15.コンテンポラリー・アイロニー


 ショッピングモールのパーキングはとても閑散としていた。平日の真昼間ということもあるのだろう、普段から人気の多い商業施設も落ち着いた客入りのようで、駐車スペースに困ることはなかった。

 

 まさか、このモールにもう一度来ることがあるなんて思いもしなかった。しかも、よりにもよって会社の同僚と、ほぼ職務放棄する形で来ることになるだなんて。

 ミヤマは手慣れたハンドルさばきであっという間に駐車を終えると、さらに手慣れた手つきで社有携帯を取り出し、電話を入れる。おそらくはトニムラか、彼に近い役職者に宛てたものだろう。


 電話が繋がると同時に彼女は半休を取ることを伝え、それからしばらく揉めに揉めていた。


「だから、取引先が良いって言ってるんだからいいじゃないですか、あと私、先週キャンセルされた有給まだ許してませんからね……トラブル対応とか言って、行ってみたらオンラインミーティングで十分だったじゃないですか。会社が小さいからってなんでもかんでも受けるものじゃないですよ」


 車内でしばらく彼女の半分愚痴の混ざった問答を聞いていると、突然声色が変わった。背筋も伸びているところを見るに、トニムラだろう。彼女はしばらく「はい」を繰り返し、それから僕をチラリと見た後深いため息をつき、僕に携帯を差し出した。


「トニムラさんです、ヨドノさんに事情聞くって」

「ありがとう、代わる」


 一度熱くなった彼女を冷静にさせるのはいつも彼だ。受け取った電話を耳に当てると、聞き馴染みのある声が聞こえた。


「−−ヨドノさんですか?」

「悪いね、ミヤマさん巻き込んで」


 彼は軽く笑い、気にしないでくださいと答えた。


「いや、全然。むしろ個人的には流石ミヤマって感じですから。ヨドノさんのパーソナルな部分にここまでズケズケと踏み込める人なんていないでしょ」

「まさかここまでされるとは思わなかったよ。まさか狙って?」

「いや、流石にそんなつもりはなかったです。偶然です」


 ただ、と彼は落ち着いた口調で続ける。


「最近のヨドノさん、ひどく乱れていたから心配はしていたんです。ほら、前に言ってたでしょう? “生きる為に今一番ちょうど良いのが、この場所だった”って。あの言葉、俺結構好きだったんですよ。で、それが崩れた後だったから」


 よく覚えているなと思う。約一年前、クライアントの語る想いのない要望に憤っていた彼との会話で出た何気ない一言だ。彼を宥めている最中にふと問答の中で浮かんだ一言にすぎないのに、そんなものをまさか、気に入っていただなんて思いもしなかった。


「あの時は僕の考えに対する反語だと捉えていましたけど、あれ、恋愛とかに当てはめたらロマンチックだと思うんですよ。二人が生きる為なら、世界がどうなってもいい。みたいな感じて」

「そう、かな」

「あ、ヨドノさん照れてますね」


 真面目さが売りのトニムラが、こんなにもフランクに会話をしてくれている。彼なりのその気遣いがとても有難かった。同時に、それだけ周囲から見えていた自分の姿がひどく痛々しく見えていたことを思うと、申し訳なくて仕方がなかった。


「今日は二人とも休みにしておきます。ヨドノさんの気が晴れて、いつものパフォーマンスに戻るなら些細なことです。まあ、ミヤマには後でキツく言っておきますけどね」

「お手柔らかに頼むよ」

「ミヤマも結構気にしてますからね、ヨドノさんのこと。うちに入ってきて、ここまで彼女が懐いているのは貴方くらいですから」


 じゃあ、と言って彼は通話を切った。しばらく画面を見つめ、やがてミヤマに携帯を返すと、今日の午後が休みになったことを伝えた。


「気が晴れるまでやってこいってさ。まあ、ミヤマには後でトニムラから一言あるそうだけど」

「あの人、怒らないけど言葉で詰めてくるから怖いんですよ」

 以前も似たような無茶をやらかしたのだろう。ミヤマは運転席に身体を預けると両手で顔を覆い、声にならない悲鳴を呻くように上げる。


「人間、冷静が一番だって学べたと思うことだね」


 まあ、と僕は不安げな彼女に笑いかける。


「踏み込まないと進まないこともあるだろうから、そこは使い分けだろうけど」



   ○



 ミシマの働く店を訪ねる前に昼食を挟みたくて、僕たちはまず飲食フロアに向かった。

 別にフードコートでも良かったのだが、せっかく外勤なのに大した食事ができないのはモチベーションに関わるとミヤマに強く言われ、結局押し通されてしまった。あと奢ります、というついでの言葉を聞くに、僕への気遣いもあったのだろう。


 飲食フロアまでエスカレーターで上がると、すぐ目の前にイタリアンの店が見えた。二人とも店を選り好みするようなこだわりもなかったので、目に入ったその店にすぐ決まった。席に案内されて、案内されたランチメニューからそれぞれメインとドリンクを注文する。

 注文を終えると、向かい合ったまましばらく無言の時間が続いた。


 いつもの外出なら、すぐに軽快な口調で他愛もない話か、仕事の愚痴か、ともかくカジュアルな話題を次々と投げ込んでくるのに、今日に限って彼女は小さくまとまっている。


 改めて思う。僕や社員達が見ている普段のミヤマアカネは、彼女なりに作り上げた外行きの姿なのだろう。




 ミヤマアカネという女性について改めて考えてみる。


 知っている限りの表層的な情報を挙げていくと、“明朗快活な女性である”という印象にみなたどり着く。だが彼女のことを解き明かすにはそれだけではいささか物足りない気もする。


『私は私ができる限りのことをやります、どうかそれが、皆さんにとって利益に繋がりますように』


 ミヤマアカネが入社してまず発した言葉がそれだった。


 風貌は至って普通だったと記憶している。紺のジャケットとワイドパンツに身を包み、明るめの茶髪をバレッタでまとめあげ、耳元と首元にはシンプルで派手すぎないアクセサリーを着けていた。清潔感があり、人当たりの良さを感じる女性だった。フレッシュな女性が入ってきたとはしゃぐ男もいたほどだ。


 だが、その印象は彼女が真剣な面持ちで放った一言によって見事に打ち砕かれた。その言葉を聞いてトニムラは吹き出していたし、役員達も呆れた笑いを浮かべていた。十数人程度の社員達はそのキャラクターの強さを感じさせる言葉に戸惑い、フレッシュな女性社員という印象から一転、アクの強い奴が増えた、という印象へと変わった。


 立ち上げてまもない会社だ。そんな会社に在籍してくるのは、皆どこかしら特徴のある人間が多かった。特に営業員達は一筋縄ではいかないキャラクターがほとんどだ。特に、トニムラを含めた役員がただのフレッシュな新入りを取るわけはないということは想像に難くなかった。


 だが、彼らは大抵はじめはその顔を隠して入って、徐々にその片鱗を見せていたから、彼女のように初手から思い切った行動に出るようなことはなかった。


“彼女が果たして本物なのか、偽物なのか。”


 入社してまもなく話題となったこの議論はやがて、ミヤマアカネの実績という形ではっきりと結論がついた。縦横無尽に仕事場を駆け巡り、自分の仕事の為なら遠慮なくアクセルを踏み倒し、踏み込み、どこにでも首を突っ込む破天荒な姿は、気がつけば彼女の特長となり、会社の武器にもなっていた。


−−ミヤマアカネが踏み込めば、そこに道ができる。


 彼女に対する評価として、そんな言葉を口にする者もいるほどだ。


 だが、僕はその全てを肯定することができなかった。恐らくそれは、僕が彼女の受け持つ仕事の一端を受け持っていたこともあるのだろう。




 ある商談の前、彼女はその会社の情報や話題を反芻していた。仕事と交通状況と体調とが全て運悪く重なった日のことだった。多忙に加えて体調を崩していたこともあり、パフォーマンスが落ちに落ちていた時期で、恐らく事前準備の時間も不十分だったのだろう。ミヤマにとって都合の悪い状況が全て重なった日に、偶然僕が同行することになった。


 昼食もコンビニでの食事に切り替え、彼女は栄養ドリンクを片手に一心不乱に訪問先の情報を食べ続けていた。移動中は相手の応対も含めたロールプレイングを小声で反芻し、僕が隣にいることも気にせずひたすら言葉をぶつぶつと呟いていた。これまで見ていたのびのびと明るい彼女の印象とは全く違った彼女の姿が、そこにあった。


 ただ、彼女はそこで折れず、精一杯の仮面を身につけた。


 先ほどまで不安な表情と軋むような腹痛に震えていたのに、エレベーターに乗って一度深く深呼吸を行い、上階のボタンを押すと同時に背筋を正し、震えも痛みも何もかも外見から消し去ってみせた。

 恐らくメンタルを切り替える彼女のルーティーンがどこかにあったのだと思う。それからミヤマはいつもの自信に満ちた笑顔を浮かべ、期待の新人ミヤマアカネを小一時間見事に演じ切ってみせた。


 商談はいつも通り彼女の独壇場だった。自由爛漫で快活に喋る彼女に乗せられ、相手は上機嫌に要件を伝え、彼女は僕に構築可能かその場で確認した上で、相手のメリットとデメリットを汲み上げ、余白を加えた“最適解”を提案し、その余白に相手を誘導してみせ、彼女の構築した式の流れに沿う形で案件を見事に取りまとめた。


 エレベーターまで見送られる中で、取引相手は何度もミヤマさんで良かった、と上機嫌に繰り返していた。それがリップサービスなのか本心なのかは分からない。だがそれを聞いた彼女は分かりやすく喜び、飛び跳ねていた。


「ぜひ、何かお困りごとがあったら言ってください」


 そう明るく答えるミヤマを見て、商談相手は満足げな笑みを浮かべ、別れ際まで笑顔で手を振っていた。


「いやー、良かったですね。つつがなく済んで」


 エレベーターが閉まると、彼女は僕にそう笑いかけた。

 緊張が解れて痛みがぶり返しているのだろう。肩掛け鞄を背負い直すと、その手を自分の腹部にあてている。顔色も一瞬で真っ青になり、額には脂汗が浮いていた。


 僕や、社内の人間が抱く彼女の印象は、彼女が戦う為に身につけた役柄でしかないことをここで初めて知った。


 自分の外見と、その外見から想像させるミヤマアカネという印象から逆算し、自分の持てる限りのパフォーマンスで表現する。まるで舞台上に立つ役者のように。無敵で才能に溢れているように思っていた彼女が、途端にただの人間だったことに僕はその時気がついた。


「あのさ、ミヤマが弱いところを見せたくないのなら、別にこれからは現地集合だって構わないよ」


 帰り際、僕がそう言うと彼女は目を丸くして僕のことを見ていた。


「どうしたんですか、突然」

「いや、だってさ、入社の挨拶の時に言ったのって、本音だろ?」



−−私は私ができる限りのことをやります、どうか皆さんにとってそれが利益に繋がりますように。



 僕はあの時彼女が口にした挨拶が、突飛な発言でも、不遜なものでもなく、ただひたすらに、愚直に自分の全てを顕したものであることを知った。


 彼女のプロフェッショナルさを守る為に僕ができることがあるとすれば、それは楽屋に立ち入らないことではないか。誰かがそこに立つだけで休む間もなく演じてしまったら、彼女は一体どこで休めるだろうか。


「トニムラにも言っておくよ、それなら問題ないだろ」

「……ヨドノさんは優しいですね」

「優しい?」


 そうですよ、と彼女は頷いた。


「私なんかより相当大変な道を行ってます。それ、すごい疲れるでしょ」


 密やかな、少し冷たい声で告げられた言葉を聞いて、僕は彼女を目で追った。だがその時にはもう、ミヤマはいつものミヤマに戻っていた。


「会社に戻りましょうか、あ、別に同行は一緒でいいですから。今日は本当にイレギュラーな出来事が重なっただけなんで。それに、まあもう見られちゃったんで、ヨドノさんなら別に気にしません」


 そう言って彼女はにこやかに笑うと、僕の隣に近づくと並んで歩き出す。背筋をぴしゃりと伸ばし、ランウォークでもするみたいに姿勢のいい歩き方で。




「ヨドノさん、聞いてます?」


 ハッとして顔を上げると、向かい側でミヤマが困った表情を浮かべていた。見ると隣にホールスタッフが立っていて、端末を手に同じく困った表情を浮かべていた。


「何?」

「何じゃないですよ、ヨドノさんが頼んだパスタメニュー、期間が終わってたらしいので、他を頼んでください」

「ああ、じゃあカルボナーラで」


 ようやくメニューが決まったとスタッフは安堵の表情で去っていった。対してミヤマは、頬杖をついたまま深いため息をつく。


「やっぱり、無理やりすぎましたかね」

「何が?」

「元カノさんの仕事場に突撃するなんて」


 僕は笑った。


「今更すぎるだろ」

「いや、それはそうなんですけど、今もずっと考え込んでいましたし」

「ああ、ごめん。全然違うことを考えてた」

「なんですか、それ」


 ミヤマは不機嫌そうに口を尖らせた。


 やってきたサラダを受け取り、ドレッシングをかけて彼女はぶつぶつと呟きながらも食べ始める。僕も追ってサラダに手をつける。ピリッとした玉ねぎの風味とクルトンの食感がとても良かった。


「前にさ、ミヤマに現地集合でもいいって話をしたの覚えてる?」

「覚えてます。というか忘れられませんね」


 そう言って彼女は淡々と食事を続ける。僕も構わず会話を続ける。


「その時にミヤマが言った言葉を唐突に思い出してさ。大変な道だって言ってたけど、どうしても僕にはそうは思えなくて。ミヤマの方がずっと、日々大変な道を行ってると思うから」

「私はまあ、負けない戦い方をしたいってだけですから。流れを構築さえ出来てしまえばそんな大変でもないです。というか他の人も当たり前のようにやっていることだと思います」

「そうかな」

「そうですよ、だって皆、自分のことで手一杯なんですから」


 彼女は食べ終えたサラダの皿に音を立てずフォークを置き、ナプキンを手に取ると、口を拭いた。丁寧で無駄のない所作だった。


「損なんてしたくないし、なによりも自分を大切に生きたいんです。だから、自分の両手に収まるくらいの範囲でなんとかしている。もがいてるんです」

「自分の為に」

「そう、自分の為です。でもヨドノさんは、他人を生かす為に生きている。自分よりも誰かのことを考えて。そんなの大変に決まってますよ、だって自分が救われることを勘定に入れてないんですから。何事も自分が救われてこそですよ。人間って、報われない結果を追い求められるようにはできていないんです」


 彼女の言葉に、僕は何も言い返せなかった。


 その後にやってきたパスタを、僕と彼女はほとんど無言で食食べた。


 何度か当たり障りのない言葉は交わしたと思うけれど、よく覚えていない。いや、覚えている暇がないといった方がいいのかもしれない。どちらかといえば店内の会話とか、カトラリーが食器にぶつかる小さな雑音の方がよく聞こえた。カルボナーラの濃厚な卵とクリームの味と、微かに芯の残ったフェットチーネパスタの歯応えを感じながら、僕はずっと彼女の言葉を脳裏で反芻していた。


−−人間は、報われない結果を追い求められるようにはできていない。


 僕は、本当に救われるつもりがないのだろうか。



  ○



 ジュエリーショップからほんの少しだけ離れた場所から僕たちは様子を見る。普段から需要の多い店でもないのだろう。店は閑散としていて、暇を潰すようにスタッフ達が陳列を直したり、手帳を見ていたり、入荷した製品のチェックをしたりとルーティーンに勤しんでいる。


「私、本当に一緒に行ってもいいんですか? ここから見ててもいいんですよ」

「男一人で入るよりも幾分かは楽だよ。むしろいてくれないとこっちが不安になる」


 ミヤマも緊張しているようだった。自分が巻き起こした顛末がどうなるのか、本人が一番予想できないのだから、当たり前だろう。


「……すみません、私の身勝手な行動で」

「今更だろ。それに、いつかはどこかで会う必要があったと思うし、それが今日だっただけだ」


 僕は一呼吸間を置いて、続ける。


「自分が報われるつもりなく日々を過ごしていたのか、言われてからずっと考えてるんだ。彼女との関係がというより、根本の問題はそこにあるんじゃないかって。だから、もう会って話すしかない。話してどうしようもないなら、その時は今度こそ諦めるしかない」


 諦める、とは何をだろうか。


 ミシマのことなのか、僕のこれまでの在り方なのか。そらすらもまだ明白になっていないというのに、一体何が結論つけられるのだろう。


「さあ、行こう」


 それでも動き出した歯車は止められない。


 僕はミヤマを連れて僕は店に足を踏み入れる。


 店内は、一年前となんら変わらない光景だった。与えられた区画を最大限使う為にぴっちりと並べ置かれたガラスケースの中に、煌びやかなジュエリーが並んでいる。同時に、低価格のアクセサリーがそのケースの上に雑多にかけられて置かれていた。

 店員たちは僕たちを見てにこやかにお辞儀をすると、それぞれ目配せをしていた。男女の来客ということもあって、様子を見ながら慎重に声をかけるつもりなのだろう。


 店内を見回すが、そこにミシマの姿はない。休みだろうか。入店すれば案外早く話がつくと思っていたから、これは想定外だった。


「ヨドノさん、いましたか?」

「いや、いない」

「どうします?」

 ミヤマの言葉を受けて、僕は考える。


 出直すべきだろうか。


 でも今後、僕がこの店を一人で訪れるチャンスなんて果たしてあるだろうか。ミヤマに強引に連れてきてもらったからこそ実現したきっかけを、このまま不意にしてしまったら、それこそ一巻の終わりだ。


「あの、すみません」

「はい、いかがされましたか?」


 どちらにせよ、ダメだったのならそこまでだ。それに、ダメだったとしてここに来ることはもう二度とない。赤っ恥をかいたとしても、僕に損はないのなら、もういくしかない。


 ふと、そこにミシマの恥を勘定に入れていないことに僕は申し訳なさを感じた。


 感じると同時に、どうして僕が感じなくてはいけないのだろう、という想いが脳裏を過ぎる。元を辿れば、これは彼女とリョウヘイと、マサトの三人が始めた物語の筈だだ。


 そう、ずっと胸の奥に感じていた疑問はそれだった。


 どうして僕が、三人の問題に一番心を裂くことになってしまっているのか、という。


「ミシマキョウコさんは、今日はお休みでしょうか」

「ミシマ、ですか……少々お待ちください」


 声をかけられた店員はミシマの名前を聞いて、少し複雑そうな顔をした後、僕とミヤマの顔を見てから奥へと下がっていってしまった。それからカウンターの奥にいる女性に声をかけ、二人になって戻ってきた。


「すみませんがミシマは異動になりまして、別の店舗の配属になっています。何かお約束をされていましたでしょうか」


 話し始めたのは、連れ添ってきた中年の女性の方だった。ネームプレートの肩書きを見る限りどうやら店長らしい。


「ああ、いえ、彼女の知り合いで、近くを寄ったので少し話がしたくて。すみません、客ではなくて」


 僕の返答を聞いて、彼女は怪訝な表情で僕を見た。彼女はしばらく僕とミヤマのことを交互に見た後、先ほどまでの柔和な表情から一転、姿勢を正すと少し強めの口調でこう言った。


「恐れ入りますが、ミシマは既に異動しており、別の店舗の配属になっています。それ以上私からお伝えできることはございません」

「どこの店舗に行ったかは……」

「お答えできません」


 とりつく島もないといった様子に、僕は戸惑う。


 一体ここで何があったのだろうか。


「あの、すみません。私、彼の相談を受けてここに連れてきたんです」


 緊張したムードを崩したのは、ミヤマだった。彼女は毅然とした態度の店長にゆっくりとした口調で、丁寧に説明を行なっていく。


「なんとなく、ミシマさんという方がここで何かあったことは察しているのですが、おそらくそれは私たちとは別のものではないかと考えています。どうか少しだけ、お話だけでも聞いていただくことはできませんでしょうか」


 慎重に、丁寧に。彼女はなるべくことを荒立てない道筋を探るように話している。彼女を連れてきて本当に良かった。おそらく僕だけだったら、為す術なく門前払いで終わっていたことだろう。


「お仕事中に押しかけてしまったこと、大変申し訳なく思っています。ただ、できれば、五分だけでもいいので、お時間をいただけませんか」


 ミヤマの言葉に店長はもう一度僕と彼女を見て、それから緊張した面持ちを解くと、次は困惑した顔で聞いた。


「イガラシ、という名前に聞き覚えは?」


 僕とミヤマは顔を見合わせた。その反応を見て彼女は深くため息をつくと、いいでしょう、と答えた。


「店のすぐそばにフリースペースがあります。そこで少し話しましょう。ただ、あなた方の理由を聞いてからです。私も社員を危険に晒すことはできませんから、答えるべきではないと判断したことはお伝えできません」

「それで構いません。今の彼女がどうしているか分かるだけでも、とてもありがたいです」


 店長は店内のスタッフたちに一声かけると僕とミヤマを連れてモール内のスペースへ案内してくれた。本当に歩いてすぐのスペースで、適当に並べられた円卓のいくつかは暇を持て余す学生や子連れの家族で埋まっていた。


 彼女はそのうち隅の一席を確保すると、僕とミヤマをそこに座らせた。


「すみませんね、ミシマは数ヶ月前、お客様とのトラブルに巻き込まれて、異動しています」

「巻き込まれた、ですか?」


 彼女は頷く。


「ミシマに責任はほとんどありません。どちらかといえばそうなるまで放置していた店側に責任があります」

「あの、一体何があったんですか?」


 ミヤマの問いかけに、しばらく彼女は言うべきか迷っていた様子だったが、しばらくして息を深く吐くと、こう告げた。


「ストーカーに襲われかけたんです、彼女は」

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レモンサワーの雨が降る 有海ゆう @almite

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