第9話 同棲してもいいですか?

 ルアンとレイナからのメールによると、孫さん一家は三日後に戻ってくるらしい。


 仕事は決まった。住むところも決まった。あとは引っ越すだけ。この店もとりあえず手放さなくてもいいから、一気に荷物を整理してしまう必要はない。ちょっとずつ自分の荷物の整理に手を付け始めている。


 私が神戸へ引っ越すことをルアン、レイナ、孫パパやママはどう思うだろうか。それを確認しなければ、そもそも私の計画は頓挫してしまいかねない。


 久しぶりにみんなで晩ご飯のテーブルを囲んでいた。


 今回は九州方面に旅行してきたらしいから、ルアン、レイナはもちろん、孫パパ、ママも随分日焼けしている。


 九州も北海道に負けず劣らず温泉が多い土地柄。きれいな海で泳いだ話とか、砂湯に埋まった話とか、海に浮かぶような大きな火山の話は桜島のことらしい。


 今回はちゃんと水着を持って行ったから、露天風呂で裸になったりすることはなかったと聞いて、私は密かに小さな胸を撫でおろした。


 そんな賑やかな夕食の後、お茶を楽しみながら、私がこの夏休み中に考えたことを孫パパ、ママに報告した。


 ニイハオ鍼灸院というところで9月から働くことになったこと。

 その鍼灸院のビルの六階に3LDKの部屋を借りることにしたこと。

 和歌山のこのお店は8月で閉店すること。当面は売ることは考えていないけど、いずれは手放すことも考えていること。

 そして、私の借りた部屋は中華街の孫パパの店から近いこと、ルアンとレイナの部屋もあること、だからルアンとレイナは行ったり来たり簡単にできること、だからだから、できるだけ二人と一緒にいたいって思っていること。


「やったー、歩海といっしょに暮らせるんだね!」

「歩海さん、よくそこまで決断したね。歩海さんとルアン、レイナがいいなら私たちは何も言うことはないよ」


 よかった……大丈夫とは思ってたんだけど、ここで反対されたらどうしようってちょっと心配だったんだ。


「でも、この店が無くなっちゃうの、ちょっと寂しいな」

 レイナがぽつんと言った。実は私も心の隅に引っ掛かってはいるんだけど、両立できない以上、諦めるしかない。


「そのことなんだけどね、私の知合いにお店やりたいって言ってる人いる。その人に紹介してみましょう。その人が歩海さんの店を借りてくれるなら空き家にならなくて済むし、歩海さんには家賃が入るしね」


「本当ですか?店の設備や備品は全部置いていくつもりなので、そのまま使ってもらっていいし。そうなったら嬉しいです」


「話してみますね。それからそのニイハオ鍼灸院の孫先生って私の従妹です。彼も中国から日本に帰化した人です。あの鍼灸院始めるとき色々助けてあげたし、鍼灸院の名前付けたの私です」

 ああ、だからかあ。ちょっと残念なネーミングセンスだとは思っていたんだけど。


「じゃあ、あまり時間がありませんね。私たちは明日神戸に戻りますから、引っ越しの荷物は私の店宛に送ればいいですよ」


 引っ越し準備で忙しくなることを見越して、カフェ歩海は今日をもって閉店する。そのことは常連さんには既に報告してある。

 さっき、店の扉にも、

『カフェ歩海は閉店いたしました。長らくのご愛顧ありがとうございました』と書いた札を掛けた。


 厨房はそのままの状態で置いておいても構わないだろう。でも新しい人に入ってもらうからには、少なくとも居室部分は荷物を空っぽにしないといけない。


 ずっと何となく整理せずにそのままにしていた、父と母が暮らしていた部屋の整理に思い切って取り掛かることにした。


 私は使わないものばっかりだけど、遺品だし、ゴミとして処分してしまうのはやっぱり良くない気がして、ずっと気後れしていたのだ。


 箪笥を上から順番に整理していこう。下着や肌着類は仕方ないのでゴミに出すことにする。その他の着れそうな服は古着屋さんに持って行くつもりで箪笥から出して段ボールに詰める。


 その作業は段ボールが3個出来ただけで、あっけなく終わってしまった。たったこれだけ?


 その他、押し入れやら鏡台やらを整理したけど、布団と、ほんの少し遺品といえるものと言えば、お母さんの化粧品やアクセサリーが少し、お父さんの腕時計とライター、眼鏡くらいだった。腕時計は長針と短針と秒針があるアナログ式のもので、当然ながら動いてはいなかった。


 そう言えばお父さんはタバコが好きだった。私はタバコの煙が嫌いで、お父さんがタバコを吸い始めると絶対に近くに寄らなかった。


 たったこれだけの持ち物で、両親は日々を暮らしていたのかと思うと、なんだか哀れな気さえしてくる。別に貧乏ってことはなかったと思う。二人にはこの店を切り盛りすることが生活のすべてだったのだろう。旅行に行くよりも店でお客さんを迎えていることの方が楽しかったのだろう。


 箪笥の一番下の引き出しの奥からアルバムが数冊出てきた。二人の若いころの写真が収められているのだろうか。そう言えば、両親の若いころの話なんて聞いたこともない。馴れ初めとか、どちらからプロポーズしたとか、どんなセリフだったとか。普通の家庭なら子供にそんなことを話すのだろうか。そしてみんなで笑いあったりするのだろうか。私には普通の家庭が分からない。


 表紙には番号を書いた紙が貼りつけられているので、まずは「1」と書いたアルバムの表紙をめくってみた。


 そこには赤ん坊を抱いた両親がカメラに向かって笑っている写真が貼ってあった。その写真の下には私の生年月日とともに「女の子誕生。歩海と名付ける」と説明書きがあった。それから順々に成長する私の写真には必ず日付と場所と何か一言が添えられている。


 幼稚園の門の前でお母さんと私が並んで写っている。たぶん入園式の写真だ。小学校の校門の横でやっぱりお母さんと私が並んで写っている。小学校入学式の写真。運動会の写真、学習発表会の写真、家の前にビニールのプールに水を張って遊ぶ私の写真、お正月に着物を着て初詣に出かけている写真、誕生日ケーキに年齢分のローソクを立ててもらって吹き消している写真、小学校の卒業式、中学校の入学式……


 なにこれ、入学式、卒業式、運動会、学習発表会なんてお父さんもお母さんも一回も来てくれたことなかったはずなのに。私が忘れていただけなのか。アルバムの写真は私の高校入学の写真で終わっていた。


 来てくれてたんだ!お店は休めないから二人揃ってではなかったかもしれないけど。忙しくてずっとはいられないから顔を見せなかったんだ。顔を見せたら「帰らないで」って私が駄々を捏ねるのが分かっていたから。


 きっと両親は私よりお店のほうが大事なんだって思っていた。私になんて興味がないんだろうって。でも、でも……ちゃんと愛されていたんだ!


 そう思った瞬間、嗚咽が漏れそうになって思わず口をおさえた。でももう止められなかった。


 私は両親が死んでこれまで、そのことで一度も涙を流したことがなかった。今になって、本当に今頃になって、初めて大声で泣いた。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ずっと気づかなくて。もっと優しく接したらよかった。いっそ不満をぶつけていたらもっと早くに気づけていたのかもしれない。馬鹿な娘でごめんなさい。


 すべての荷物の始末が終わったのは8月もぎりぎりの30日だった。

 今日、私は生まれ育って23年暮らしたこの家を出ていく。がらんとした両親の部屋に立って心のなかで呟いた。


 お父さん、お母さん。私行くね。この店守れなくてごめんなさい。でも店はなくならない。他の人が継いでくれる。私は私の信じた道を歩いていきます。きっと幸せになる。これからも応援してね。


 財布やスマホの入ったポーチを斜め掛けにし、身の回りの物が入ったバッグを車に積み、店に鍵をかけ、私は神戸に向かって車を発進させた。


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