第5話 花織視点⑤

「カオリンがこの間会ってた若いヤツ、最初に見せた写真のヤツやったんやな~?」


 私を後ろから抱き竦めながら、悪魔が耳元で囁いた。悪魔の言う若いヤツ――羽田野くんとの関係性は、悪魔に知られてない――そう思っていた。まさか元の勤め先と悪魔に繋がりが?――でも何処に繋がりがあるのか思い当たらなくて。


「どうして、知ってるの?」

「カオリンの事は何でも判る。それだけよ~」


 簡単に口を割るとは思わなかったけど、確かめられずに居られなくて。けど悪魔ははぐらかして来る。それどころか私をより絡め捕ろうと言葉を重ねてきた。


「ま、随分とお楽しみだったらしいねー。気持ち良かった?」


 私は楽しんでない…………。そもそも望んで羽田野くんと会ったつもりもない。今傍にいる悪魔と同じ、それだけ――反発しては悪魔を楽しませてしまうと思って。だから黙っていようとしたのに、体が反応して歯軋りしてしまった。


「おー怖い怖い。べっぴんさんも台無しよー。まっ、ソイツにはしたんだし、俺にもサービスがあって良くない?」

「どーしてあなた何か――っ!」


 私を揶揄う気満々の笑顔で怖がって見せる悪魔。しかも俺も俺もと行為を要求してきた。もちろん応じるつもりはない――そう思って反抗しようとした。けど、ピンポイントを急に捩じられ、言葉が急停止する。ジンッと体を突き抜ける痛み、それとジンワリとした心地好い感覚――並行する感覚二つが体を走り、私は戸惑った。


「どーしたい、どーしたい? もしかして、良かったか~い?」


 私の反応の意味を的確に理解しているかのように、悪魔は煽り立ててくる。更に繰り返し続けられる攻めに、必然私の吐息も荒くなり、冷えていたハズの体が温まり始めた。悪魔の思惑でホテルからレンタルさせられたを身に着けていた私の肌は、目に見えて分かる程にしっとりし始め。そして同時に――


「ほっほ~。お胸に水たまりができちゃったね~。もしやもしや~? 子供のおやつが出てきた~? 舐ーめちゃお!」


 胸から湧き出たを舐めようと、私を抱え直して水着の上衣を下にずらし、悪魔は顔を寄せた。咥える感触はとっても気持ち悪く、それは今にも悪魔に一撃を入れたくなるほどの酷さ。


「ピンピンやん。さすがに子をした肉体からだは違うねぇ」


 でも私の思いとは裏腹な身体の様子に、悪魔は満足げに頷いていた。裏切りの対象が昌幸さんだけでなく、愛しい幸花我が子へも及んでしまった申し訳無さに、涙が滲んだ。


「俺にもその気になってくれたんは嬉しい、よ?」


 涙を見た悪魔がポジティブに受け止める。私の気持ちをいて悦に入る悪魔が、途轍もなく恨めしく思えた……



   ◆◇◆◇◆



 昌幸さんとの結婚式から三か月、昌幸さんのお義父様は亡くなった。せめてもと出来たご恩返しは、私の妊娠報告だろうか。


 お義父様の残り少ない人生を昌幸さんと話し合った時、あの世へお義父様が持っていけるが論の中心になった。その結論がで、私も昌幸さんも親の手を借り易い今が好機と意見が合った事も理由になった。結論が出てからの夜の運動は、二人でとっても頑張った。


 お義父様もお義母様も、もちろん私の両親も妊娠を喜んでくれた。ただ、得意の英会話を活用する仕事は当面の間諦めざるを得なくて。だから昌幸さんとは――


「産後には仕事をしたいの。出来れば三か月くらいしたら」

「……うん、そうだね。赤ちゃんにとって母親が傍にいる事は大事だけど、ずっと一緒にいることで花織が参ってもしょうがないね。そうならないために、僕らの親が住んでる地域まちで子供を作ったんだから。実際は色々と条件付きになるけど、それで良ければ反対しないさ」


 この様に取り決めた。それからは昌幸さんとお腹の子のため、日々を穏やかに過ごすよう心掛けた。

 そして昌幸さんもお腹の子と私のために新居を用意した。それまではお義母様がお義父様の看病に専念しやすいよう、一部の家事を引き受けようと昌幸さんの実家暮らしだったからで。いつまでも私や残されたお義母様がお互いに気を使わないように用意したと、教えてくれた。


「この家で花織がピンチの時は、僕がどこからでも駆けつけるよ。約束だ」


 そんな新居を内見した際にカッコつけて約束する昌幸さんを見る一幕も。急にどうしたの?――つい私はポカンとし、次いで笑ってしまう。こうして出来た楽しい我が家には、お義母様や私の両親、それに高校時代の女友達が時折り訪ねてくれた。更に昌幸さんの幼馴染の水琴さんは、母親の先輩として時々助けてくれる。みんなのお陰か出産を迎えるまで大過に見舞われることもなかった。


 けれど昌幸さんには……


   ◇◆◇


「今のプロジェクトはどうなさるの?」

「うーーん、後任が東京から来るとは聞いてる……ただ支社長が教えてくれないんだよ、誰なのかをさ」


 今、昌幸さんには転勤が取り沙汰されている。間もなく定年を迎える秋田事務所の所長の後任という、あたかも栄転とでも誤解されそうなポストらしい。実のところ業務の中味から言ってしまうなら、左遷も同然の人事と聞いていた。


 会社を離れてしまった私では詳しいことは分からない。だから偶然にも仙台支社でパートをしている高校時代の女友達に尋ねてみた。昌幸さんの社内の評判を。


『特に悪い噂は聞かないわねぇ。伝票処理も早め早めだし、経理班からも悪口は出ないわ。強いて言えば愛妻家過ぎて、女子社員が声を掛けても直ぐに会話を切られるって愚痴くらいかしら』


 語尾には含み笑いマークが三つ付いた返事を貰った。照れ笑いのアイコンを返すしかなくて。こうして集めた昌幸さんの評判には特出するものもなく、プロジェクト半ばで外される理由は考えもつかなかった。


   ◇◆◇


「この子が俺の娘か。はあー」


 つい先ほど産まれたばかりの私たちの子供を、大事そうに抱きかかえた昌幸さんはニヤケた表情を隠すことなく、体を揺らしている。そして――


「花織、僕らの子供をありがとう。花織も無事で何よりだよ」


 感謝と労いをくれた。結局のところ昌幸さんは秋田へ異動となった。ただ秋田へ旅立ったのは私が産気づく前日で。あちらに着いて早々、とんぼがえりを余儀なくされていた。


「それでごめんよ。産気づく前にバス乗っちゃって」

「謝らないで。産気づいたのも偶然だから」


 間の悪さに凹んだ昌幸さんは困ったような表情になっていた。昌幸さんが秋田へ向かったのも赴任日の前日という、相当に粘った上での秋田行きで。ちょっとだけ運がなかった、たぶんそれだけのハズ。


「そうは言っても予定ではまだ三週間先だったろ?」

「そうでしたね。でも予定は予定でしてよ?――気に病まないで、ね」


 まだまだ肝心な時に不在だった自身を責める雰囲気の昌幸さんを気遣いたい――その思いから話題も変えてしまおうと考えた。


「この子の名前、幸花こはなの予定でしたけど、気が変わったりしてません?」


 新しい生命いのちの名付けを質してみる。効果は覿面で昌幸さんは表情を明るくして返答をくれた。


「うん、変わらない。こうして出会って確信したよ。読みの通りにとっても可愛らしい小さな花、それでいて未来の幸福の中に咲き誇る爛漫の花をもうイメージさせる愛らしい姿。あまりにもピッタリし過ぎて僕もびっくりだよ」


 ちょっと暴走気味だけれど、初子ういごが女の子なのもあって昌幸さんは大層舞い上がってる。中々見れない様子に私も苦笑する外ない。


「それに、僕と花織の漢字を取ったんだ。僕らの愛情を受け取って、きっと良い子に育つよ」

「もう、親ばかが過ぎますよ」


 病室には笑いが広がった。新しい生命の未来を祝福するように。


   ◇◆◇


 幸花が生まれて四か月が過ぎた。幸花の生育は至って順調。予定日より早めの出産だった影響は無く、私の心配は杞憂だったと思えるほどで。お乳を余りにも飲むものだから、その食欲に将来が心配になったくらいだ。


 けど昌幸さんは秋田へ行ったまま。週末は仙台に戻ってくるけれど、満足に自宅で過ごせる時間は僅かなことが多い。幸花の新しい写真や動画を撮って、将来が楽しみだと語り合うくらいが関の山。私とじっくり運動する暇もない。

 産後は気持ちが低下すると聞いていたはいたものの、その期間が早くも過ぎ去ったのか、シたい気持ちが私の中で増してきていた。同時に昌幸さんと出来ないことで、少しづつ淋しさが私の内側を支配し始めて。


 そんな思いが昌幸さんに悪い影響を与えてはと、予てからの約束通りに私は仕事を探し始めた。

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