第10話 同棲生活 始めました!
翌日は新しく入る部屋の掃除をして、孫パパ宛に送った荷物を自分の部屋に移動するだけで終わった。荷解きは明日から順々にやって行こう。とりあえずは布団だけあったら寝ることはできる。
さっそくルアン、レイナもやってきて、自分たちの部屋に何やら荷物を持ち込んでいる様子。
駐車場の契約をしないといけないことに気付いてあわてる。これも孫パパの知り合いの人から格安で借りられることになった。駐車場の出費は考えていなかったが、家賃が予想以上に安かったから、その分で十分に埋めることができた。
調理器具、全部置いてきちゃった。鍋、包丁、まな板、調味料、お皿、お茶碗、お箸、スプーン……
収納ケースや棚、ハンガーも足りない。ちゃんと生活できるようになるまでには、しばらくかかりそうだ。
9月1日、今日から学校は新学期。昨夜、私の部屋に泊まったルアンとレイナは、早めに出て自宅に戻り、準備をしてから学校へ行くらしい。
私は今日から四階下にある鍼灸院に出勤する。10時出勤で、3分もあれば着いてしまうからまだ時間にはたっぷり余裕がある。
お弁当を作りたいところだが、調理器具も食材もお弁当箱もないので諦める。そうそう冷蔵庫を早めに買わなきゃ。
朝ご飯を近所のコンビニのサンドイッチで済ませ、9時半頃鍼灸院へ行ってみたら「準備中」の札がかかっているが扉の鍵は開いていた。
扉を開けて中に向かって「おはようございます」と声をかけてみた。
「やあ、来たね」
食パンを齧りながら奥から先生が出てきた。
3LDKのうち、リビングと一部屋を待合と診察室に使っていて、奥にはダイニングキッチンと先生の居室、もう一つの部屋は診察道具やその他もろもろの物置として使っているらしい。
「先生、独身なんですか?」
「そうだよ。中国を出るとき妻と別れたからね」
この先生も何か訳ありで日本に来たのだろうか。
「ここではこの白衣を着てね」
私の仕事は診察時の補助がメインだけど、診察室や待合の掃除、診察台の消毒、診察着やタオルのクリーニング、受付、会計も私の仕事だ。
仕事自体は難しいことは何もないけど、何日かするうち殺風景な待合が気になりだした。ソファーとテーブルが一つづつと、事務机と椅子。事務机の上にはパソコンが乗っている。それだけ。
事務机とパソコンは受付や会計の窓口として使っている。
床はむき出しのフローリング、靴脱ぎにはシューズラックもない。スリッパ立てもない。
「先生、ここで何年くらい営業してるんですか?」
「うーん……今年で4年目になるかなあ」
4年やっててこの殺風景さか。手が回らないんじゃなくて、そもそも飾る気がないらしい。
「先生、待合もう少し綺麗にしませんか?」
「えー、いいよ。めんどくさい。それに治療と関係ないし」
「私がやります。ちょっと工夫すれば、ずっと見栄え良くなりますよ」
「別にいいけど……あんまりお金かけないでね」
靴脱ぎのところにフロアマットを敷いて、シューズラック、スリッパ立てを置く。ついでにスリッパも新調した。事務机は方向を変えてパーティションを置くだけで結構受付っぽくなった。
パソコンを使って静かな音楽を鳴らす。いづれ外付けのスピーカーを買おう。照明はまだ使えるけど、蛍光灯からLEDに変えちゃえ。あと何か観葉植物が欲しい。それから気の利いた絵か写真があったら壁に掛けたいな。
二か月もするとたいていの常連のお客さんとは顔見知りになった。
「歩海ちゃんが来てくれて、ずいぶん雰囲気がよくなったねえ」
「以前はなーんにもなくて、まるで囚人部屋みたいだったもんねえ」
「壁にかけるいい絵か写真、ないですかねえ」
「それやったらここの患者さんで写真が趣味のおじいさんがおるで。自費で個展開いたりしてるから、今度会ったら聞いといたげるわ」
「ありがとうございます!」
まもなく鍼灸院の待合の壁には、そのおじいさんの写真が飾られ、まるで写真展の様相を呈するようになった。私も気に入ったものを一枚分けてもらって、自分の部屋の入口に飾らせてもらっている。
一年以内にマッサージ師の資格を取るという約束を守るため、私は仕事が終わってから週三日は夜間制のマッサージ養成学校に通っている。鍼灸院で先生に付いて実技を学べるから、一年後の資格試験もたぶん大丈夫だろう。
こうして私の新生活はまずは順調に滑り出した。
この頃気になるのは孫先生の食生活だ。朝と夜のことはわからないが、昼はたいていコンビニ弁当かカップ麺の類で済ませている。この先生が夕食を自分で作っているとは思えない。冷蔵庫に入っているのはスポーツ飲料とビール、それに冷凍食品が少し。
私は自分のお弁当を作るとき先生の分も作ることにした。一人分も二人分も手間はいっしょだ。もし先生が倒れでもしたら、私の生活はたちまち破綻してしまう。
先生に初めてお弁当を持って行ったとき、先生は特に感謝するでもなく、
「ああ、冷蔵庫入れといて」と言った。
私はお昼休憩のとき、
「先生、ちゃんとお弁当食べて下さいね」
と声を掛けた。そしたら、
「もう食べちゃった。お腹がすいちゃって。なかなかうまかったよ。君、料理上手だねえ」
「ここへ来る前は食堂で働いてましたので」
「へえ、そうかあ。きっといいお嫁さんになれるよ」
ちゃんと食べてくれて、大げさじゃないけどちゃんと褒めてくれたことが嬉しかった。
「先生、晩ご飯は何食べてるんですか?」
「晩はたいてい鍋だな。餃子とかシュウマイ入れて、野菜もいっぱい入れてね。健康的でしょ?」
「夏でもですか?」
「年中」
「飽きませんか?」
「季節に寄って具を変えるからね」
「そうですか……」
コンビニ弁当やインスタント食品ばっかり食べてるかと思って心配だったから、ちょっと安心した。
さて私の部屋の話である。3つある部屋をどう使おうかと三人で相談した。
私は最初、ルアンとレイナの部屋、私の部屋、物置部屋ってことになるかと漠然と考えていた。
でも、せっかく一緒に住むのだからそれぞれの部屋に分けるよりも、共同で使えるようにしたいという二人の意見を取り入れた結果、一つは共同のクローゼット兼物置として使って、一つは棚を置いて本やCDなどを置く共同のくつろぎ部屋、もう一つは三人の寝室ということになった。
あまり大きな家具は好きでない私は、服は収納ケースやハンガーラックで保管することにして、唯一買った大きな家具と言えば、本棚とリビングのテーブルセット、それに食器棚くらいだった。やっぱり台所は機能性を優先したい。
部屋割りが決まったところで、ルアン、レイナも本格的に自分の荷物を運び込んでいる。衣類や本、カバン、教科書、ぬいぐるみ……
三人の物が混じり合う空間を見ていると「ああ、一緒に住んでるんだなあ」って実感が湧いてくる。
リビングに置いたテーブルは食事兼みんなの勉強机になっている。それを見越してちょっと値は張るが大き目のがっしりした木製のテーブルセットを選んだのだ。これは今回購入した家具の中で一番高かった。
照明器具やカーテンなど小物類は三人で地元の百貨店や家具屋さんを回って選んだ。そうやってみんなで相談しながら部屋を作っていくのって嬉しい。新婚カップルってきっとこんな感じなのだろう。
私たち三人の甘い同棲生活もおおむね順調だ。
実は前から考えていた。不自然でなくキスする方法。おはようとかおやすみとかで頬にするキスじゃなくて(それはもうやった)、マウストゥーマウスの恋人同士のキス。私はそのタイミングをずっと待っていた。
夕食後の歯磨きのあと、
「ルアン、ちゃんと磨いた?はーしてごらん」
「はーーー」
私はルアンの顔に自分の顔を近づけ、ルアンの口から吐き出される呼気をチェックするふりをした。
「歩海の口臭もチェックしてあげる。はーして」
「はーーー」
今度はルアンが私の口から吐き出される呼気をチェックする。
「ルアン、あの、み……」
「み?」
「み、味覚、のチェックもしてあげる!」
私はルアンの頬を両手で挟んで強引に引き寄せ、口付けをした。口を離した瞬間ルアンが吹き出した。
「歩海、照れてたでしょう。かわいい」
「だだだ、だって、初めてなんだもん。ルアンは初めてじゃないの?」
「初めてだよ。私のファーストキス、歩海に奪われちゃった!」
「ちょっと、ルアン。ずるいよ!歩海のファーストキス奪っちゃうなんて!」
洗面所で歯磨きしていたレイナが割って入ってきた。
「歩海、私のファーストキスも奪って!」
レイナが目を閉じて唇を突き出す。もちろん、願ってもない展開。
「じゃあ、いただきます!」
そのセリフを聞いたレイナが目を閉じたまま、おかしそうにクスッと笑う。その笑った口に口付けた。
「わー、やったー。ファーストキス奪われちゃった!」
「今日は三人のファーストキス喪失記念日だね」
「カレンダーに書いとこ」
二人は壁にかかったカレンダーの、今日の日付の四角い枠の中に唇のマークを書いた。そしてピンクのマーカーペンで色を塗った。そのとき気が付いたのだが、今日は「大安」だった。
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