第2話 花織視点②

 仙台駅から地下鉄で六つ程の駅には隣接してショッピングモールがある。待ち合わせはその立体駐車場の一角だった。


「待たせた?」


 一台の車が立体駐車場を登って来て、そのドライバーが窓から顔を覗かせて声を掛けてきた。先日再会してしまった――二度と会いたくなかった悪魔だった。


「……待ってなんかいない、わ……」


 悪魔の脅しに屈してしまったのは事実で、呼出しに応じてしまった。それでも私の心は未だ死んで負けてない。なので意地を張ってしまった。


「そうぉ? ま、それはそれで良いさ。さあ、乗って乗って」


 私の意地に構ったりしない――意地悪な笑みを見せつつ、悪魔は愛車への乗車を促す。奥歯を噛みしめ微動だにせず抵抗を試みた。けれど――


「そのままいるっちゅーなら、あの写真、どこかに失くしちゃうよ? そうしたらカオリンの愛しい旦那様にも漂着しちゃうかもな? カオリンは大丈夫かい?」 


 詰まらなそうに息を吐いて、再び脅しの言葉を悪魔は口にする。私は一度ギュッと目をつぶり、『大丈夫、大丈夫』とまじないかけて、助手席に乗りこんだ。その途端に腕を引かれて彼に寄り掛からされ、そして――


「唇はダメ!!」


 キスしようとした悪魔の顎を空いた左腕で押し止める。


「ふん、操立よーちゅーわけ? なら最後に取っておいてやんよ」

「最後? 最後なんて来な――」


 悪魔の囁きに抗弁したかった。けど腹部に受けた強い刺激に言葉が詰まる。脳が溶ける感覚だけが体中を駆け巡り――流されるままになって――ハッと気づいて、悪魔の左腕の動きを止めた。


「しかし喪服姿もエロいけどよ~、好みやないわ。当てつけは止めてーな? 次ん時はココ、目立たせてお出でよ。そんでもーっと俺の気に入るカッコで来ること、期待しとるでー」


 私の服装を批評し次回への期待を語りながらも、的確に私を責め苛む悪魔。片腕を止めれば空いた腕で胸に、それを止めればキスを試し、それも止めれば腹部への強烈な刺激。私の神経を揺さぶる悪魔の手腕に、毒づく事さえ叶わずに。狭い車内に荒い息遣いを木霊させるばかりの私は、せめてもの抵抗にと愛しい人との記憶を呼び起こしていた。



   ◆◇◆◇◆



 さすがに半年過ぎても一緒にいれば、男女がとある関係を持つのは普通だと思う。佐々木くん――うんん、昌幸くんと私もご多分に漏れず、恋人同士になっていた。なので昌幸くんの部屋で半同棲気味に生活していることも……普通だと思いたい。


「ただいま~」

「おかえりなさい、昌幸くん」


 今日は昌幸くんが採用試験日だった。部屋に入ってきた昌幸くんの表情は優れない雰囲気を出していて。冗談かもしれないと結果を聞いてみる。


「どうだった?」

「手応えなし、かな。二次面接止まりだった」


 私たちも大学四年生になり、志望企業を外資系から国内大手に切り替えていた。その合間には国内中小も一応は受けている。数少ないけど内定の出た企業もある――あるにはあるけど、どうにも労働意欲を湧かせる何かが足りないところばかり。だからか、二人揃ってどの企業に勤めるべきかを決めあぐねていた。


「そっか。じゃ、ご飯にしよ。今日は昌幸くんの好きな、寄せ鍋を用意してたよ」

「お、ありがとう。いつも作ってもらって、感謝してる」


 祝勝会でも残念会でも、どちらもで良いように鍋を用意していた訳だけど。昌幸くんも分かっていて、ご飯の準備を労ってくれる。就活より何より、私には一番嬉しいことになっていた。鍋を二人でつつき始めてからしばらくして――


「次の採用試験は、確か同じ企業だったね?」

「そうね。どうかした?」


 狙いの企業が似通ってるのは今も変わらない。けれど遣りたい仕事が違うから、応募企業が同じでも説明会や採用試験日などが被ることは稀だった。その稀が、週明け月曜日を採用試験日とする案内状を送ってきた、大手と中小のド真ん中ぐらいの国内企業だった。


「採用に影響があるか分からないけど、試験には一緒に行かないか?」

「ふふ、どうしたの? 急に甘えたくなった?」

「良く分からないけど、胸騒ぎがしてさ。自分にと言うより、花織さんに良くないことが――何かが起きるんじゃないかって」


 珍しく甘えん坊になったと思ったら、私が心配だと言い始めた。普通には心配し過ぎと返して終わることだと思う。けど、こうして昌幸くんが心配してくれる時は――些細なことばかりだったけど――私が嫌な思いをしたことは少なくなかった。なので昌幸くんの提案を受け入れた。


「いいわよ、一緒に行きましょう。でも、帰りも揃ってとは、いかないと思うわ」

「そうだね。それでも、帰りも一緒にしようよ。先に出たら待ち合わせ場所を連絡するからさ」

「うん、ありがとう。私が先に終わったら、連絡入れるね」


 こうして次の採用試験日についての約束を交わし、食事の後片付けをした後、お互いにお風呂を済ませて、一つのベッドに入る。シングルにしては大きめのベッドらしいけど、こうして二人で一夜を共にするには狭い。それこそ夜の運動を行うと言うなら。


「いいよね?」

「……うん」


 私は――私の体に残る小さな傷が、昌幸くんに余り見られないように――昌幸くんを受け入れた。その小さな傷は、昌幸くんにも真実を伝えられない、悪夢の残り香だから。


   ◇◆◇


 昌幸くんと初めて体を重ねた時は、お互いに驚きでいっぱいだった。私は昌幸くんの的確な攻め方に、昌幸くんも初っ端から私が奉仕を始めたことに。ただただお互いに全力で相手を思いやってのことだったのだけれど。


 だから行為が終わった後にはお互いに確認し合わねばとなって、お互いの経験を語りあった。お互いに初体験は中学生の時で、相手が近所の幼馴染だったことには、とにかくビックリした。徹夜テンションの中でも特に盛り上がったところだ。


 でも、私も昌幸くんも、話してないことはあると思う。私は特にそうで。大学生になっての交際相手がいたことは昌幸くんに教えた。けど、その相手は最低最悪の悪魔で、私が一留した原因だとは言えなかった。当時私が精神を病んでしまったことは、ハッキリとは伝えられずに。そして、私の体にその悪魔が残していったモノを消した痕がお腹の小さな傷だと、言葉にならなくて……


 そういうことはあったけど、二人でする運動はとても気持ちが良い。体の相性の良さにお互いでのめり込んだ。故に私たちの交際は順調だと思う。


   ◇◆◇


「さてと、花織は用意できた?」

「もうちょっと~~」


 週が変わって月曜になった。今日は二人揃って同じ企業の採用試験を受ける日。昌幸くんはもう準備が出来た様子で、私は化粧が後僅かだけ残っている。なので――


「昌幸くん、先に出ていいよ~~」


 ついつい約束を忘れて、昌幸くんが遅れないように、先に出るように促していた。


「ダメダメ。約束したよね、一緒に行こうってさ」


 おっとそうだった――心の中でテヘペロしつつ、化粧の続きを急ぎ、そして終わらせる。


「お待たせ!」

「戸締りや元栓の確認は終わってるよ。さ、行こう」


 玄関のドアを抜けて施錠して、最寄りの駅まで手を繋いで並んで歩く。周囲を見れば、如何にも通勤といった風情の大人たちがぞろぞろと駅へと向かっていた。これはさぞかし電車は混むんだろう――そう思いつつ駅に着いてホームに上がれば、想像以上の満員電車がやって来た。


 降りる乗客はほとんどいない、乗る人ばっかり。人波に流されるまま電車に乗りこみ、そのまま奥へといざなわれ――その時私の繋いだ手が強く引かれ――いつの間にか乗降ドアの間近に陣取った昌幸くんに私は囲われていた。いわゆる密着壁ドンで。


「……えっと」

「この方が安心だよね」


 急な状況に頭の追いつかない私と笑みを見せる昌幸くん。もちろん照れ顔になってしまって、私は小さく頷くしかできなくて。カレシに守ってもらう――恋人との理想の一時のまま、試験会場になる企業の入居したビルの最寄り駅まで向かう。そんな状況もあと少しで終わる頃、奥の方で騒ぎが起きた。


――この人、痴漢です!!


 聞こえたのは女性の声で、私が人波に流されて行き着きそうになった反対側のドア付近からのものだった。


「どうやら危機に遇わずに済んだみたいだ」

「……うん」


 昌幸くんはそう言ってくれるけど、同じ女性としては気の毒に思うところがある訳で。でも――


「被害に遭った方には悪いけど、僕には花織が一番大事だから」

「……ありがとう」


 私が大事だ――照れ顔で言ってくれる昌幸くんに、私も嬉しさが込み上げる。私も昌幸くんに視線を集めたから、痴漢騒動の喧騒も遠く感じるようになっていた……


 こうして無事に試験会場にたどり着き、無難に面接などを熟すことができた。おかげで揃って内定を貰うことも出来て。もしかして幸運というご縁がある?――この企業にそう思えたから、二人でこの企業に勤めると決めた。

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