あしたのために(その21)いいニュースと悪いニュース
翌日の放課後、川地たちが部室に寄ると、中平はいつものようにだらしなくソファに横になっていた。
「いいニュースと悪いニュースがあります」
神妙な面持ちで、沢本が切りだした。
「いいほうを」
中平はあくびを噛み殺した。この男は働きもせず、いったいなにをやっているのか。どうやって生活をしているのか。もう川地たちはそんな疑問を口にすることもない。堂々としていると、周りも気になんてしなくなる。
「実はぼくら、フェスティバルの予選を突破しました〜っ!」
沢本が大袈裟に拍手をしても、それに追随するものはいなかった。隣の川地はすっかり気が抜けていたし、小林も腕を組んでむっつりしている。中平に至っては喜びもせず、耳をほじっていた。
「ふーん」
「リクション薄っ!」
「きみたちが予選を突破するのなんて、ぼくはわかっていたよ」
中平は気だるそうに起き上がった。沢本がお祝いにと用意したフルーツ・オレを、当たり前のように飲み始めた。
「そんなにぼくらのことを評価してくれてたんですか」
「いや、主催側からしたら、きみたちはにぎやかし、お客さんのトイレタイムとして選ばれるだろうなあって」
「……」
耳に続いて鼻をほじりながらジュースを飲む中平に、沢本は「どっちかにしろよ」と言ってやりたかった。
たしかに、出場者がどんな連中なのかはわからないが、これまでの大会を見た限り、全員キラキラしていそうで、身震いを起こす。絶対陽キャだ!
自分たちは、正直言って、泥臭いしSNSもしていない。まったく無名だ。
「で、悪いほうは?」
指の耳垢を落としながら、中平が訊ねた。
「それが。要項が新しく付け加えられていて。本番ではオリジナル曲を必ず一曲は用意してくださいって」
沢本が肩を落とした。どうやら小林が黙っているのも、この問題の解決が見当たらないかららしかった。
「ここ最近は自分たちで作った音源でパフォーマンスするグループが多くなったからって」
「悪いのってそれ?」
中平が鼻で笑った。
「はい」
「きみの横で瀕死のカワちんはいいの?」
「じき戻りますよ」
沢本は呆けている川地を一瞥すると、にやにやしだした。
「なんかサワもん。嬉しそうだな」
「それがですね!」
沢本が身を乗りだした。
今朝のことである。
「芦川さん!」
川地は混雑する世田谷線の車内で声をかけた。少々うわずっていて、緊張しているのが丸見えだった。
「川地くんおはよう」
声をかけられたほうはとくに川地の心持ちなど気にも留めず、笑顔で頷いた。
「はい!」
まるで鬼軍曹を前にしてでもいるのか、というように川地は背を伸ばしていた。車内にいた客が非難の視線を向けた。
「借りた本返すね、面白かった。気になって映画も観ちゃった」
芦川がカバンから文庫本を出して、川地に渡した。
「はい!」
まるでプレゼントをもらったみたいに川地は両手で受け取り、大事に胸に押し当てた。そもそも自分の本を返してもらっただけなのを、忘れているみたいだった。
あのとき読んでいたのが『わたしを離さないで』でよかった。その前に読んでいた『裸のランチ』でなくてほんとうによかった。
「いまはなにを読んでいるの?」
「あ、これです」
川地がリュックサックから本を出して見せた。
「クリストファー・プリースト? 『魔法』って、面白いの?」
「けっこういいですよ」
なぜか自慢げに答えた。
「読み終わったら貸してもらおうかな」
「ええと、芦川さん、好きですかねえ」
最後まで読んで、貸しても大丈夫か判断しないと。それにまだ、芦川の小説の好みをリサーチできていない。
「もう少し打ち解けてくれないかな〜」
芦川が笑った。
川地のほうは、芦川と会話できていることに舞い上がっているし、表情のひとつひとつに、いちいち大発見でもしたみたいにときめいていた。
「では! 質問してもよろしいでしょうか」
川地が言った。
そろそろ乗客に「うるせえ」と怒鳴られるのではないか、と沢本はヒヤヒヤしながらそばで見守っていた。
「質問コーナー? いいよ」
「ハナ高の宝田さんと付き合ってらっしゃるんですか?」
目の前の女の子が急に無言になった。川地は即、まずった、と気づいた。
「あ、いや、セックス芦川さんとお友達に、いや、あ、せっかくです、いまのなしで」
川地は自分が口にしてしまったワードに慌て、高速で首を横に振った。これでは壊れた人形だ。
「川地くん、駅ついたよ」
芦川は笑顔だったが、目が川地を拒否していた。
ちょうど電車は駅に停まり、挨拶もうまくできず、川地は電車から降りた。
「……なるほど、質問したらとんでもない形相されて、あげく、一番してはいけない言い間違いをしたわけか」
先ほどまでのだるそうな態度を改め、中平はため息をついた。「底辺男子高校生の限界だな」
「まじで最高にコメディアンですよね〜」
「サワもん、ほんと嬉しそうだな」
中平は呆れて首をひねった。
「そんなことないですよ〜、ね?」
沢本が川地のほうを向いた。
川地は首のすわっていない赤ん坊のようになって、ソファの背もたれに頭を乗せていた。
「きみらの腹の底はどうでもいいや、では第二段階にいくか」
「はい」
沢本が顔つきを変え、頷いた。
後ろで立っている小林も、目を細めた。
「三人だけでは盛り上がりに欠ける。コアメンバーの文芸部を中心に、他にも一緒にやってくれるやつを見つけなくてはならん。最低でも十人は欲しいな。群舞ができて、見せ場も作れる。舞台は野外音楽堂で、広いしな」
「って誰がやってくれるの!」
沢本が頭を抱えた。なにせ今年も新入部員は入ってくる様子はない。
「クラスのみんなでも誘ってみたら?」
中平はソファに寝転んだ。
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