料理作れます。卵とじは中華料理の基本です」

 へえ、そうなのか。


「二人とも、こんなに美味しいご馳走してもらったから、きちんと身体で払わないといけないよ」

「はーい」

 あんたか!その嬉しい、いや変な誤解を招く日本語を教えたのは!


「じゃあ私たち、今夜お風呂で歩海さんの背中流す」

 ええ!?

「二人じゃ返って邪魔になるから、どっちか一人にしなさい」

 孫ママがアドバイスする。違う!そこじゃないでしょ!


「よーし、じゃんけんしよ」

「じゃんけんぽん!」

「やったー」

 どうやらルアンが勝ったらしい。レイナが半泣き顔で拗ねている。かわいい……


 いや、いや。背中流してもらうなんてダメでしょう。私、冷静でいられる自信がない。って言うか絶対冷静でいられない自信がある。


「あああ……じゃあさ、私と一緒に寝てくれる?私一人っ子で誰かと一緒に寝たことないから、一回誰かと一緒に寝てみたいなーって思ってたんだよ。みんなで寝るのって楽しそうでいいよねー」


「レイナ、一緒に寝てあげる」

 機嫌を直したレイナとは逆に、じゃんけんに勝ったルアンは不満そう。


 ちょっと残念な気もするけど、私は一人で湯舟に浸かっていた。コンコン。

「歩海さん、入っていい?」

「誰?」

「ルアンだよ」

「ルアン?どうしたの?」

「私、歩海さんの背中流すネ」


 浴室の扉が開いた。そこには裸のルアンが……そこで記憶が途切れた。

 遠のく意識の向こうで、ルアンが叫んでいる声が微かに聞こえた。


「ママ!歩海さんがいっぱい血を出して倒れた!」


 鼻血で浴槽のお湯が真っ赤に染まったのを見て、ルアンが大騒ぎしたらしい。気を失うほど鼻血が一気に噴き出したことは確かなんだけど。


 気が付くと、自分の部屋の布団に寝かされていた。

 孫ママが私の顔を覗き込んでいる。その右と左からそれぞれルアンとレイナが心配そうにこちらを見ているのが分かった。


「気が付いたみたいね。もう大丈夫。あとは二人で見られるネ?」

「はい!」

「歩海さん、お風呂で鼻血出して気を失った。きっと過労ネ。今日は忙しかった。この二人が面倒見るって言ってるから今夜はゆっくり休むといい」


 いや、過労じゃありません。ルアンの裸が……


「あ、また鼻血出てるよ」

「あんまり鼻血が止まらないようならお医者さん行く。でもこのくらいなら大丈夫ネ」

 孫ママはそう言って引き上げて行った。


 お布団の配置は私が真ん中で、その左右にルアンとレイナ。


「歩海さん、大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」

「びっくりしたよー。歩海さん、いきなり大出血して浴槽が血の海になった」

「疲れてたんだね」「今夜はゆっくり休んでね」

 二人が交互に声を掛けてくれる。

「ありがとう。じゃお言葉に甘えてゆっくり休ませてもらうね」

 大量出血したせいか、確かに眠くなってきた。私はそのまま眠りに落ちた。


 夜中にお腹と顔を蹴とばされて目が覚めた。

 右側に寝ているはずのルアンの足が、私の顔の横にあった。ルアンは頭を私の足の方に向けて眠っている。


 一方、左側に寝ているレイナの足が私のお腹の上にあった。レイナは私の方に足を向け、横方向になって眠っていた。


 私は起き上がると、また顔を蹴られたら嫌なので、ルアンと同じ方向を向いて寝ることにした。


 レイナの足を持ってズルズルと、同じ向きになるように方向転換する。その間もレイナはぐっすり眠っている。かわいい……


 昼間のくるくる変化する表情もかわいいけど、眠っている二人の寝顔はまさに天使だ。私はこっそり二人の頬にキスをした。

 蹴とばされた代償に、これくらいは許されるよね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る