六欠片目
陽が眠っても茹で上がる暑さは目を開いたままだった。
肌に張り付く汗と湿気が気にならなかった子供時代を今ほど懐かしんだ日はない。
ひぐらしも鳴かないほど蒸された夏の山は、夜空に昇った星だけが冷たくそこにある。
くたくたになった体は古民家の前まで辿り着き、扉の前で力を置き去りにした。
鍵の空いてる戸を開けて、実里は家主を呼ぶ。
「おばあちゃん久しぶりー!」
「実里、おかえり」
入ると実里のおばあちゃんが俺たちを迎えてくれた。
「かずくんも。何年振りかねぇ」
「お久しぶりです。俺は……中学校以来? ですかね」
「早いねぇ。背も高くなって、大きくなったねぇ」
まるで自分の孫のように、実里のおばあちゃんは俺の頭を撫でる。
皺の刻まれた小さい手はぽかぽかと温かい。
「ささ。お風呂湧いとるから、ご飯前に入ってきなさいな」
丸まった背中に案内されて、俺たちは実里が泊まる時の部屋に通された。
※
実里が風呂に入っている間、俺は部屋で一人過ごした。
スマホのフォルダは今日だけで半年分以上の写真で埋まっている。畳の上でギャラリーをぼうっとスクロールした。
次第に煮物や焼き魚の匂いが上がってくる。田舎のおばあちゃんらしい料理の香りだ。
昼間も結構食べたけど、動き回ったせいかまだ腹が減る。ご飯を山盛り食べたい気分だ。
夕食を想像してヨダレをすすっていると、部屋の戸をガラリと開けられる。
「お待たせ、ヨルカズ」
「ああ、気にしな――――っ!」
風呂上がりの煙を纏った、パジャマ姿の実里が部屋の前に立っていた。
紅潮した頬に、濡れたままの髪の毛、白く透き通った首元。
散々子供の頃に見た筈なのに、今ではそれをまともに直視できない。
ただ目をそらした理由はそれだけじゃない。
シャツにハッキリと胸の輪郭が浮かび上がっていたからだ。
昔は無かったその膨らみに、心臓が急に騒ぎ出す。
「どうかした?」
「むっ、ふく……いや、何でもない」
んん?」
「そ、そろそろ晩飯出来ちまうよな。俺も風呂行ってくるわ」
「ちゃんと体洗いなよ~」
自分の爪先だけ見て、足早に脱衣場まで向かった。
※
「ふぅ。さっ、ぱりしたぁ……」
今時滅多にお目にかかれない五右衛門風呂に浸かって、遊び回った一日の疲れを洗い流す。
昔この家に来た時は実里と二人で入っても余裕があったのに、今じゃすっかり狭くなってしまった。風呂場の小さくなった風景は少しだけ寂し気だ。
思い出を浴槽の水面に浮かべて懐古していた時、突然脳内は現代に引き戻される。
「実里が、さっきまで入ってたん、だよな」
たった数分前、実里が入っていたお湯に俺は体を浸けている。
全身を包むこの熱が、ついさっきまで同じように実里の体に密着していた事実を、頭は強調して思い出させる。
四十度以上で入れられた熱々風呂のせいか、頭に熱が昇っていく。
記憶喪失してしまった脳には深刻なダメージを与える刺激だ。
「一緒に入ったこともあんのに、なんで今更……」
心臓以外の音が消え、世界の可視範囲が急速に狭まる。
熱された頭のピントはやがて、水面の境界を越え始め――――
「実里ぃご飯できるよぉ」
「おわぁ!!?」
風呂場の扉は豪快に開かれる。
湯煙の奥では割烹着姿のおばあちゃんが首を傾げて俺を見ていた。
思わず反射的に湯に沈めた俺のプライバシーは辛うじて守られる。
「あら、かずくんだったかえ」
「みみっ、実里なら、今は部屋に……」
「そうかい、出っとったんやねぇ。これはお邪魔したねぇ」
湯よりぬるい生温かな目を向けながら、おばあちゃんは引っ込んだ。
鳴りやまない心臓は仰天して、更に鼓動を加速させている。
「び、っくりした……」
これ以上はのぼせそうだった。頭もくらくらしてる。
お湯を一回体にかけた後、俺はそそくさと風呂場から上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます