おまけ 幸乃視点(義母の懺悔)+β
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呼び鈴に従い玄関に向かう。確認の小窓を覗くと、それぞれに似合うスーツ姿の男性が二人立っていた。押し売りの類には見えないから、鍵を回し玄関を開ける。
ドアが開けばこちらの誰何も待たずに、背の高い方の男性から名乗りを上げ、身分証明を私に見せてきた。矢継ぎ早にもう一人の男性も名乗りを上げた。もう一人は背の高い方よりだいぶ年かさに見えた。二人の印象として、お巡りさんよりも刑事といった空気を感じる。
「あなたはこちらにお住いの佐々木幸乃さんですね?」
「はい、そうですが――何か御用で?」
上木と名乗った男性から私への人物確認が不粋になされる。突然訪問してきた彼らこそ、無礼のないよう振舞うものなのだけど。こちらが疑われたような気がして、嫌気が湧きおこる。だから、少しだけ身構えた雰囲気で肯定しつつ、用件を伺った。
「こちらの女性、佐々木花織さんでよろしいですね?」
「よく似てますね。そうかもしれません。それが何か?」
数枚の写真を手に、それらをわたしに見せてきた。それぞれには同じ女性が一人写し出されている。基本、写真の女性の顔はカメラへ向いていないから、盗撮を伺わせていた。でも女性の特徴は確かに花織さんを彷彿とさせる。たぶん今より若い――大学を卒業した頃だろうか。
「先日、東京は高円寺にて起きた事件で刺殺された男性が、この女性の写真を夥しい量持ってましてね。どうして彼が持っていたか、事情をご存じありませんか?」
「ありませんよ」
東京で起きた刺殺事件はテレビの情報番組でも盛んに報道されてるから知ってはいる。けれど息子の昌幸にも、その嫁の花織さんにも、その被害者に結びつく話をされた覚えはない。
東京に関連して知っていることといえば、花織さんが東京時代に勤めた会社の元同期同僚からストーカー行為を受けていたこと。わたしが聞かされているのは、その話だけ。刺殺された男性とは、もしかすると花織さんをストーカーしていた人物なのかもしれない。ただ、いずれにしても、わたしが出会っ人物でもないのだから、にべもない表情で否定を返した。
「その男性は近々この女性と結婚し家庭を持つと公言していたそうです。その点はご存じですか?」
「存じません」
何を周囲に語っていようと、見知らぬ男性の放言など耳に入ろうはずもない。ゆえに上木という刑事が何を言いたいのか図りかね、わたしの心にイライラが少し募り出していた。だからだと思う――次に見せられた写真でドキリとしてしまった。
「では、こちらの写真については如何ですか? こちらの写真の女性も佐々木花織さんで、よろしいでしょうか?」
写されていたのは、花織さんの痴態だった。先程までのわたしの知らない花織さんではなく、わたしの知る花織さんで。カメラへ顔が向いてないことは変わらない、それどころか疲弊した様子でカメラに気づいてさえいない――まるで事後に息を荒くしているような裸体の花織さんだった。
「こんな写真を見せて、何を言いたいのです?!」
上木という刑事のやり様に憤りを感じてしまい、つい声を大きくし挑発気味な言葉を口にしてしまった。でも年かさの刑事が、すかさず落ち着いた声で宥めるかのように、わたしへ言葉をかけてきた。
「佐々木さん、落ち着いて。隣近所に聞こえてしまいますよ?」
わたしは慌てて口を閉じる。そして廊下の左右に視線を投げて、隣近所の様子をうかがってしまった。その様子に年かさの刑事は満足げに頷いてみせて。
「お答え難いことであれば、お答えいただかなくて結構ですよ。お答えできることだけ、お答えいただくことで構いません」
一見優し気な注告。でも知ってることは洗いざらい吐け――残酷な宣告にわたしは受け止めた。
あの頃の花織さんは、確かにおかしな様子をわたしに見せていた。幸花ちゃんをわたしに預け、英会話スクールの仕事へと出向き、出張家庭教師があるからと預かり時間を延長し、夜遅くに幸花ちゃんを引きとりに来るか、ひどければ翌朝に来るか。
引き取りに来た時の様子は、表情を青ざめさせ、ひどく身体を疲弊させ、ともすれば生きることを諦めそうな雰囲気をまとっていた。そのせいだろうか、幸花ちゃんが花織さんに抱かれることを嫌がったことさえあった。
その時の事情は、昌幸を伴なった花織さんから打ち明けられた。東京時代の同期同僚のストーカー行為が行き過ぎて脅迫にまで発展、花織さんに性的行為を強要していた、と。ただ、そんな時でも、ストーカー相手のプロフィール説明や写真の提示はなかった。
だから、わたしは繰り返す。例え、花織さんに起きたストーカー被害をこの警察官たちに話そうと、東京で刺殺された男性と花織さんに接点があったか、わたしは知らない事実、それだけは確実に伝えようと。
あの頃の、折れそうに見えて、それでも不屈の星を輝かせる花織さんの助けになれなかった、義理の母の懺悔を添えて……
――昌隆さん。あなたがわたしを助けてくださった、あの時のあなたの勇気を、わたしにも分けてください――
◆◇◆◇◆
昌隆さんと初めて出会ったのは中学生になって最初の夏休みを迎えるころ。中学校から帰宅したわたしと入れ替わるように、営業で訪れていた昌隆さんが玄関を出るところだった。たぶん一目ぼれだったと思う。十は年上の男性に色気と格好良さを感じてしまい、彼会いたさに一刻も早く長谷川の家を出たくなってしまった。
◇◆◇
もともと長谷川の家とわたしの間で折り合いが悪かった。旧態依然の家長優位に特に反発した。わたしの未来はわたしが決めると。ただ大層な割に具体性が無いところが、長谷川
◇◆◇
再び昌隆さんと出会えたのは翌年の春。彼の名前はこのときようやく知れた。フルネームは
「ちょうど良かったよ、これを渡せそうで」
そう言って差し出した包みには、金色に光り輝くヘアピンが入っていた。挨拶の言葉すら出ない、お礼の一言も出ない。そんなわたしを憐れんだのかは分からないけれど、昌隆さんがわたしの髪にそっと金色のヘアピンを挿してくれた。そのやり取りにわたしはほほを染めて俯くだけで。気の利いた感謝はついぞ出て来なかった。
「今日は、転勤で仙台を離れるから、お世話になった長谷川家の皆さんに感謝を伝えたくて来たんだ。やっと可憐なお嬢さんに、
そう言って、わたしの頭を一撫でし、彼は去っていった。最後まで何も言えない自分に唇を噛んで。だから夢は彼を求めて仙台を出ることに変わった。
◇◆◇
それからのわたしには一つの癖がついた。仙台からの逃避――いいえ、脱獄が適切な言葉。要は家出だ。高校生になったころから癖は始まった。初めは仙台市内の浜辺へ。次いで隣の市町村の山奥の温泉地。次第にエスカレートしていく家出に我が家はわたしに監視をつけた。
だから作戦を立て、家出をすることにした。大学入試を表の目的とし、実際には行方をくらませる。策と言うには貧弱もいいところ。けれど良い子を演じたおかげだと思う。作戦は成功した。
仙台のある宮城県の隣の福島県、その真ん中にある郡山市の歯科大学を受験する。名目通りに新幹線に乗り、乗換駅で在来線へ電車を変える。そして受験会場たる大学最寄り駅で電車を降り、大学へ入って試験会場の建物に足を踏み入れる。そしてそのまま本来の試験会場出入口でない扉をくぐって建物外へ。さらに門でもない塀の穴を通りぬけ、大学の外周路へ出た。道なりに先程乗っていた在来線に並行する道路に出て路線バスに乗った。在来線の一つ先の駅から再び電車の人となり。そのまま乗り継いで、わたしは新潟へと家出した。
ただ目的がなかった。わたしは家出だけに総力を注ぎ、成功した後のことは考えてもいなかった。つまり、悪いのはわたし。だから新潟の繁華街を当ても無くさまよい歩き、ついには悪人面した男たちに囲まれ、貞操を奪われた。昌隆さんにあげたかった貞操を。
死んだように思考を停止させたわたしは、有り体に言ってフロに沈められた。期間はおよそ一週間ほどだったけれど。たくさんの男性が、わたしの上を通り過ぎていった。数えることは最初の一人目でやめていた。
そんな状況でも救いはやってくる。いや救いだったろうか?――長谷川家のセキュリティに発見されたわたしは、交渉の末に仙台へ連れ戻された。どんな交渉だったかは聞かされていない。知ろうとも考えもしなかったけど。そして父に殴られ母に泣かれた。それでもわたしの心は凍えたままで。だから、ほぼ勘当同然の人間とされた。
◇◆◇
とりあえずと放り込まれた長谷川の分家の分家が営む小さな企業で事務員をする毎日。特に蔑まれることもないけれど、特に相手にされるわけでもない毎日。屍のように過ごす毎日に終わりが見えない――そう思っていたあのころ、再びわたしは悪夢に見舞われた。
新潟から連れ戻されて五年の月日が流れた日、仙台の繁華街の裏道を当ても無く歩いた日、わたしはやんちゃな青少年たちに呼び止められた。引きずり込まれる裏路地のさらに裏。恐怖でもなく動揺でもなく、諦めで声の出ないわたしを、舌なめずりで見下ろす十の瞳。コートをひん剥かれ、トップスを破かれ、ボトムスをズリ下ろされ。失ったはず貞操がまた奪われる未来にただ落胆していた、その時――
「何をしている――っ! その
声を聞いたとたんにわたしの両眼は、滝のような涙を流した。忘れていたはずの愛しい
「見ないで! 見ないで! 汚れたわたしを――見ないで!」
呆気にとられたのはやんちゃな青少年たち。隙だと思ったのか、昌隆さんが青少年の一人に突進し、路上に抑えつけた。けれど五対一、多勢に無勢であっさり路上に転がされたのは昌隆さんで。
「イヤ! 昌隆さん! まさたかさん! まさたかさん! 死んじゃイヤーーー!」
わたしが声を張り上げても形勢は逆転しない。それどころか昌隆さんから意味のある言葉が失われ。万事休す――そう諦めかけたとき、警官がやってきた。その後ろには通報者と思しき人物も居て。やんちゃな青少年たちが散り散りに逃げ出した。
警官は追うことを諦め、昌隆さんの救命行為に入った。無線を使い応援と救急隊を要請しつつ、ちらっとこちらを見て女性警官の派遣も要請していた。十分ほどしてパトカーが数台到着し、さらに数分で救急車もやってきて。昌隆さんは担架に乗せられ救急車で運ばれて行き、わたしは女性警官に保護されつつ事情を聞かれていた。
けれど昌隆さんの容体が気になり過ぎて、ほとんどの質問に言葉が出なくて。なので女性警官の温情だと思う、昌隆さんの運ばれた病院へ連れて行かれ、手当てを受けた昌隆さんの眠る病室へと案内された。静かに眠る昌隆さんに安堵したのか、何が起きたかを女性警官にスラスラ説明していた。
◇◆◇
いつしか聴取は終わっていて、病室にはわたしと昌隆さんが二人きりに。じっと昌隆さんの顔を見つめる。巻きこんでしまった申しわけなさに、かける言葉が見つからない。静かに涙をため込んでいると、不意に昌隆さんの目が開いた。
「こ、こ、は……そうか」
自分に起きたことを心の内側で確認したような仕草に続いて、こちらを昌隆さんが向いて。
「幸乃ちゃん――だよね?」
わたしは涙を零しながら頷いた。覚えていてくれた、わたしの名前。
「そのヘアピン。まだ付けていて、くれたんだね」
あの新潟の出来事でも、わたしから唯一取り上げられなかった装飾品。そのころには、古ぼけくすんだ色だったから見向きもされなかったのだろう。でも昌隆さんは、プレゼントしたものと同じだと確信している雰囲気で。
「成長したね。綺麗になったよ」
わたしは首を振った。汚れた自分を、真っ当に評価される違和感に。
「もう、ステキな旦那様がいるかもしれない。そう思っていたから、会いに来ることもしないでいた。でも、さっきの幸乃ちゃんを見て確信したよ。僕は幸乃ちゃんが欲しいんだって。十も年上の男にこんなこと言われて――」
わたしは昌隆さんの言葉を遮って、イヤイヤと首を大きく振りまわした。わたしに昌隆さんが想いを寄せてくれる価値は、ありはしないと。それでも、昌隆さんは――
「幸乃ちゃんの背負った人生を、丸ごと僕に、託して欲しい。決して、後悔は、させないから――」
わたしは自身の想いを抑えられず、ベッドに横たわる昌幸さんの胸に飛び込んでいた。
――自らの力が不足していようと、わたしのために死地に飛び込んでくれる、あなたが大好きです――
◆◇◆◇◆
「――そうですか。繰り返しますが、東京で刺殺された男性と、佐々木花織さんの接点に心当たりはないと?」
「ありません。あったとして全て推測の域を出ません。そのようなこと、わたしの口からは申し上げられません」
初めこそ、このご婦人の動揺をこちらの揺動で誘うことはできた。だがしかし、ご婦人が腹を決めた様子を見せてからは、こちらの誘いに乗っては来ない。
佐々木花織さんがストーカー被害に遇っていた。それを知っていることは認めた。けれど東京で刺殺された
どうやら、長居は無用に思えてきた。だから隣の上木君へと目で合図を送る。ここは潮時だと。上木君から佐々木婦人へと挨拶をしてもらう。
「解りました。お聞きしたいことは以上となります。長い時間、ご協力をいただき誠にありがとうございます」
こうして我々は佐々木婦人の住むマンションを後にした。
どの道、本件の捜査は警視庁捜査一課が担っているし、刺殺犯である
だが、背後に隠れている悪意を炙り出さねばならない。山之井杳子を唆した真犯人を。例え、被害者がストーカー行為で多大な迷惑を撒き散らしていた悪人だとしても、だ。
それが我々、警視庁に設置された特定使命機動探査係の矜持なのだから……
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