第6話

夜の静寂が門司港の街を包み込む中、香織と涼介は白南風病院の薬剤部で、鷹野健から得た分析結果を手にしていた。微量の混入物質が亜沙美の死に関与している可能性が浮上した今、二人の心には新たな疑念と焦りが芽生えていた。


香織は、ふと自分の心拍が速まっていることに気づいた。彼女は深呼吸をし、冷静さを保とうと努めた。目の前の真実が少しずつ明らかになる中で、彼女の心には、亜沙美の家族の悲しみと彼女自身の探偵としての使命感が入り交じっていた。


「涼介、次のステップは製造元と流通経路の調査だ。混入がどの段階で起こったのかを突き止める必要がある。」香織は鋭い目で涼介を見つめた。


涼介は香織の目を見返し、力強くうなずいた。「了解した。まずは製造元に連絡を取って、詳細な製造過程を確認しよう。それから流通経路も洗い直そう。」


二人は早速、薬の製造元である大手製薬会社「森川製薬」に連絡を取り、製造過程と流通経路に関する詳細な情報を求めた。その翌日、香織と涼介は森川製薬の本社を訪れるために、北九州市内のオフィスビルへ向かった。


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製薬会社のオフィスは高層ビルの一角にあり、内部は洗練されたデザインで、最新のセキュリティシステムが導入されていた。受付で来訪を告げると、担当者が二人を会議室へ案内した。広々とした会議室には大きな窓があり、街の景色が一望できた。


「お待たせしました。私は製造部門の責任者、黒田です。」黒田信彦(くろだ のぶひこ)は、落ち着いた物腰で自己紹介をした。彼の眼差しには冷静さと自信が感じられた。


「三田村・藤田探偵事務所の三田村香織と申します。こちらは藤田涼介です。亜沙美さんの件でお話を伺いたいのですが、詳細な製造過程について教えていただけますか?」香織は丁寧に依頼した。


黒田は資料を広げ、製造過程の詳細なフローチャートを示した。「こちらが薬の製造過程の全体図です。各段階での品質管理には細心の注意を払っており、特に混入の可能性については厳重に監視しています。」


香織はフローチャートをじっくりと観察し、各ステップの説明を聞きながら、細かい質問を投げかけた。「この工程で使用される機器のメンテナンスはどのように行われていますか?」


黒田は即座に答えた。「全ての機器は定期的にメンテナンスが行われており、使用前後には必ず点検を行っています。」


涼介は黒田の説明に耳を傾けながら、別の疑問を投げかけた。「先日、薬に微量の異物が混入している可能性があると報告を受けました。それに関する過去の事例や記録はありますか?」


黒田は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに冷静さを取り戻した。「過去に一度、設備の不具合で他の薬品が混入する事故がありました。しかし、それはすぐに対処され、再発防止策も講じられました。」


香織は黒田の言葉に一瞬の不安を感じた。彼の言葉には一貫性があったが、どこか違和感が残る。「その事故の詳細な記録を拝見させていただけますか?」


黒田はため息をつき、資料を取り出して詳細な記録を見せた。「こちらがその時の記録です。混入が発生したのは、一時的な設備の不具合が原因でしたが、全ての薬品が回収され、再製造されました。」


香織は資料を注意深く読みながら、黒田の表情を観察した。彼の目には真摯さが感じられたが、その奥に隠された緊張も見逃さなかった。


「黒田さん、この記録には不備がないように見えますが、混入の可能性を完全に排除することはできないのでしょうか?」香織は問いかけた。


黒田は深くうなずき、重い口を開いた。「正直に申し上げます。完璧な管理体制を目指していますが、人間の手が関わる以上、完全に排除することは難しい場合もあります。しかし、可能な限りの対策を講じていることは確かです。」


香織と涼介は顔を見合わせ、黒田の言葉に信頼感を抱いたものの、まだ完全に納得できる答えを得られたわけではなかった。次のステップとして、流通経路の詳細な調査が必要だと感じた。


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製薬会社からの情報を元に、二人は流通業者「北斗物流」へと足を運んだ。北斗物流は門司港にある大手物流会社で、医薬品の取り扱いには定評があった。


「お待たせしました。私は北斗物流の物流管理部長、山口です。」山口達也(やまぐち たつや)は、快活な表情で二人を迎え入れた。


「三田村・藤田探偵事務所の三田村香織と申します。こちらは藤田涼介です。薬の流通経路についてお話を伺いたいのですが、特に混入の可能性がある箇所について教えていただけますか?」香織は丁寧に依頼した。


山口は物流センターの案内をしながら説明を始めた。「こちらが薬品の保管場所です。全ての薬品は温度管理された倉庫で保管されており、取り扱いには厳重な注意を払っています。」


涼介は倉庫内の様子を観察しながら尋ねた。「薬品の受け取りから配送までの過程で、どのようなチェックが行われているのでしょうか?」


山口は誇らしげに答えた。「受け取り時には、製薬会社からの出荷リストと照合し、品質検査を行います。その後、指定された保管場所に移動し、出荷時には再度検査を行います。」


香織は山口の説明に耳を傾けながら、詳細な質問を続けた。「過去に薬品が混入する事故やトラブルはありましたか?」


山口は一瞬黙り込んだが、やがて重い口を開いた。「実は、過去に一度だけ、保管中に他の薬品が混入した疑いがありました。しかし、それはすぐに発見され、対処されました。」


「その時の詳細な記録を拝見できますか?」香織は冷静に依頼した。


山口は資料を取り出し、詳細な記録を見せた。「こちらがその時の記録です。混入が発生したのは、荷物の積み替え作業中でしたが、全ての薬品が再検査され、問題は解決しました。」


香織は資料を注意深く読み、山口の表情を観察した。彼の目には誠実さが感じられたが、その奥に隠された緊張も見逃さなかった。


「山口さん、この記録には不備がないように見えますが、混入の可能性を完全に排除することはできないのでしょうか?」香織は問いかけた。


「正直に申し上げます。完璧な管理体制を目指していますが、人間の手が関わる以上、完全に混入の可能性を排除することは難しい場合もあります。しかし、可能な限りの対策を講じていることは確かです。」山口の声には誠実さが感じられた。


香織は山口の言葉に信頼感を抱きながらも、まだ解明されていない部分に不安を覚えていた。「ありがとうございます。もう一つお伺いします。保管中の監視カメラの映像は残っていますか?」


山口は即座に答えた。「はい、全ての作業は24時間体制で監視カメラに記録されています。必要であれば、映像を提供いたします。」


「ぜひ、その映像を確認させていただけますか?」香織はお願いした。


山口は頷き、監視カメラの映像を確認するために案内してくれた。香織と涼介は集中してモニターを見つめ、保管から出荷までの一連の流れを追った。


映像の中で、特に問題がなさそうに見える場面が続くが、香織の鋭い目は細部を見逃さなかった。彼女はある瞬間、作業員が不自然な動きをするシーンに気づいた。


「ここをもう一度再生してください。」香織は指示を出した。


山口が指定の場面を再生すると、作業員が薬品の箱を扱う際に、一瞬手元を隠すような動きをしているのが確認できた。香織はその動きを見逃さず、さらに詳しく調査することを決意した。


「この作業員の名前と、その日の勤務記録を確認させていただけますか?」香織は冷静に依頼した。


山口は記録を調べ、該当する作業員の情報を提供した。「この作業員は田中という名前です。勤務記録によると、その日は特に問題なく作業を終えていますが、彼の動きには確かに不自然な点が見受けられます。」


香織は田中の勤務記録を確認しながら、心の中で疑念を深めた。田中の動きが偶然であったのか、それとも意図的なものだったのかを解明するため、彼に直接話を聞く必要があると感じた。


「田中さんに直接お話を伺いたいのですが、今ここにいらっしゃいますか?」香織は尋ねた。


「はい、ちょうどシフト中ですので、すぐに呼び出します。」山口はその場で連絡を取り、田中を呼び出した。


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しばらくして、田中が現れた。彼は中肉中背で、やや緊張した表情を浮かべていた。香織は彼の様子を観察しながら、慎重に話を進めた。


「田中さん、私たちは三田村・藤田探偵事務所の三田村香織と申します。こちらは藤田涼介です。薬品の取り扱いに関する件でお話を伺いたいのですが、お時間をいただけますか?」香織は丁寧に切り出した。


田中は一瞬戸惑った様子を見せたが、やがてうなずいた。「はい、わかりました。」


「監視カメラの映像を確認させていただいたのですが、あなたが薬品を扱っている際に不自然な動きが見受けられました。そのことについて詳しく教えていただけますか?」香織は冷静に問いかけた。


田中は一瞬顔を曇らせたが、深呼吸をして答えた。「あの日、実は機械のトラブルがあり、一時的に手作業で薬品を扱う必要がありました。その際、少し焦ってしまい、手元が不安定になったのかもしれません。」


香織は田中の言葉に耳を傾けながら、その目をじっと見つめた。彼の言葉には真実味が感じられたが、まだ全てを語りきれていないように思えた。


「具体的にはどのようなトラブルがあったのでしょうか?詳細に教えていただけますか?」涼介が追及した。


田中はしばらく沈黙し、やがて重い口を開いた。「実は、機械のセンサーが誤作動を起こし、一部の薬品が他の薬品と混在する可能性がありました。しかし、私はその場で対処し、問題ないと判断しました。」


香織は田中の説明に納得しながらも、彼の言葉の中にある曖昧さを感じ取った。「その時の対応について、上司には報告しましたか?」


田中は目を伏せ、声を絞り出した。「いいえ、私は自分で対処できると思い、報告しませんでした。結果として、それが問題を引き起こしたのかもしれません。」


香織と涼介は顔を見合わせ、田中の告白に重い責任を感じ取った。彼の判断が亜沙美の死に繋がった可能性が高い。しかし、その背後にはさらに深い問題が潜んでいるかもしれない。


「田中さん、ご協力ありがとうございます。あなたの言葉は重要な手掛かりになります。」香織は感謝の意を伝えた。


田中は深くうなずき、苦しげな表情で答えた。「どうか、真実を明らかにしてください。私の過失が彼女の命を奪ったのだとしたら、責任を取る覚悟はあります。」


香織と涼介は田中の言葉を胸に刻み、さらに深い調査を続ける決意を固めた。流通経路の問題が明らかになった今、次は製薬会社と病院内の管理体制を再確認し、全ての真実を解明するための最終ステップに進む必要があった。

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