私たちのハンセイ記
亖緒@4Owasabi
第1話 花織視点①
「……まさか……呼び出したのが、あなただなんて……」
今目の前にいる男性に、それ以上の言葉を紡げなかった。私の最も――二度と会いたくなかった
「それはこっちの台詞なんだけど? 嫁の幼馴染の奥さんがカオリンとはね」
昔と変わらず軽薄な言葉使いをするチャラそうな男。
「ま、これも頼られた縁やから――まずはこれ、見てちょーだい」
私に向けられたスマホの画面には、テーブルに差し向かいで座る男女の写真が映されていた。女の方は――私。先月の夏祭りの時、顔見知りの男性と偶然出会い、飲食店でしばらく談話した際のひとコマだった。盗撮されていたことに、サッと血の気の引く思いがする。
「……これが……どうしたと言うの?」
精一杯強がって見せる……けれど……
「強がるところは相変わらずよな~。でもカオリンの大事なヤツにゃー、まだ教えてない――そうやろ?」
図星を突かれ、私は悔し気に俯くしかなくて。
「なら俺に従ったらいいで。ま~た染めちゃるわ、快楽っちゅう麻薬でなあ――」
「――誰がっ――」
顔を上げ、悪魔の言葉に被せるように抗議の声を上げる――そうするハズだった私の目の前に再び突き付けられるスマホ、その画面に映っていたのは……
「……どうして……どうして残っているのよ!」
「どうして、やろな~?――知りたいんなら、従ったらええ」
絶望の淵に立たされた気がして、思わず警戒を怠ってしまう。その隙に背後へと回り、腕を前に回して服の上から私の胸を掴む悪魔。
「次ん時はもーっと色気のある服装で来たらええよ」
リクルートスーツで来た私に次回の指示を出しつつ、手はピンポイントを攻める。出来るなら声に出して助けを呼びたい。けれど今は耐えるしかない。遠く離れた愛しい人に、迷惑を掛けたくないから。
しばらく続く攻めに、少し艶のある吐息が混じり出す。このまま続く……期待し始めたその時、両の手は放れていた。
「ふふ、今日はここまでにしておくわ。また連絡する、必ず来るんよ。もちろん来なかった時は……分ってるよな?」
身体に力が入らず床に私は手を突いてしまう。そんな私に、過去は知られたいか?――そう言葉を捨てて、悪魔は呼び出したホテルのロビーから立ち去った。私はこれから先のことに思いが走り、次第に体の震えが止まらない。ただただ後ろめたい気持ち、それだけに頭を支配されそうになりながら…………愛しい人との過去を懸命に思い出し抗った。
◆◇◆◇◆
――泣きたい!
私、
「……えっと、ハンカチは必要ないかな?」
お隣から聞こえる遠慮がちな声に、ようやく私に向けられたものと分かって――
「わ、た、し――ですか?」
やっとの思いで絞り出した声は弱々しく。それでも彼は聞き取って――
「そうそう。良かった、気付いてくれて。取り合えず、ハンカチ使うかい?」
「…………うん…………」
肯定の意思表示をしていても動き出さない私に、根の深さを感じたのかなと思う。お隣の席から腕を伸ばして、いつしか滲んでいた涙を優しく拭ってくれた。これが、後に名前を知る――
◇◆◇
第一志望だった企業のビルを出たところで――介抱のお礼をせねば――件の彼が出てくるのを待ち構えていた。けれど、小一時間待とうとも件の彼が出てくることはなく。この日の時間の猶予も失くしてしまい、感謝の気持ちを伝えることを諦めた。後日会えた時にこそ、遅れた日数分も含めてお礼をしよう――そんな決意を胸に秘め、私は一敗地を後にした。
そんな細やかな願いは、第三志望の企業の面接日に叶った。やはり第三志望の企業からも敗戦の辞をいただいてしまったけど、件の彼に出会えたことで舞い上がっていたから、面接結果は最早どうでもよかった。件の彼をお礼の場に誘えたのだから。
「あらためまして、AM大三年生の小野寺花織と言います。先日のA社面接日に介抱くださってありがとうございました。あの、これ、あの時お借りしたままのハンカチです。ちゃんと洗濯しましたので受け取っていただければ幸いです」
私の開口一番はガチガチに固まったものだった。しかも自分が言いたいだけの長台詞を早口で。陰キャとかコミュ障とか、私そんなじゃないハズなのだけれど。こんな私に件の彼は呆気に取られた表情を見せる。やってしまった!――そんな後悔が胸の内でぐるぐる渦巻かせる私はまたも顔を俯かせ、明るいカフェの一角にウッソリとした闇を齎していた。
……プっ! クスクスクス……
目の前の席から抑えきれずに漏らされる小さな笑い。もっともっとディープなところへ私の勇気が引っ込みそうになったところで、件の彼は謝罪をくれた。
「ごめんごめん、つい笑ってしまって申し訳ない。僕は佐々木昌幸、KK大の三年生です。C社の面接日でもまた会えるとは奇遇ですね。ハンカチも返していただきありがとうございます。ちゃんと受け取りますよ。それで、あの日のことは、もう大丈夫ですか?」
続く自己紹介に、お礼の受け入れ、ハンカチ返却の謝辞、そしてあの日の涙への気遣い。優しく柔らかに応えてくれる笑顔の彼に、私の心は鷲掴みされたように、私は口走ってしまう。
「えっと、佐々木くんって呼んでも?」
「はい、大丈夫ですよ、小野寺さん」
まるであなたに興味がありますと言うように――継続してお付き合いを持ちたいかのように。彼も――佐々木くんも同じだと言わんばかりの顔付きで承諾をくれる。そこからは話も弾んだ。あの日の涙の理由や、お互いの専攻学科に趣味に普段の生活、そして経歴と多岐に渡って。特にお互いビックリしたのは――
「えっ! 佐々木くんも宮城の出身?!」
「いやいや、小野寺さんも仙台のすぐ近くじゃないですか」
そう、私たち二人は同郷だったということ。正確には、佐々木くんは仙台駅から北へ少しの住宅街に、私は仙台市から少し南の隣接市に実家があって。通学した高校は違っていたけど、たぶん放課後や休日には、仙台市の繁華街で擦れ違っていたかもしれない。
これ程の偶然の連なりに徒ならぬものを感じてしまってもおかしくない――いや、普段の私ならオカルト紛いは信じないハズだけど――それ故に私たちは意気投合したんだ。その上、調子に乗ってしまい――
「ねねっ! 良かったら、就活の企業対策を一緒にしませんか? 狙ってる企業は似通ってるみたいですし」
「いいですね。一人での対策立案に限界を感じていたところなので」
図々しいお願いだったけれど、佐々木くんから同意の返事を貰えた。佐々木くんはA社で私より先の面接試験に進めていたから不要かもしれない。けど不合格だったらしく、自分のイケないところが分からなくて――というのが、同意してくれた理由だそうで。
そして話題はお互いの就職志望企業の業種の事になって、私が佐々木くんに覚えた疑問を口にしていた。
「商社以外のお仕事じゃダメなの?」
「…………僕の目標は、父なんです。父も商社マンでして、本来縁のなかった人と人を繋ぐ、この仕事こそ人間らしい仕事だと背中で語ってくれました。出来たら僕も、僕の子供に背中で語りたいと思いまして…………」
佐々木くんには私以上の拘りがあると思ったから聞いてみた。案の定、佐々木くんは確たる夢を持っていて、それでいて理由を語る時の顔付きは大人びていて。その姿に眩しさを、その中身に芯を感じ取って。おかげで私の得意な事で仕事に付きたいという思いは、子供の夢だと思い知った。
「そっか。なら目標に向けて頑張らな――」
「それは小野寺さんもだよ」
「――えっ?」
希望の実現を応援してると伝え、この話はなかった事にしよう――取消しの申し出をしようとした、その矢先に私の事も肯定されてしまった。
「僕らはまだ大人の成りかけだよ。夢を見ていたっていいじゃないか。僕は小野寺さんを否定しない」
佐々木くんは少女のような私の夢も大事だと語ってくれる。その真剣な眼差しを向けてくれる、そんな佐々木くんに私は心惹かれかけていた。
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