第3話 花織視点③

 胸のアウトラインが分かりやすい、ツートーンのワンピースを着て夕暮れの繁華街を私は歩いていた。一人であったなら良かったのに――そう思わせる人物が私の肩を抱いて隣を歩いていた。人通りの多い繁華街では知りあいと出会っても不思議ない。だから目線を足元に落とす程に俯き、長く伸ばした髪で顔が隠れるようにしていた。けど――


「おーい。もうちょっと楽しそうにして欲しんやけどな~。でないと、カオリンの過去が愛しの旦那様に知られちゃうかも~?」


 甚振いたぶりでしかない言葉で私を弄ぶ悪魔。嬲られるままでは心が保たない――意を決して私は顔を上げた。目を吊り上げキッとした表情で。けどホテルの前までやって来ていた事実を知り、すぐに表情は暗転した――パートナー以外の男性と一緒に入る意味を理解して。


「こっちだ」


 悪魔は私をホテルへと連れ込もうとし、私は足が出ず蹈鞴たたらを踏んだ。寄りかかる柱なんて傍にない――仕方なく傍らの悪魔にしがみ付いたのだけど――


「おいおい、胸に飛び込んで来て熱烈だな。待ち切れなかったのか?」


 私は悪魔に抱き締められていた。こんなところ誰かに見られたら――気が気でない私は突き飛ばすように悪魔から離れた。そんな私をニヤニヤ笑いで見てくる悪魔に悪態を吐きたい。けど、周囲には何事かと様子を見守る人たちがそこそこ居て、騒ぎを大きくする真似は出来なかった。


「ま、いい。付いて来いや」


 悪魔は何でもない様に、先にホテルのロビーへと入って行く。行くしか、ないの?――そう思いながら、ため息を吐きつつ後に続いた。悪魔はそのままフロントへは行かず、ロビーの一角にあるソファーへと向かう。一つのソファーの前に辿り着くと振り返り――


「俺はトイレへ行ってくるわ。ここでしばらく待ってろよ。あっ、もちろん分かってるよな?」

「……分かって、いるわ」


 逃げれば昌幸さんに…………またも私を恫喝してきた。もしも昌幸さんに伝わっても、今なら間に合うかもしれない。それでもギクシャクは残る事は避けられない。ギクシャクはやがて破滅を齎す――そう思うと手も足も出なかった。頷く私に満足げな様子の悪魔は、行ってくると言い残してトイレへと向かった。


 一人こんなところにいる私を時折り見ていく人の顔が怖くて、私は顔を両手で覆い俯いて、悪魔が戻るのを待った。時計が針を刻む音が聞こえる――意識を内側へ向けていた私がそんな感覚に囚われてしばし、不意に目の前の明るさが低下した気がして両手を外し顔を上げた。


 目の前には一人の男性が立っていた。年の頃合いは昌幸さんと同じくらいので、昌幸さんの同期の誰かと似た風貌で――ハタと気付く、そこに羽田野くんがいる事に。


「あ、やっぱり小野寺さんだ。おっぱい大きいね。いや、今は佐々木さんだっけ?」

「……えっ、どうしてここに?」


 不意を打つように話しかけてきたのは、T商事同期入社の羽田野はたの充彦みつひこくん。彼は昌幸さんも在籍した東京本社の営業部所属、今もそこで勤務しているハズ……そこは私が辞めた人間だから、T商事内の事情には疎い。なので、ここ仙台に羽田野くんがいる理由に思い当たらなかった。ただ彼はセクハラ発言の多い人だから、その部分は無視したけど。


「小野寺さんに会いたかったから? おっと佐々木さんだったっけ、中々覚えられないな。それよりこうして出会ったんだし、食事でもどう? 仙台をまだまだ知らないから、教えてくれると嬉しいな」

「……あ、いえ、その、どうして再び仙台にいらっしゃったんですか?」


 相も変わらずこちらの話は聞かない。以前、受付業務中にセクハラを受けた時も羽田野くんは一方的に話すだけだったし、夏祭りの時も……久しぶりの事で、どうこちらの言い分を聞いて貰おうかと悩み、丁寧に話しかけてみる事にした。


「……同期の佐々木くんが遣り残した仕事を引き継ぐんだ。そのための会議があってね、今日はこちらにお泊りさ。さ、お話はこれくらいにして、食事に行こうよ」

「……で、でも、一応、連れがいまして、今はトイレから戻ってくるのを待っているところでして」


 羽田野くんの話にこちらが乗ってこないのが面白くないという表情を見せたけど、すぐに軽い笑みを浮かべて仙台へやって来た事情を語ってくれた。昌幸さんが仙台に残した仕事については、当分秋田から遠隔で指示すると言っていたのだけど。仙台支社の意向が変わったのか――うんん、東京本社が横槍を入れて来た、そんな感じなんだろう。それはともかく今晩は羽田野くんに構ってもいられないから、悪魔といえど同行者の戻り待ちの事情を明かした。


「そうなの? あっ、でも、もしかして待ち人はこの写真の人?」


 羽田野くんはスマホを操作して一枚の写真を私に見せる。そこには一組の男女を中心に写されていて。女は私で、男はあの悪魔で、つい先ほどホテルの前で抱き締められた時で。サァーッと血の気の引く思いが、またもや私を襲う。写真を見ていられなくなり、私は視線を逸らした。


「この写真さ。小野寺さんと一緒に写ってる男性って、どう見ても同期の佐々木くんじゃ、ないよね?……ま、写真はともかく、ボクとご飯食べに行こうよ、ね?」


 羽田野くんまで私を脅かす側に回るなんて――そんな思いが、私の視界を真っ暗にする。悪魔に続いて私を脅迫する人物が増えて……思考力は限界を迎えた。逃避とばかりに、私は縋るように昌幸さんとの夢を見ていた。


…………昌幸さん……ごめんなさい…………



   ◆◇◆◇◆



 私と昌幸くんが採用されたのはT商事という企業。内定式の後には入社前研修会もスケジュールされていて、大学卒業までの期間は卒業試験とも相まってとっても多忙になった。特に得意の英会話を活かせる職種での採用とあって、私は張り切り過ぎていた。なので、将来を見据えて婚約をしては?――新居探しの手伝いで上京された、昌幸くんのご両親と会った時に話が出たのだけど、しばらくは仕事に専念したい思いが強まっていて、先延ばしをさせて貰った。けれど、それは悪手だったと後で思い知ることに……


 期待で胸一杯だった私の配属先は本社の秘書課付き総合案内だった。担当の一人が産休に入ったところにちょうど良い人材が来たと評価いただいたけれど……海外駐在員と定時連絡を取るとか、現地企業の担当者と電話するとか、私がするハズと思っていた仕事内容のイメージはガラガラと崩れ落ちた。


 唯一良かったのは代表電話の交換手も兼任だったこと?――英会話力が無駄にならずに済んだけれどね。でも、仕事へのチベーションは低下した。そして、さらにモチベーションを地に落としたのが――


――部長たる私が直々に仕事を教えよう。ついては今晩一緒に食事に行かないか?

――わしを誰だと思っている! タクシー一台ひとつを呼ぶくらいで待たせるでないわ。

――おっぱい大きいね! サイズ教えてよ?

――若いからってチヤホヤされて!!


 パワハラ、モラハラ、セクハラ、妬み嫉み……………………私、どうしてここで仕事してるんだろう?――もう、毎日、自問してばかりで――


「はあ……」

「どうしたの、ため息ついてさ?」


 私は入社前の三月から昌幸くんと完全同棲していた。T商事本社が入居するビルの最寄駅からJRで三駅のところに、ちょうど良いファミリー向け物件が空いていて、昌幸くんのお義父様の伝手で借りられたから。二人別々に単身向け物件を探していては、それこそ通勤一時間は覚悟しなければならなかった。


 ちなみに学生の時の物件は、学生専用ってことらしく、大学卒業が見えた時点で大家から追い出しが掛けられていた。契約延長を無理押しするのは面倒そうだった。

 それはさておき、休日も朝からため息つく私を見て、昌幸くんは心配げに話しかけてきた。


「う~ん……昨日のことだけど、経理部のハゲ部長がね、しつこく口説いて来てさ、それを見たうちのお局様から嫌味を言われちゃってね……その立派なお胸は何のために育てたのかしら……だって」

「……ああ、なるほど。災難だったな」


 入社から早や二か月。五月病は乗り切ったものの、もはやモチベーションは底をついていた。そんな私へ掛ける上手い慰めの言葉も、昌幸くんでさえ簡単には出ない様子で。


「せめて、お局様のお小言がなくなればなぁ」


 もっとも多いのが彼女のお小言。これに同僚たちが乗って来る。精神的に一番きついのは、間違いなくこれだ。その感情がいつの間にか呟きになっていて、聞こえたらしい昌幸くんは黙って考え事を巡らし始めた。そしておもむろに立ち上がって洋ダンスに向かい、扉を開ける。そして紙袋を一つ取り出して戻ってきた。


「花織さん、これを身に着けてみないか?」


 そう言って紙袋から取り出したのは小箱で、こちらに開いて見せた。


「…………それって婚約指輪エンゲージリング?」


 一度断ってしまった婚約話。あの時にはもう用意していたのかと疑問になった言葉が零れ落ちた。でも――


「プロポーズリング――かな? 花織さんと知りあって仲良く過ごして、ずっと一緒にいられそうだって思った頃に購入したんだ」


 昌幸くんは私と長く一緒に居たいと思ったからと購入理由を教えてくれる。でも私が押しかけ半同棲を実行したのが早くて、出すに出せなくなったらしい。そんなタイミングで購入した指輪だから、当然ブカブカだったりする訳で。


「これにネックレスチェーンを取りつけて、これ見よがしに身に着けていれば言い寄る男性も減って、お局様のお小言も減るかもと思うんだけど――どうかな?」


 昌幸くんの提案は有難く、また魅力的に思えた。結婚前提の恋人がいる匂わせは、男避けに良さそうだから。我が儘で申しわけない――そう思うのだけど、婚約にまっしぐらでもないことには安堵した。ただ、永遠のパートナーがいても気にしないという、強者つわものも世の中にはいるけども、それはその時に考えよう。


「――ありがとう。その手に乗ってみるよ」


 押しいただくように、私は指輪を受けとった。


   ◇◆◇


 あれから半年が過ぎた。私にプロポーズした男性がいると明るみになり、言い寄る男性も少なくなって、お局様のお小言も取り巻きの嫌味も減った。初めこそお相手についての質問の嵐だったけど、素直に昌幸くんの事を教えたからすぐに落ち着いた。何と言ってもお局様大のお気に入りのが声を掛けてこなくなった、それが一番大きい事で。


 お局様はとの未来を夢見ていると、嫌味が減った後に仲良くなった営業部の女子に教えてもらった。働く環境が少し良くなっただけで、モチベーションがそこそこ回復したのは行幸といえた――ハズだったのに。


――おっぱい大きいね! 触ってもイイ?


 はまた声を掛けてくるようになった。おかげでお局様のお小言が復活してしまっていた。どうして?――再び繰り返す自問にため息が出た。そして、そればかりで済まなくて――


「ここのところ残業ばかりで、花織には申し訳ない気分でいっぱいだ」


 そう言って昌幸さんもため息をついていた。どうやら結婚へ向けての動きは鈍いと感付かれたみたいで。仕事帰りのデートの待ち合わせは、これ見よがしに本社ビルの出入り口でしてたりと、アリバイ作りはやってはいたんだけれど……


「うんん、早く帰れた方が夕飯は用意するって約束だから、気に病まないで」

「夕飯以外だって家事はあるからさ」

「それも毎日とはいかないけど、熟せているから問題ないよ」


 連日の残業で疲弊している昌幸さんに大丈夫と伝えるものの、すぐには納得してくれなくて。

 こうした慰めの言葉を重ねることも日に日に増えていった。このままでは二人ともダメになりそう――イヤな予感ばかりが去来する日々が続き……


 そして訪れた転機は、昌幸くんのお父様の悲報だった――――

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