空に溶けた麦つばめ

エピローグ

――青々と広がる高い空を見上げ、薄い雲が流れていく様子を俺はただ眺めた。

　遠くから響いてくる蝉の声は風にかき消される。蝉たちもこの暑さに敵わないのか、去年より更に弱々しくなったように感じる。

　今年は例年より、厳しい夏になるという。最高気温更新なんて毎年ニュースでやっていて、もう聞き飽きた。

　バス停のベンチに腰掛けて、容赦ない夏の太陽を左手で覆った。

　アスファルトはジリジリ熱されて、道の反対の景色は蜃気楼で歪む。顔から滴った汗は地面に垂れて、シュワっと音を立てて蒸発する。

「あっ……つ」

　扇子でも持って来れば良かったと後悔しながら、手で風を起こす。それでも焼け石に水だけど。

　茹で上がりそうな熱気にへばっていると、隣に麦わら帽子を被った女が座ってきた。

　いつだかのモノに似た新品のワンピースに、短くなった細い黒髪。彼女はベンチに手を置いて、ぷらぷらと足を前後に振る。

　顔も向けず、名乗りもせず、彼女は横から話しかけてきた。

「やっ。猛暑だね」

「ああ。溶けそうなくらいね」

　一年ぶりに聞く声は、記憶の海で揺蕩っていたものと変わらない。

　その空白がまるでなかったものみたいに、俺たちはいつもの調子で話し始めた。

「勉強は順調？」

「ああ。このままいけば、志望校は狙えそうかな」

「それは良かった。私も」

「お前は元から頭良いし、前から合格判定に届いてたじゃん」

「鮮度百パーセントのフレッシュな頭だからね～」

「こっちは必死にやってここまでだってのに」

「余裕もって合格狙うなら、もうちょっと頑張んないとだね」

　溜め息をつく俺の横で、彼女はケラケラ笑う。

　飛行機雲が一本引かれた蒼空を見上げ、俺たちは手を重ねた。

「――――おかえり」

「――――ただいま」

　夏は巡り、麦ツバメはいたずらな微笑みを見せに帰ってきた。