第4話 花織視点④

――秋田よりも遠いところって、何処だろーね?


 羽田野くんから受けた連絡で告げられた言葉に戦慄し、私はとあるホテルのスイートルームの一室に足を踏み入れてしまった。


 それから色々あって、純白のウェディングドレスでありながらレース生地をふんだんに使った肌の色が分かるドレスを着せられ、ベッドの上に仰向けで転がされた。ドレスはどうやら綺麗なAラインの広がりを見せたらしく、私を俯瞰していた羽田野くんは感じ入ってた。


「小野寺さん、とーても綺麗だ! やーぱり、ボクの花嫁には小野寺さんが相応しいよ。父さまに引き合わせられた、どんな女性よりも美しい肉体からだだ。……ふふふ、大好きだよ、小野寺さん」


 表情を上気させて褒めてくる。けど羽田野くんの視線のほとんどは、寝転んでもアウトラインの崩れないレース生地に包まれた胸にばかり行って。何処まで行っても、おっぱい星人!――頭の片隅で罵倒していた。内心は気分の悪さが一杯で、実際に吐きたいって思う。


 眺める事に満足したのか、右手を胸に、左手を太腿に、羽田野くんは這わせ始め。余りの気持ち悪さに呻いて仕舞った。


「ふふ、もしかして、ボクの手つきに感じてくれているのかな?」


 羽田野くんがバカを言っているけど、彼の耳には入らない。気持ち悪さばかりが這い回り、運動をする気分になんてなれなかった。そもそも望んでここに来た訳じゃないから、気分にならない事が何より誇らしいつもりだった。でも――


「うーん、教習ビデオではこんな感じで喘いでたけど……小野寺さん、気持ち良さを我慢しなくてイイんだよ?」


 凌辱に教習なんてあるものか!――内心毒づいてみる。気持ち悪さに身を捩っていたのだから、息遣いに熱が籠る事もなかった。そんな私の反応の意味をようやく悟ったのか、私にスマホを突き付けてきた。


「ぼくのスマホには、こ~んな写真が保存されてるんだけどねー」


 スマホに映っているのは、今着てるウェディングドレスに着がえさせられて、指示の通りに取った姿のたくさんの私。その傍には同じ白色のタキシードを着た羽田野くんが並び立っていて。

 悔しさに視線を逸らしても、視線の先を追い掛けてスマホを見せてくる。逃げ切れないと視線を彷徨わせるのを止めれば、スライドさせて数々の痴態を見せ付けてきた。しばらくすると、再び手を這い回らせ始める。


「……うっ……ふっ……あっ……ふあっ……」


 飽く迄も真似――そう思いつつ、合わせるように声を漏らすようにした。このまましばらく続ければ――そう思った時――


「――――っ!」


 的確な強い刺激が身体に走り。演技ではない、声量の無い声が口を突いて出た。


「おーおー、やーっと当たり引けたかな~? やあ、待たせたね。ドンドン感じてくださいね」


 にっこり笑む羽田野くん。手付きはずっと的確になって、私が身を捩らせる理由が変化していく。その事実が私に恐怖を齎していく。すり鉢の底が開き、淀んだ暗い闇に包まれた別世界悦楽を垣間見せるから。


 別世界悦楽に堕ちないように、昌幸さんへの純白の想いを呼び起こしてみる。なのに重力気持ち良さに逆らえなくて。ごめんなさい、力尽きそうです――昌幸さんへの謝罪ごと、重力快楽は飲み込んでいった。



   ◆◇◆◇◆



「いよいよ、明日になったな」

「……うん」


 諸々の準備を終えた私たちは、昌幸さんの故郷仙台市の実家に来ていた。彼の部屋のベッドの上で寄り添いあい、二人して寛ぐ中で――独身なのは今日限りと、感慨に耽っていた。明日の朝になれば真っ先に市役所へ婚姻届けを出す。届けを終えたら、一日かけて結婚式や披露宴、そして二次会まで出ずっぱり。疲労困憊で初夜を迎えると思う。同棲していたのだから夜の運動なんて今更だけど。


 一気に結婚まで進んだのは、昌幸さんのお父様の悲報が切っ掛けだった。昌幸さんのお父様がガンの診断を受け、ガンのステージ進行が思いの外早そうというもので。結婚するなら、お父さんの喪に服す前に――決断を迫るメッセージが、お義母様から送られてきた。


 私と昌幸さんを悩ませる勤め先の環境から抜け出すには、手っ取り早い手段ということもある。けど同時期に、昌幸さんに仙台支社への異動が発令されたことも大きな理由だった。お局様お気に入りのはどうしてか私を気に入り、実父がT商事専務取締役の一人であって、その権力でもって昌幸さんを仙台へ左遷して私と引き離そうとしている。そんな噂が流れていた。おかげで私は勤め先に愛想が尽きて、辞めるという選択肢が上位に来てしまった。


 私も仙台近くの市の出身。出身高校は仙台市内にある学校だったから、勝手知ったる何とやらで気楽に過ごせるのも良い。それに仙台はそこそこの都市、得意の英会話を武器に出来る仕事もありそうで。だから昌幸さんに付いて仙台にやって来て、結婚することにした。


「それじゃ約束通り、携帯の連絡先を整理しようか」


 昌幸さんから声が掛かる。徐にスマホを取りだした昌幸さんは、電話帳やメッセージアプリの友達一覧を私に見せ、一つ一つどんな付きあいだったかを私に教え聞かせながら、を削除していく。途中、少しだけ長く眺めていた連絡先もあったけど、明日を思って緊張している私はその事に取り合わなかった。作業を終えた昌幸さんは――


「花織も頼むよ」


 そう私にも促して。私も小さく返事するとスマホを取り出し、昌幸さんと同じようにを削除していく。その中には幼少からの幼馴染たちや、高校時代に友達の勧めで付き合ってみた男の子たちがいた。


 幼馴染の一人は近所に引っ越して来た男の子で、初恋の相手にして初体験の相手でもあった。幼馴染に誘われるまま関係を持って……幸せを教えて貰った。けど突然の幼馴染の死で別れたからか、少しだけ長く幼馴染の連絡先を眺めてしまう。昌幸さんに不審に思われたかも――そう思って少しドキドキとしていた。


 そして――作業の手が止まった。


 江里口えりぐち青治せいじ――その名前は大学時代の最低最悪の相手。名前を見た瞬間に、私のあられもない姿が脳裏にフラッシュバックした。そんな私から幼馴染を思い出した時以上の異様な雰囲気が出ていたんだと思う――昌幸さんが心配して呼び掛けてくれた。


「花織、どうしたんだい?」

「……大丈夫、ちょっと記憶が曖昧な人の名前だったから、判断に迷っただけで」


 つい本当の事を誤魔化して、イヤなヤツの連絡先を削除した。内心は荒い呼吸のように乱れて――早く作業を終えて昌幸さんに抱いて欲しくなっていた。明日に向けて体力を残しておいた方が良いハズなのに。


「疲れているなら、作業は後日でも構わないよ」

「……ホント、大丈夫」


 昌幸さんの気遣いには感謝の念で胸いっぱいになる。でも昌幸さんに嫌悪されそうな事を悟らせてはいけないから――平気な振りして作業を続ける。その代わりではないけど、体に宿った熱は治まりようもない――


「でも、お願いがあるの」

「お願い?」

「今晩も…………抱いて!」


 昌幸さんの胸に顔を埋めて慰めが欲しいとお願いした。昌幸さんは少し戸惑ったようだけど、一呼吸置いて返答をくれた。


「……花織…………良いよ、シよう」


 昌幸さんに感謝を伝え作業に没頭した。しばらくして全ての作業を終え、徐に衣服を脱ぎ始めた。


「先にシャワーでも浴びないか?」

「うんん、今日はこのまま……昌幸さんの匂いの中で……抱いて」

「……そっか」


 昌幸さんは照明を常夜灯に切り替えると、自分の衣服を脱いで、先に私が入りこんだベッドの中に潜ってきて、そして私にキスを落としていった…………


   ◇◆◇


「マー君、結婚おめでとう! それから花織さんも、おめでとうございます」


 昌幸さんを幼い頃のように呼ぶ彼女は、昌幸さんの再従兄弟はとこにして幼馴染だという長谷川はせがわ水琴みことさん。唯一、昌幸さんのスマホから連絡先を削除されなかった、昌幸さんの初体験のお相手だった。母親同士が従妹だから、親戚付き合いもあるからという理由で。同じ理由で連絡先を残した男性は私にもいるから、それは理解している。でも――


「ミーちゃん、お祝いありがとう」

「水琴さん、お祝いの言葉、ありがとうございます」


 昌幸さんも同じように呼ぶことはないと思う――嫉妬心に私は囚われて、私からの御礼はぎこちなく。私の表情には面白くなさが出てしまったかもしれない。でも水琴さんは気にした様子もなく――


「昔みたいに、気軽に私の家うちまで遊びに来てね」


 お姉さん風を吹かせた口調で昌幸さんとおしゃべりが尽きない感じで。一時いっときの事とはいえ、私の昌幸さんを独占していることにイライラが募る。おかげで私は割り込んでしまった。


「その時は、私も一緒に、お伺いしますね」


 その一言が水琴さんの眉間に皴を呼び込んで――


「今はわたしが話してるのだけど?」

「昌幸さんは私の夫です」


 言葉の応酬は拡大して喧騒がより騒がしくなっていく。だから気付けなかったの?――違う、気付きたくなかった。披露宴会場の入口から、私をねっとりとした視線でジッと見つめる、この場に呼ばれるハズのない人物がいる事に。

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