第3話 事件勃発
事件は2日目に起こった。
その日も前日同様、キッチンカーには長い待ち行列が出来ていた。そこへ一人のおっさんが割り込んだ。
「半ちゃんラーメン」とそのおっさんは孫ママに注文した。汁物の持ち帰りはできないからテーブル席で食べるつもりなのだろうが、あいにくテーブル席は満席だ。
これはまずいことになりそうだと、私はあまり忙しくないカフェの厨房の窓から成り行きを見ていた。
「お客さん、割り込みいけない。きちんと並んで下さい」
孫ママが対応した。
「俺は忙しいねん。急いでんねん。そやからこんな列待ってられへんねん」
「みんな同じ。割り込みいけないネ」
孫ママは一歩も引かない。
「ええからさっさと注文通したらええねん、おばはん」
その様子に気づいたルアンが中華鍋を置き、バーナーの火を止めて孫ママのところへ歩いて行った。
「おじさん、割り込みいけない。みんな並んでる」
「パパがフル回転で料理する。すぐだから並んで下さい」
小さな女の子が怖がりもせずにはっきりと注意する姿に、周囲の大人たちははらはらしながら事の成り行きを見守っている。
まさかこんな小さな女の子に暴力は振るわないとは思うけど、もし何かあったら自分も飛び出そうと、私はエプロンを外して身構えた。その時、
「そやから俺は忙しい言うとるやろが!」
おっさんは大声で怒鳴ると、手近にあった空き椅子を蹴とばした。
蹴とばされた椅子はルアンたちが使っていたバーナーにぶつかって壊れた。
「ああ!」
レイナが叫んで、バラバラになった椅子の前にしゃがみ込んで両手で顔を覆った。泣いているのだろう。
小さな女の子を泣かせた罪悪感と周囲の冷ややかな視線にさすがに耐えられなくなったのだろう、そのおっさんは、
「もうええわ」
と言い残して、くるりと踵を返して帰ろうとした。
そのとき、ルアンが姿勢を落として地面に両手を付き、片方の膝を軸にしてもう一方の足を伸ばして回転し、去ろうとするおっさんの足を後ろから払った。
不意を付かれたおっさんは、見事に一瞬宙に浮き、背中から地面に落ちた。おっさんは何が起きたのか分からない様子。その前にルアンが立ちはだかった。
「壊した椅子、弁償するネ」
「なんやと!ふざんけんな、このガキが!」
むっくりと起き上がって、ルアンに食ってかかろうとするおっさんが再び宙を舞った。
今度はレイナが旋空足払い(今、名付けた)を懸けたのだ。
おっさんが再び宙を舞い、背中から地面に落ちた。あんまり綺麗に倒れるので、なんだか新喜劇を見ているみたい、なんて呑気な考えが頭をかすめる。
「壊れた椅子、弁償するネ!」
レイナが大きな目に涙をいっぱい溜めて、おっさんの前に立ちはだかった。
普段は下がり気味の眉が釣りあがっている。普段が優しい顔立ちだけに、怒ったときの表情はルアンより怖いかもしれない。
さすがのおっさんも、こんな目をしたレイナに逆らう気力はないらしい。
「分かったがな。いくら払えばええの?」
ルアンが右手を突き出し、指を3本立てた。3千円。まあ、妥当な金額だ。ここで3万円とか要求したらルアンが悪者になってしまう。まあ、このおっさんからだったら、そのくらいふんだくっても誰も何も言わないと思うけど。
おっさんは財布から3千円取り出してルアンに渡した。
いつの間にか、ルアンとレイナの後ろには大きな孫パパが立っていた。
「娘たちの非礼をお詫びするネ」
孫パパはそう言うと、豚まんの包みをおっさんに差し出した。
「暴力よくない。娘たち悪かった。でもあなたも良くないネ」
「う……」言葉に詰まるおっさん。そのとき、
「ありがとうございました!」
ルアンとレイナが揃ってぴょこんと頭を下げた。おっさんは苦笑いを浮かべて、
「こっちこそ悪かったな」と一応詫びた。
「大したお嬢ちゃんたちやな。まあ、がんばりや」
おっさんは小さな声でそう言って去って行った。
孫パパが空気を変えるように大声で、
「さあ、お待たせして申し訳ない。営業再開ネ!」
そう宣言すると、周囲のお客さんから拍手が沸き起こった。
3日目はあいにくの雨。
キッチンカーの中での調理は孫パパの役割であるらしく、ルアンとレイナは注文取りと会計、商品を渡すなど接客係に徹している。本日はパフォーマンスはなしだ。
ルアンが大声で注文をキッチンカーの中の孫パパに伝える。何を言っているのか私には分からない。たぶん中国語なのだろう。
できた料理はプラスチックのパックに入れて輪ゴムで止め、ビニール袋に入れてお客さんに渡す。
「ありがとうございました」
レイナは終始笑顔を忘れない。
雨の日はテーブル席は出せない。ラーメンなどの汁物も出せない。お客さんは持ち帰るか、自分の車の中で食べることになる。
それでも晴れた日ほどではないにしろ、傘を差したお客さんが列を作っている。
孫パパが2つのバーナーをフル回転してお客さんの注文を次々と捌いていく。その妙技にお客さんが見惚れている。
ルアンやレイナのような華やかさはないけれど、孫パパのパフォーマンスも相当なものだ。
3日目の営業も無事終了。明日は水曜日。カフェ歩海は定休日だ。
明日はルアン、レイナと遊びたいな。彼らが仕事をするなら私も何か手伝おうかな。そんなことを私は考えていた。
そんな私の気持ちなど知るはずもなく、遅い晩ご飯の後で孫パパが言った。
「明日、出発しようと思います」
「え?もう?」
「私たちはよそ者。いきなりやって来たよそ者が大きな顔で、たくさん売り上げる。前からいる人は面白くない。当たり前。だから同じところで長く営業するとトラブル出てくる。昨日のこともあるし、歩海さんにご迷惑かけることになるかもしれません」
「そんなの分からないじゃん。迷惑かかってから考えればいいじゃん!」
「それじゃ遅い。分かっているのに何もしないのは怠け者」
「それにキッチンカーは娘たちの夏休みの旅行も兼ねてる。ずっとここに居る訳にはいかない」
孫パパが二人を見る。
「私……もうちょっとここにいたいな」
レイナがぽつんと言った。
「歩海さんと別れるの、嫌だな」
ルアンもぽつんと言う。
「二人とも聞き分けないこと言わないヨ」
そんな二人を孫ママが窘めた。
それはたぶん私にも向けられた言葉なんだろう。そう分かったから私は何も言えなくなってしまった。
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