五欠片目
「あはは、びしょ濡れになったねー」
「すぐ乾くって言ったのどこの誰だよ」
「さあ、川の妖精じゃない?」
「清流に住んでると思えない邪悪さだな」
湿った服を日に当てるように椅子へ腰かけ、さっぱりした素麺をツルツル啜った。
この街の名物が一つ、レモンソーメン。
汁の中に切った地元のレモンを入れたもの。麺の味は普通な代わりに色は薄黄色。この時期になると、街中の人はこれを三日に一度は食べる。
「うんまぁ。さっぱりしてるぅ」
「美味いか。かっはっはっは、儂もまだまだ現役じゃのう」
「おっちゃんの作ったレモンソーメンが一番おいしいなぁ」
大衆食堂『しくると』の店主は豪快に笑った。
開けた口から除く歯が、前よりも少なくなっていてちょっぴり驚いた。
「ところで実里ちゃんは、もう来週かえ?」
「うん……荷物も結構まとめてあるんだ」
「ほうか。ま、出発まではゆっくりしてきなさい」
サービスの一玉分の麺を卓に置いて、店主は厨房へ戻った。
田舎の情報網は毎度恐ろしく感じる。俺でさえ今日知ったばかりのことを、なんでおっちゃんが知ってるのか不思議でしょうがない。
そして再び話題に出される引っ越しの話。
引っ越し先についてや部活の事、帰ってこれる頻度など、考えればいくらでも話は浮かんでくる。
ただそれについて話された時、平然と言葉を返せる自信がなかった。
そんな臆病さから、別の話に逃げる。
「さっきもこの流れじゃなかったか? 遊んで、飯食って」
「子どもの時からそうでしょ?」
「あーかもな。この無計画性はまさしくそうだ」
今日はずっとこればっかりだ。
自転車に川遊び。川の前にはカブトムシを獲りに行って、喫茶『ひるみ』のかき氷も食べた。
夏を凝縮したスケジュールに体はバテ始めている。
「記憶の方はどう?」
「一応、昔遊んだ記憶とかは思い出してきてるけど、あんま大事そうなことは思い出せてないかな」
「そっか……じゃあ抜き打ちテストをしよう!」
お椀の蓋をクイズのピンポンに見立てて実里は司会者の真似をする。
「カズが昔、嫌いだった動物は?」
「ニワトリ。ゴム手袋とトサカが同じものだと勘違いしてて、しばらく苦手だった」
「正解! 次、あたしがワンちゃんを飼い始めた時期は?」
「飼ってない。おじさんが犬アレルギーだから麦野家で飼えるわけがない」
「引っかからなかったかー正解。じゃあ芸人のリドリー大塚の一発ギャグは?」
「こんなところにアルマンド」
「プフフっ、正解っ。そしたら……小学校で起きた事件といえば?」
「実里の牛柄パンツがランドセルから飛び出したこと」
「待ってそっち!? あとなんでそれ覚えてるの!!」
顔を真っ赤にして実里に殴りかかれる。
意外にも重たい拳が何発かみぞおちに叩きこまれて胃が破裂しかけた。
してやったりとほくそ笑む俺が気に食わなかったのか、実里は悩みに悩んでから禁断の質問を投げかける。
「じゃ、初恋の人は?」
「なっ!?」
拒否権ナシ、誤魔化すことも禁止と念を押された上で、実里から仕返しの圧が放たれていた。
ふざけた勢いならまだ適当に答えられたかもしれないところを、この間ですっかり我に返ってしまった。
気恥ずかしさに負けて火を噴きそうな顔を下に、聞こえるか聞こえないかの声量を振り絞る。
「覚えて、ねぇよ」
「えーホントかなぁ~?」
「噓ついてどうすんだよ」
「あらら顔真っ赤にしちゃってー。お子ちゃまカズには早かったかな?」
「どう転んでも腹立つな!」
ニマニマした顔を見ないように、俺はソーメンのお椀に顔を突っ込んだ。
甘酸っぱい初恋の記憶なんて、きっと俺にはないんだろう。
仮にあったとしても俺は、思い出そうだなんて思わない。
初恋の記憶なんて覚えていたところで、こっぱずかしいに違いない。
「思い出したとしても言わねえよ! 流石にそこはプライバシーだ!」
初恋は叶わないなんてよく言う。
叶わない恋心を思い出すなんて辛いだけだろう。だったら忘れたままで構わない。
それに――――
思い出してしまったら、それは叶わないものだと告げられるのと同じになってしまうから。
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