七欠片目

「「いただきます!」」


「いっぱい食べなぁ」


 食卓にずらりと並んだ料理に手を合わせ、俺たちは箸を躍らせた。


 川で取れた煮魚に焼き魚。ごぼうの和え物や漬物、里芋煮にアサリの味噌汁。山菜の天ぷらまである。

 山盛りによそられた白米に乗せ、大きく開けた口で迎えにいく。


「うんまぁ~!」


「おばあちゃんの料理ほんと大好きぃ」


「孫たちが喜んでくれて、あたしゃ嬉しいよ」


 食欲の前には大人ぶった遠慮なんかできず、子どもっぽく次々と品に箸をつけていった。

 米と塩味の効いた焼き魚、甘い煮魚と里芋に、しょっぱい漬物や山菜がとにかく合う。それをアサリの香るみそ汁で流しこむと、口の中で故郷の味が完成する。


 喉から胃までを通過する幸せな感覚に悶えていると、目の前に魚が一尾追加されていた。


「かずくん、お魚あげる」


「これ実里。好き嫌いはいかんよぉ」


「べ、別に嫌いな訳じゃないよ!」


「あげるんじゃなくて、身を解してほしいだけだろ」


「えへっ。お願いっ!」


 言われるがまま、差し出された皿の魚を身に沿って解していく。

 箸を押し当て、背骨を切りだし、苦手な細かい小骨を取り除いてやる。


 四角い皿の端に、解したてな焼き身の山がこんもり盛り上がる。


「おお~相変わらず綺麗に骨取るねぇ~」


「誰かさんが昔から俺に骨取りさせてたからな」


「うっ!」


「この子はこの歳で魚も食べれんでまぁ」


「ちょっとおばあちゃんまで~!」


 おばあちゃんの前だからか、実里はいつも以上に子供っぽい態度だった。


「てか、昔は出来てなかった?」


「へ?」


「だって俺が解さないでも、一人で綺麗に食ってたことあったじゃん」


 ――鮮明に残っている訳じゃない。ただ、話していた最中にふと思い出した記憶だった。今回失ったものか、それとも前から忘れていたものか、見分けのつかない記憶。


 また一つ思い出せたと喜んでいると、横からおばあちゃんが不思議そうに俺を見つめて来た。


「かずくん」


「あ、はい」


「――それは記憶違いやねぇ」


「え?」


「実里は昔から、箸が不器用だったから。毎回魚は解してもらってたよぉ?」


 記憶が混ざったのか、それとも夢で見た光景だったのか。

 けれど確かに覚えのある記憶だっただけに、否定された時は混乱した。


 驚いた顔で言葉を失っていると、実里は焦ったように魚の皿を手元に戻す。


「ご、ごめんねカズっ。今日は私も骨取り挑戦してみるね!」


 そう言って慣れない箸を立て、実里は冷え始めた魚の解体作業に移る。


 実里のおばあちゃんが言っていた通り、俺の記憶違いだったようだ。


 夕飯を食べ終えた時、ボロボロになった焼き魚の残骸が食卓に散らばっていた。



 ※



「それじゃ、おやすみぃ」


 歯磨きも済ませた俺達は床に就き、部屋の電気をおばあちゃんが消していった。


 実里と二人っきりだというのに、部屋はしんと静まり返っている。

 昔のような枕投げや夜のお話はない。初めての夜の静寂だった。


 布団は二つ。流石に年頃の男女に配慮してもらったのか……と、思ったがそれは思い過ごしだった。

 敷布団は一センチの隙間も空けずにピタッと密着している。


 実里のばあちゃんがいなくなった今、俺はまた風呂のことを思い出してしまう。


「蒸し暑いね」


「えっ!? あ……そう、だな」


「おばあちゃんち、エアコンないからね」


 言われてからようやく、この暑さを思い出す。

 山の中で比較的涼しいとはいえ、文明の利器なしに現代の夏の夜は厳しいものがある。


 暑苦しくなる前にさっさと寝てしまおうと思い、目を瞑る。


 ――それにまるで合わせてきたかのように、背中にピタッと張り付く体温があった。


「くっつくと、あっついね」


「あ、当たり前だろっ。そんなっ、近いと、俺の汗で臭くなるぞ」


「……そうだね」


 口でそう返しても、実里が動く気配は一向になかった。

 吐息で撫でられ、頬は密着し、腕は俺の肩を越えて回されている。柔らかな肌の感覚は服越しでも伝わる。


 のぼせかけだった頭が、いよいよ本格的な熱を帯びようとしていた。


「夜千」


 そんな俺の鼓動に気付く素振りなんて全くなく、実里は囁くように耳元で呟いた。


「失くなった記憶、ちゃんと取り戻そうね」


 我に返り、馬鹿なことを考えていた自分を恥じた。


「……ああ、分かった」


 ここまで実里が俺のことで一生懸命になってくれているのは、俺のせいだ。俺が記憶を失ったせいだ。


 きっと失くしたものは、大事なものなんだと思う。だからここまで、必死になって取り戻させようとしてくれるんだ。


 それに答えるためには、思い出すしかない。それは分かり切ってる。

 だからこそ、やるべきことなんて最初から変わっていない。


「みのっ……」


 寝返りを打った時にはもう、実里は寝息を立てていた。


 遊び疲れたのだろう。いつも昼寝をする実里が、いつもの調子で夜までいたのだから。


「……おやすみ」


 それだけ告げて、俺も眠りの海の落ちる。

 景色の照明が消える直前、不安に駆られた心を鎮めて意識を手放す。



 失った記憶を思い出したとき、俺は、それでも実里の隣にいれるだろうか――

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