第11話 また会う約束

 年が明け、2月。中国の人は2月に新春を祝う。中華街は日本より一月遅れのお正月気分で賑やかになる。


 そして春。孫さん一家と鍼灸院の孫先生も一緒に須磨離宮にお花見に行った。孫パパと孫先生は二人とも酔っぱらって、何やら中国語で楽しそうに話していた。酔うとやっぱり母国語になるらしい。


 そしてまた夏がやって来る。ルアン、レイナと一か月余りも離れ離れになる。もう覚悟はしている。去年みたいに拗ねたりだけはしないようにしよう。


 夏が近づくにつれ、ルアン、レイナは寂しそうな様子を見せることが時々あった。二人とも私と離れることが寂しいのかなと思うと、ちょっと嬉しくなる。


 私は二人が夏休みにキッチンカーで旅に出てしまう前に実行しようと考えていたことがあった。7月に入ったばかりのある休日の日曜日、私はそれを実行するべく、二人を誘った。


「ルアン、レイナ。今日はちょっと時間あるかな?」

 朝ごはんを食べながら私は二人に話しかけた。本日のルアンとレイナの朝ご飯は、食パンを焼いてその上に焼いたベーコンと目玉焼きを乗せたものに、オレンジジュース。ミニトマトを付き。


「うん、いいよ」「暇だよ~」

 二人が食パンを齧りながら答える。目玉焼きの中身がトロリと出てきて、あわてて零れないように舌で舐めている。かわいい……


「二人にプレゼントしたいものがあるんだけど」

「へえ?何?」「何?」

「よかったらなんだけど、指輪、ちゃんとしたやつ。三人でお揃いでどうかなって。夏休みに旅行に行っちゃう前に二人に付けといて欲しいと思って」

 二人が食べる手を止めて目を合わせる。困ってるの?


「いやいや、やっぱ重いかな。嫌だったらいいの。押し付けるようなもんじゃないし」

 あはは、忘れていいよって誤魔化そうとした。


「ううん、うれしいよ。レイナ、欲しいな。婚約指輪だよね!」

「ほんと!?」

「ルアンだって欲しい!当たり前じゃん」

「ほんと!?じゃあこれから買いに行こうよ。三宮あたりのお店めぐりしてさ」

[うん!」「行こう!」


 宝石店や百貨店の宝石売り場を何件か回った。三人お揃いの指輪を探してますって、お店の人はどう思っただろう、私たちの関係。姉と歳の離れた双子の妹ってところかな。姉妹で同じ指輪って、普通あんまりなさそうだけど。


 さんざん迷って、結局最初の店に戻った。私たちが選んだのはシンプルなシルバーの指輪だった。それにネームを入れてもらう。


 指輪は大人のサイズしかないので、子供用にするにはサイズを縮めないといけないらしいが、小さくはできるけど、この先成長しても、サイズを大きくすることはできないらしい。


「どうする?」

 私たちは思案した。子供の成長ってあっと言う間だし。


「今はネックレスにしておいて、大きくなられたときに指輪としてサイズ直しされてはいかがですか?」

 お店の人が提案してくれた。


「シルバーは曇りますが、この保証書と一緒にお持ちいただければ、いつでも無料で磨かせて頂きますよ」


「保存液もありますが、あれは表面を溶かしてしまうので使わない方がいいでしょう」


 二人の分はその場でチェーンを取り付けてネックレスに仕立ててもらうことにした。


「やったー、やっと決まったね」

「ありがとう、歩海。大事にする」

 二人とも本当に嬉しそう。よかった。


「あのさ……」

 二人が目配せしている。さっきまでの嬉しそうな笑顔が曇る。

「何?」

「あー……暑いからさ、アイス食べたいなー」

「あー、いいね。レイナも食べたーい」

「よし、じゃあ地下街に降りようか。涼しいし」

「わーい」と言う二人は、もう元の表情だ。何か誤魔化された気もするけど、問い詰めるようなことはしたくない。何となく感じた違和感を私はそのまま忘れてしまった。


 7月も半ばを過ぎて、そろそろ夏休みに入るはず。学校はアクセサリー禁止なので、婚約指輪のネックレスはケースに入れているが、家にいるときや休みの時は必ず身に着けてくれている。私も左手の薬指に嵌めたままだ。


 こうしていると、離れていてもいつもお互いを感じていられるような気がする。だから離れていても寂しくない、と思うことにした。


「今年はいつから旅に出るの?もうそろそろだよね」

 二人はリビングのテーブルに何やら本を広げている。

「うん……」

 二人とも黙り込んでしまう。やっぱり何かおかしい。


「歩海は私たちが夏休みの間どうするの?」

「私はいつも通りだよ。仕事もあるし、夜間の学校もあるし」

「旅行に行ったりしないの?」

「うーん、別に予定ないし。突発的に日帰りで出かけることはあるかもしれないけど」

「ふーん」

 そう言うと、二人はまたテーブルの上の本に目を落とす。


 やっぱり何か誤魔化している。隠し事をされると悪い方向にばっかり想像が向かう人っている。まさに私がそれだ。


 真っ先に浮かんだのは、旅に出たままもう帰って来ないという想像だ。孫パパはキッチンカーで世界中を旅して回るのが夢だったと以前にルアンが言っていた。日本で娘を育てると決めたとき、その夢は諦めたと聞いている。その替わり、夏休みだけは家族みんなでキッチンカーで旅行するのだと。


 孫パパがやっぱり夢を諦められなくて、二人を連れて行ってしまう、なんてことも無いとは限らない。


 それに、二人は最近私のところに入り浸って、孫パパのところへあまり戻っていないように見える。それが孫パパには不満だったのかも……


 いよいよ明日から夏休みだ。ルアンもレイナも相変わらず私の部屋にいる。


 今朝、私が目を覚ました時、となりに眠っているはずの二人がいなかった。

 まさか!

 私は飛び起きた。あの想像が一気に頭に蘇る。


「ルアン!レイナ!」

 名前を呼びながら他の部屋をのぞき、最後にリビングに飛び込んだ。やっぱり、いない……


 まさか本当に行っちゃったの?私に何も言わなかったのは、きっと言い出せなかったからだろう。


 置手紙もないし、メールもない。私はリビングに呆然と立ち尽くしていた。


 こんなのってないよ。黙って行っちゃうなんて……

 涙が溢れて床にポタポタと落ちた。私はそれを拭うこともできず、ただ流れるに任せているしかなかった。


 扉がカチッと開く音。

「ただいま~」

 シンクロした二人の声。


「ルアン!レイナ!」

 私は玄関に向かってリビングから飛び出した。


「あれー、歩海、もう起きたんだ」

 何事もなかったかのような、いつも通りの二人。婚約指輪のネックレスもちゃんと着けている。それを見た途端、全身から脱力して玄関にへたり込んだ。


「歩海!どうしたの?」

「大丈夫?」

「何で泣いてるの?」

「もーーー、びっくりさせないでよおーーー。二人とも私に黙って行っちゃったのかと思ったよーーー」

 笑われるかと思ったが、二人は真剣な顔で私を見つめて、


「行っちゃった……」

 ぽつんとルアンが呟いた。

「え!?」

「パパ、行っちゃった」

 二人は玄関で立ったまま泣き出した。


 訳がわからないまま、一気に立場が逆転。私が二人を慰めることになった。

 まず理由を問いたださないといけない。


 三人でリビングのテーブルを囲んで座る。私は冷たい麦茶を入れたコップを三人分持って来て、それぞれの前に置いた。


「パパが行っちゃったって、どういうことなの?」

「春頃からパパ言ってたんだ」

「私たちも手を離れたから、もう一度キッチンカーで世界を旅することにしたって」

「今日出発するって言ってたからお見送りに行ったら……」

「パパ、もう出発してて……店には誰もいなかった」

「パパ、私たちに黙って行っちゃった……」

 二人はまた泣き出した。


「店のカウンターの上にこの手紙置いてあった」

 それは私宛の手紙だった。私はさっそくその封筒を開いた。


『歩海さんへ。

 ごめんね。私やっぱり夢を諦められない。

 今まで娘いたから忘れたふりしてたけど、二人とも私の手から離れてみると(想像以上に早く離れてしまったけどね)、昔の夢がどうしようもなく胸に広がってきた。

 これは私だけでなく、亡き妻の夢でもあるのです。

 ルアンとレイナには言ってなかったけど、二人の本当のお母さんはもうこの世にはいません。

 拉致されて、助けられないと分かったとき彼女言った。「殺して」と。私はこの手で妻の首を絞めて殺した。

 このことどうしても娘たちには言えなかった。そのことがとても苦しかった。だから申し訳ないけど、歩海さんに託します。

 いつか娘たちに話してください。父が詫びていたこと、でも後悔はしていないことを。

 ルアンとレイナのこと、よろしくお願いしますね。

 二人の養育費は私の銀行口座に振り込むので、必要なだけ引き出してください。

 行きっぱなしにはなりません。いつか戻ってきます。

 ですからさよならは言いません。

 また会いましょう。

           孫パパ、ママ』


 読み終わって、しょんぼりする二人を私はどうやって励まそうかと頭をひねった。


「ずっと行きぱなしにはならないって書いてあるよ、また戻ってくるって。だからさよならは言わない、また会いましょうって書いてあるよ。永遠に別れる訳じゃないよ。三人で待っていようよ」


「うん……」

 うう、あんまり響いていないらしい。何て言えば元気になってくれるかな……


「今、ママのお腹に赤ちゃんいるの」

「え!?そうなの?」

「そんな状態のママ連れて行くなんて、パパひどいね」

「うん、赤ちゃん連れて世界中キッチンカーで旅するなんてね」

「それって私たちのときと一緒じゃん」

「それが心配なんだ」

「あんなおっさんどうでもいいけど、ママと赤ちゃんは無事に戻って来て欲しいね」

「うん、そうだよね」

 二人が結構ひどいことを言った。そして私たちは三人でふふっと笑った。

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