十一欠片目
罪人の俺は、彼女を救える言葉を知らなかった。
「私はつばめの父親を殺した、ただの人殺し」
墓石に刻まれた三人の名前を見つめる実里の瞳は、真っ暗な空洞のようだった。
「そんなことはっ、だって実里は――」
「私、ホッとしちゃったんだ」
「…………え?」
「つばめとカズの会話ね、実は私も聞いてたんだ」
空洞の奥には後悔があり、波となって押し寄せていた。
「つばめは本当に友だちだと思ってた。かけがえのない、大切な友だち」
話す声はかすれ始めて、次第に息も詰まっていく。
「なのに私は、あの光景を見てて、安心しちゃったの。ヨルカズが―――つばめを振ったって」
胸を抑えるその手は心臓を突き刺すように、震えながら爪を立てていた。
「最悪だって分かってるんだ、自分でも。つばめが死んで、お葬式をやった時、何回もそれを思っては自分が嫌になった」
「実里……」
「ヨルカズが私のとこからいなくならないんだって、何回も。何回も何回も、何回も」
戒めるように、実里は自分へ呪詛を吐き連ねる。
「……私、かけっこ速かったでしょ?」
彼女の瞳に映っていたのはきっと、過去の俺たちの姿だ。
「可愛くて女の子らしいつばめに勝てるのなんて、足の速さくらいしかないから。私はつばめの体の事なんにも考えないで、三人で鬼ごっこやかけっこやろうって言ってた」
そんなことなら、一緒に遊んでた俺だって同罪だ。なのに。
「つばめの体に負担だったと思う。なのにあたしは……」
俺の罪も、つばめの親父さんのことも、実里は一人で背負おうとしていた。
「だから、本当につばめを殺したのは、私なの」
「なんで、だよ。実里がは……」
「カズの事が好きだった」
耳にしたその言葉に、世界の時間が止まった。
「――――――――ぇ?」
「カズに振り向いてほしくて、一緒に遊んでた。カズが盗られるのが怖くて、三人の遊びを選んでた。カズに頼ってほしくて、つばめが死んでからもずっとカズのとこに通ってた」
その告白に思考は停止していた。感情は遥か後ろで停滞している。
でもその言葉が、純粋な愛を謳うものでないことだけが、痛み続ける心でも理解できた。
「矛盾してるなって、最低だなって、初めから分かってた。自分が気持ち悪かった。でも、どうすれば良いかわからなくて」
それは懺悔だ。懺悔の告白、罪の告白のようなもの。
「自分の事しか考えられない、最悪な人間なの……!」
沈殿していた哀情の封が切られる。
「ごめん、カズ……わたしが、好きになったばっかりに」
塞ごうとする手の隙間から嗚咽が溢れる。
「そのせいで、つばめが死んじゃった……」
――地獄を生きていたのは、俺だけじゃなかった。
いや、それは少し違うか。少しの間だとしても、俺は地獄から抜け出した。罪の記憶から僅かにでも解放されていた。
だとしたら実里は、どんな思いでいたのだろう。
一人ぼっちで地の底に置いていかれた彼女は、どうやってここまで笑ってた。どうやってここにくるまで、恐怖を押し殺せていた。
その罰に耐えながら、助けも求めずここまで、どうやって――――
「だからこれは、ケジメなの」
「けじめ……?」
「うん。だってカズは……つばめが好きだったから」
唇を震わせている彼女は、今にも壊れて消えてしまいそうだった。
「お墓参りが終わって、おじさんのお葬式も終わった時にね。カズは言ってたよ」
「その時、俺は何を?」
「――――俺、頑張るよ、って。自分の罪に向き合いながら、つばめの分まで生きていく、って」
それは本当に俺の口から出た言葉なのかと、自分を心底疑った。
「そこからヨルカズは昔みたいに明るくて、また学校が好きになって、部活や勉強も精一杯頑張るようになったの。止まった時間を巻き返そうとね」
実里の口から語られるその過去は、記憶としてまだ戻らない。
ただそれが、真実でも虚実でも、思い出せても出せなくても、それ以上は言わせたくなかった。
「つばめのことを忘れないように。つばめの事が好きだった気持ちと、罪の意識がヨルカズの原動力だった」
だって実里が、こんなにも苦しそうに話しているのだから。
「あの日、目覚めたヨルカズが私には別人に見えた。いつもの頑張ってるヨルカズじゃなくて、まるでつばめが生きてた頃のカズに見えたから」
――そうか。実里はここまで、助けを求めに俺を連れてきたわけじゃない。
「辛い記憶を忘れたままが良いとも思った。でも何かのきっかけで記憶を思い出した時、ちゃんと全てを教えてあげられるのは私しかいない」
「だから実里は、こんな無茶をしてまで……」
「私がいなくなる前に、教室で全部伝えようとしたの。それでも怖くて、一緒に居たいって思っちゃって」
また俺が、暗闇の業火で焼かれようと、千の針山で苦しもうと、立ち上がれるように。地獄から這い上がろうと進み出せる勇気を持たせるために。
実里は自分を犠牲にしてでも、俺を前に進ませるために、あの夏の続きを教えてくれたのか。
「私の事、恨んで良いから……どうか、幸せになって」
女神のように微笑んで、流れる涙を拭うこともなく、安心したように深い水の底へ落ちていく。
俺には今の実里がそんな顔をしてるように見えた。
「みのっ……り――――」
その手を取とろうとして、一歩踏み出した瞬間だった。
「……カズ? カズっ!?」
地面が傾いて、景色が九十度に倒れた。
手足が急に痺れて、全身に悪寒が走る。
訳も分からず身をよじらせていると、左の足首が真っ赤に肥大化しているのが見えた。
「なにこの腫れ方……虫に刺されたの!? しっかりして!」
頭が締め付けられるように痛くて、吐き気が出て、目が回る。
脈打つごとに痛みは増して、意識は体から離れていった。
――――どうやら俺は、記憶喪失の原因、高熱となったその理由も忘れていたようだ。
記憶を失う直前、俺はつばめの墓参りに行く準備をしていた。
あの夏の記憶に胸を締め付けられながら、裏庭の倉庫に仕舞っていた墓参りの道具を取り出していたんだ。
倉庫は掃除もロクにしてなかったから、埃っぽくて、空気が淀んでた。あの暗闇の中には虫が集まってたんだろう。
チクリと、鋭い痛みが足首を襲った。意識を失ったのは、それから数時間後のこと。
その時にきっと何かの蟲の毒にやられたんだ。この熱が、二度目の痛みが、それを思い出させた。
命を脅かす毒の再来に、俺は自分の死を予感する。
視界は崩れて、最後は実里の声も届かなくなった。
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