第4話 また会う約束

 水曜日。孫さん一家は出発した。その後の私は抜け殻だった。


 私の中でルアンやレイナの存在がこんなに大きくなっているなんて思わなかった。心の9割がルアン、レイナのことで占められており、残りの0.9割が店のこと、0.1割が自分のあれこれのこと。その9割がすっぱりと抜け落ちてしまったのだ。


 彼女たちがここに来る前の私ってどうやって生きてたんだろうと不思議になる。

 この3日間の楽しかったことばかり思い出して、ただ自分の部屋でぼーぜんとして過ごした。気が付くと夕方だった。私は重い腰を上げて、明日の仕込みをするべく階下に降りて行った。そして厨房のテーブルの上に封筒があることに気が付いた。


 中には3日分の場所代の3万円が入っていた。

 雨の中でもきちんと売り上げを上げる彼らは、やっぱりプロの料理人で経営者だ。私なんかとは違う。


 よく見るとまだ何か入っている。手紙だ。


『歩海お姉さんへ

 今朝お別れするとき、歩海お姉さんの顔がとっても悲しそうだったので気になりました。

 私たちも悲しいです。

 でも、ずっとの別れではありません。絶対また会える。

 お姉さんのこと大好きです。どうか元気を出して下さい。

 私たちも元気を出します。

 今度会うときは笑って会う約束しましょう。

 旅先から手紙書きます。日本の郵便屋さん、世界一優秀。きっとすぐ届けてくれると思います。

 PS

  今度会ったら忘れずメアド交換しましょう。 玲奈

  今度会う約束として私とレイナのイヤリングを片方づつ置いて行きます。 月杏』


 ルアン、レイナってこんな字なんだ、とその手紙を見て初めて知った。

 私はその手紙を何回も読み返した。手紙から二人の匂いがするような気がする。


 メアドの交換をしていなかったのは、私がほとんどスマホを使っていないから。

 好きな人とはメールじゃなくて直に会って話がしたい。くるくる変わるその表情が見たい。身体に触れたい。きっと私は古いタイプの人間なのだ。


 私はルアンとレイナの片方づつのイヤリングを自分の両耳にそれぞれ付けてみた。その顔を鏡で確かめる。そこには泣きそうな顔をした自分がいた。

 今度会う時までには笑顔になっていよう。でも今は好きなだけ泣こう。そう誓った。


 翌日、二人からさっそく葉書が届いた。日本の優秀な郵便屋さん、ありがとう!

 その葉書の消印によると、昨日は滋賀県にいたらしい。その日から毎日届く葉書で彼らが日本を北上しているのが分かる。


 毎日移動しているから、おそらくキッチンカーの営業はしていないのだろう。

 そう言えば孫パパが言ってたっけ。キッチンカーで営業するには許可がいるらしい。


 駅前とか観光地とか人が集まりそうな公共の場所で出店するには、事前に地元の役所に申請して許可をもらわなければならないから、孫さん一家のように旅行を兼ねた営業では敷居が高いそうだ。

 だから今回のうちのように、私有地で所有者の許可を得られるのが一番簡単なのだそうだ。


 二人からほぼ毎日届く葉書を見るのが私の楽しみになった。孫さん一家の移動ルートを道路地図上でなぞってみる。孫さん一家がここを出発してから10日を過ぎたあたりから、発信元が北海道になった。


 北海道では、ときどきキッチンカーでの営業をしているらしい。


『周りに何もない草原の道端で営業していたら、牛の群れが通りかかりました。

 その群れの一番最後を歩いていた男の人に「いらっしゃいませ!」って声をかけたらびっくりされた。でも豚まんを一個買ってくれた。その人と色々おしゃべりした。本日の売り上げは豚まん一個』


『今日も周りに何もない草原の道端で営業しています。

 通りかかる車に片っ端から「いらっしゃいませ!」って二人で声をかけます。

 だいたい2台に1台くらいは停まってくれて、何か買ってくれます。

 こんなところで営業していることに、みんな驚きます』

 

 ときおり、見た風景のことを書いてくれるのだが、地名を調べる気がないらしい。北海道の地図やガイドブックとにらめっこして、この辺りかなと見当をつけながら読む。

『富士山みたいなきれいな山を見た』

 たぶん羊蹄山のことだろう。


『山から煙が出ているところで温泉に入った。熊がいっぱいいた』

 登別温泉のことだろう。


『きれいな湖を見た』

 うーん、これだけじゃ分からない。でも順番から考えて阿寒湖かな。


『峠から湖が見えた。真ん中に島があった』

 たぶん支笏湖だ。


『湖の岸でお湯が湧いているところがあった。みんなで砂を掘ってお湯を溜めて入った。水着がないので裸で入った』

 ええ!二人の裸、他の人に見られてないよね。ダメだよ、そんなに簡単に裸になったら……


『海の向こうに島が見えた。あの島はロシアらしい。国境が海ってちょっと不思議。どこが境界か分かるのかな』

 中国人らしい感想だ。たぶん根室のあたりだと思われる。


『海岸にきれいなお花畑が広がっています。みんなで散歩しました』

 網走あたりの原生花園のことかな。


『何もない峠で店を出しました。峠からはいい景色が見えるので、通りかかる車に片っ端から「いらっしゃいませ!」と二人で声をかけると、大抵の車は停まってくれます。途中から霧が出て何も見えなくなりました。本日の営業は終了』

 どこか分からん。


『日本で一番北の端に来ました。この向こうに中国があると思うとちょっぴり懐かしいです』

 稚内だ。

 そう言えば、彼らは中国でどんな生活をしていたのか、どうして日本に来たのか、まだ聞いていなかった。


『高い山がそびえています。そこからきれいな滝が流れ落ちています。温泉があちこちに湧いていて、無料で入れる露天風呂に入りました。みんな水着を着てたけど、私たちは持っていないので裸で入りました』

 わー!!!だから簡単に裸になっちゃダメだってば!まさか混浴じゃないだろうな……


 その手紙を最後に二人からの葉書がぴたりと来なくなった。郵便事情かとも思ったが3日たっても4日たっても来ない。おいおい優秀な日本の郵便屋さんは何をしているのだ?


 もしかしたら、彼らに何かあったのかもしれない。心配だけどメアドを交換していないから、彼らと連絡の取りようがなく、何処にいるのかも分からない。


 もしかして、もう二度と会えないなんてことはないよね。両親が亡くなったときのことが思い出される。


 毎日じりじりする思いで過ごしていた。もうこんな思いをするのは嫌だ。今度会えたら絶対に言おう。


「ルアン、レイナ。大好きだよ」

 いや違う。そんなんじゃない。


「ルアン、レイナ。愛してるの。結婚して下さい」

 馬鹿なことだと分かっている。受け入れられるはずないことも。でも、これが私の正直な気持ちだった。


 今度こそ告白するから、神様!二人を無事に私のもとへお戻し下さい。

 たとえそれで嫌われたとしても、何も伝えられないまま会えなくなるよりずっとましだ。


 1日に何回もポストを覗く。食欲がなくて、胃がきりきりと痛む。

「歩海ちゃん、大丈夫?顔色悪いで」

 常連のお客さんにまで心配をかけてしまった。


 そんな長い長い1日を、さらに3日ほど過ごした夜中のことだった。

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