第3話
門司港の街は静かな午後を迎えていた。古い街並みの中に現代的なカフェやレストランが点在し、新旧の魅力が融合している。香織と涼介は、その中の一軒、桜井翔太がよく訪れるというカフェ「海の風(うみのかぜ)」に向かった。
店内は居心地の良い雰囲気で、木製のテーブルと椅子が並び、窓からは港の風景が広がっていた。カウンター越しに見えるバリスタは、慣れた手つきでコーヒーを淹れていた。
「ここで桜井翔太さんに会えるかもしれません。」香織は静かに言った。
涼介はうなずき、カフェのオーナーに声をかけた。「すみません、桜井翔太さんについてお尋ねしたいのですが。」
オーナーは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻した。「桜井さんなら、よくここに来ますよ。今日はまだ見かけていませんが。」
二人はカフェの一角に席を取り、桜井翔太が現れるのを待つことにした。香織は店内の様子を観察しながら、涼介と情報を共有した。
「亜沙美さんがカルパッチョを食べて体調を崩した。その時に一緒にいた桜井翔太。この二人の関係が事件の鍵を握っているかもしれない。」香織の声には冷静な判断が含まれていた。
「確かに。彼から話を聞くことで、新たな手掛かりが得られるはずです。」涼介は同意しながら、カフェの入り口に目を向けた。
その時、扉が開き、一人の若い男性が入ってきた。緊張した面持ちで店内を見回すと、オーナーと軽く会釈を交わした。香織と涼介は彼に視線を向けた。
「桜井翔太さんですね。」香織が声をかけると、彼は驚いた様子で立ち止まった。
「ええ、そうですが…」桜井は困惑した表情を見せた。
「私たちは三田村探偵事務所の三田村香織と申します。亜沙美さんの件でお話を伺いたいのですが、お時間をいただけますか?」香織の言葉に、桜井は一瞬ためらったが、やがて静かにうなずいた。
「わかりました。こちらでお話ししましょう。」彼は席に着き、香織と涼介に向き直った。
「亜沙美さんとはどのような関係でしたか?」涼介が尋ねた。
「彼女とは大学時代からの友人で、最近は…少し距離を置いていましたが、再び連絡を取り合うようになっていました。」桜井の声には微かな緊張が混じっていた。
「その日、ル・ジャルダンで何が起きたか教えていただけますか?」香織は目を逸らさずに問いかけた。
「亜沙美がカルパッチョを食べた後、急に体調が悪くなりました。彼女は顔色を変えて、息苦しそうにしていました。でも、すぐに大丈夫だと言い、続けて食事をしました。それが最後の会話でした。」桜井の言葉には、彼女を守れなかった後悔が滲んでいた。
「亜沙美さんが体調を崩した原因について、何か心当たりはありませんか?」涼介が続けて尋ねた。
「正直、全くわかりません。彼女は普段から健康で、特にアレルギーもなかったはずです。食事に何か問題があったとは思えません。」桜井は頭を抱えるようにして言った。
香織は考え込むように指を組んだ。彼の証言には嘘はないようだが、何か重要な点を見落としている気がした。
「桜井さん、彼女が最近接触していた人や、何か変わったことはありませんでしたか?」香織は鋭く問いかけた。
桜井は一瞬考え込み、そしてため息をついた。「実は、彼女は最近、ある薬を試していると言っていました。新しい研究の一環で、その薬を試すことに興味を持っていたようです。」
「薬ですか?」涼介は驚いたように問い返した。
「はい。でも、それが何の薬かはわかりません。彼女はあまり詳しく話してくれませんでした。」桜井の声には無力感が漂っていた。
香織と涼介は顔を見合わせた。新しい手掛かりが浮上したことで、調査は新たな方向へと進むことになった。亜沙美が試していたという薬が、彼女の死因に繋がる重要な要素である可能性が高い。
「桜井さん、ご協力ありがとうございます。もう少し調査を進めさせていただきます。」香織は微笑んで言った。
「もちろんです。何かお力になれることがあれば、いつでも連絡してください。」桜井は深く頭を下げた。
二人はカフェを後にし、再び門司港の街を歩きながら、次の手掛かりを追った。亜沙美が試していた薬、その背後にある真実が、徐々に明らかになりつつあった。
「まずは、彼女がその薬をどこで手に入れたのか調べる必要がありますね。」涼介が提案した。
「そうね。白南風病院の医師たちにもう一度話を聞いてみましょう。特に薬剤師の鷹野健(たかの けん)さんに。」香織は決意を新たにした。
二人は再び白南風病院へと向かい、亜沙美の死の真相を解き明かすための新たな調査を開始する。まだ見ぬ真実が、この静かな病院の中に潜んでいることを信じて。
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