第10話 昌幸視点③
花織のイヤイヤがこだまするリビングに飛び込み目にしたのは、花織を抉るチャラ男の後ろ姿だった。醜悪な絵面になっている二人に催す吐き気。それでも我慢しながら、僕は力の限り名を叫ぶ。
「かおりーーーー!」
声を枯らしながらチャラ男のトップスの襟を掴む。突然現れた僕を振り返ったチャラ男だが、襟を掴まれたため抵抗できず、後ろへと引き剥がされ転がされた。
「――
チャラ男が呻き声を上げる。僕は我を忘れ――チャラ男の汚物を踏み抜こうと片足を上げた。そこで耳を打ったのは――
「……まさ、ゆき、さん?」
花織の誰何に行動が止まる。ゆっくり振り上げた足を戻し、花織へと振り向いた。
「……まさゆき、さん……どうして……どうして、ここに居るの?……どうして……どうしイヤアアアアアアアア――ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ――」
ここに居るはずのない僕に、花織の理解力は追いつかない様子を見せ――次第にぼやけた思考が焦点を合わせ始めると悲鳴を上げた。そして謝罪の言葉を止め処なく漏らす。僕も花織の様子に狼狽し、完全に動きを止めてしまった。だから背後から衝撃に耐え切れず床に突っ伏してしまった。
「――コノヤロウ! 何しやがんだ!!」
僕の背中に圧し掛かったチャラ男の声がした。そして僕の首に腕を巻き付け締め上げようとする。僕は堪らず呻きを漏らすけど、微かに呼気が漏れる程度にしかならくて、助けを呼ぶことも叶わない。
「――花織の旦那かよ。ちょうどいい、お前を餌に花織を躾けてやる!」
「――ダメ、ダメなの。昌幸さんを傷付けちゃダメなの。何でもするから、昌幸さんを傷付けちゃダメーー! 私、何でもするからーーーーーーーー!」
チャラ男は花織を服従させるため、僕を出汁にすると言い出した。そうなってはならないから僕は力のある限り抵抗したが、血の気の引く感覚と共に体の力が抜け始めた。花織は花織で目の前で繰り広げられる闘争劇に、自分の身を差し出すことでチャラ男の攻撃を止めようと声を張り上げる。しかし――
「そこまでよ、青治」
静かなミーちゃんの呼びかけで、チャラ男の動きがピタッと止まった。花織もまた新たな人物の登場に顔を引き攣らせる。僕は抜け掛けた力を何とか入れ直し、チャラ男の下から這い出た。そして仰向けに姿勢を変え、荒い息継ぎを整えようとする。
「青治、約束は覚えて――いるわよね?」
ヒッと小さく悲鳴を上げるチャラ男。能面のように色のないミーちゃんの表情、底冷えのするミーちゃんの言葉、それらに続いてリビングに入ってきた黒服二名を見ての反応だった。
「イヤだ! 俺は頼まれただけだ! 悪いのはあいつなんだ! おこぼれを少しぐらいもらって何が悪い! ベーリ――ムグッ!!」
拒否に責任逃れに小賢しさに、それから何かを言い掛けたチャラ男だったが、黒服たちの制圧術は凄まじく簡単に取り押さえられ口を塞がれていた。最後に言い掛けたのは何だったのか、結局は分からず終いで。黒服たちはチャラ男に猿轡や身体の拘束を手早く行い、僕や花織を顧みることなく――
「ご苦労さまでした」
「お嬢、それでは」
ミーちゃんの労いに一言だけ投げ返して、抵抗するチャラ男を部屋から担ぎ出して行った。急に静まり返った我が家に気が抜ける。僕は力が抜けて、その場に腰を下ろした。
「さて、マー君に花織さん。目的達成にご協力感謝いたします。わたしの旦那がご迷惑をかけたわ、ごめんなさい。申しわけないけど、後は二人でよしなに」
そう言葉にしながら一度お辞儀をしてリビングを出て行くミーちゃん――リビングから姿が見えなくなったと思ったら、すぐにミーちゃんが顔を見せた。
「ごめんごめん、マー君に渡すものがあったわ」
ミーちゃんが僕に近づいて一枚の写真を手渡してきた。その中に写るのは――
「それと――諸々は後日回収に伺います。いつになるかは明日にでも連絡しますね。それじゃ」
敬礼のような手付きを頭上で行い、ミーちゃんはようやく姿を消した。残された僕と花織は気不味さに黙り込んでしまう。ただ剝き出しのままの下半身に気付いて、上着をそっと花織に掛けた。
チャラ男の確保案件は終焉を迎えたのだから、僕は花織から色々と聞き出さねばならない。だが喉は
◆◇◆◇◆
「マー君の初体験は、わたしとしたのよ?」
「……それがなんだって言うんです?」
初音とデートの約束の日、僕は仙台の駅前へと向かった。ペデストリアンデッキの階段にほど近い一角を待ち合わせ場所にしていたのだけど――初音だけじゃなくミーちゃんもいた。その二人の雰囲気は険悪としか表現できそうになかった。
「マー君が好きなのは誰か? 本当は誰か、あなたは分かる?」
「それって脅迫ですか? 昌幸君は渡さない、て」
言い争いの原因は僕だった。つい階段を登り切らず、隠れてしまう。そっと二人の様子を見ると、二人は顔を近づけていた。お互い、今にも噛みつかんばかりに。
「マー君は渡さないわ。どんな女にも」
「昌幸君はだれのモノでもないよ」
「なら、あなたは部外者ね。今日はもう帰るといいわ」
「部外者はあなた。昌幸君とデートするのはうち」
「デートなら、わたしが引き受けるわ。わたし、ちょうど時間が空いてるから」
「なんだ、相手にされてないから時間が空いてるのでしょ? うちは約束してここにいるの」
「…………」
静かにヒートアップする言い合いは、ミーちゃんが押し黙ったことで決したみたいで。
「……今日はお邪魔したわね」
「二度と来なくていいから」
踵を返すミーちゃんに、シッシと追い払う初音。ミーちゃんを見送った初音はゆっくりと息を吐き、青空を仰ぎ見ていた。僕はミーちゃんに負けなかった初音に心を揺さぶられ、決意した。初音との関係から仮の一字を外そうと――
◇◆◇
その日のデートの最後は、初音の家への招待だった。招かれた家には親御さんも兄弟の気配もなかった。
「……今日はね。両親も弟も、鳴子へ遊びに行ってるんだ。だから……二人っきりだよ……」
そう言って初音は僕の胸に飛び込み、顔を押し付けてきた。日中の陽ざしの中で汗ばんだ僕の匂いを吸い込んでいるようだった。その様子が、何となく初音自身を鼓舞しているように見えて。
「……もしかして、ミーちゃんに言われたこと、気にしてる?」
「もう! やっぱり見てたんだね!」
どうやら誘導に引っ掛けられたらしい。薄々隠れ聞いていたことは、バレてたようで。
「……ゴメン……」
「なんとなく、わかってたから、謝らないで。はじめ、いつもと違う顔してた」
ミーちゃんとのことで疲弊しているにも係わらず、気丈にも僕を気遣ってくれる。僕には出来過ぎた彼女だと思う。そんな彼女の願いだから――
「昌幸君の彼女として、だれにも負けたくない。だから――シて?」
「分かった。出来るだけ優しくスるよ」
そして少女漫画大好きでテニス大好き娘を、多数の少女漫画とテニス用品で囲まれた彼女の部屋で、僕は大人に変えた。それから初音と会う度に、最後にはシてばかりいた。大人になった初音の欲は、僕の想像以上だったから。欲に限っていえば、ミーちゃんよりも果てしなく強かった。
ミーちゃんに負けなかった初音に、僕の気不味い学校生活に抗う自信を貰った。おかげで、進学のための勉強も、ミーちゃんを躱すことも、初音との交際も、順調だった。
――あの頃のように、勇気と自信を分けておくれ――
◆◇◆◇◆
二人でジッとしていると、静かな我が家に啜り泣きの声が響き始める。声の
「…………ごめんなさい……ごめんな、さい……ごめん、なさい…………」
激しく謝罪の言葉をくり返した時と同じく、花織は同じ言葉を繰り返す。今度はさすがに狼狽しなかったが、僅かに戸惑ううちに花織に声を掛け難い雰囲気となっていた。だが僕と花織の未来を決めるために、この状況を打ち破らねばならない。だから勇気を振り絞って花織への問いを僕は口にした。
「……花織は……さっきの男と……いや、花織にはさっきの男が……どんな存在なんだ?」
まずはチャラ男が花織のどんな存在か知るべし――助言だけでミーちゃんは教えてくれなかった二人の関係性。ならばと最初に花織に問い質した。だけど花織は黙り込み、なかなか口を開く気配を見せない。根気よく待ち続けてようやく口を開いたのだが――
「……大学の……昌幸さんと出会う前の……知り合い、です……」
花織は言葉を濁した。ミーちゃんから聞いたチャラ男の経歴から、花織の話に間違いはない。だが全く不十分で。
「そうじゃない……どこまで深い仲だったか……答えて欲しい」
再度僕は問い質した。暗に関係を知っている――そう匂わせて。
「…………昌幸さんと出会う前の…………
しばらく時間を掛けて花織は返答をした。僕の前の
大学へ入学して入ったサークルの先輩後輩が最初の関係だった。チャラ男が先輩で花織が後輩。しばらくしてサークルの歓迎会があり、いつの間にか酔い潰れていた花織はチャラ男に持ち帰られていたという。そして目覚め気付いた時には裸に剥かれ、お腹の下の方に消せない落書きをされていたそうだ。落書きの内容は……チャラ男の所有物を示唆したもので。当然花織は抗議したが、逆に夥しい数の写真で脅迫されてしまう。
警察に訴え出る事は考えたが、出来なかったそうだ。当時の花織の心中を考えてみれば、訴え出なかったことは納得できる。地方から東京へ出てきた独り身の女性。一度その被害が明るみに出れば、自分だけでなく地元に残した親兄弟にも興味本位の目が多数集まることは想像に難くない。だから出来なかったそうだ。
そして始まるチャラ男との共同生活。チャラ男本位のセックスは当たり前。時に脅迫、時に暴力、ややもすれば貸し出される。しばらく花織は自身の部屋に軟禁状態にされたらしい。
ただ花織が音信不通では不味かったらしく、大学へ通うことはチャラ男監視の下で行われ、一年次の単位は最低限取得させられた。サークルへもチャラ男同伴で参加している。また時折り花織の実家へ心配ないと連絡を入れさせられていた。
こうして付かず離れずで存在感を示すチャラ男に、花織は精神を疲弊させた結果、割り合い早い時期にチャラ男へ靡いてしまう。
僕も少しは花織の奉仕テクニックを知っている。頼みもしてないのに初めて奉仕を施された時は軽いショックを受けた。かなりのテクニシャンで、チャラ男を大変喜ばせたらしい。
話を聞きつつ僕はつい歯噛みをしてしまう。その表情を見た花織は言葉を詰まらせて、しばらくチャラ男との過去を語ることが中断してしまった。
何とか語りを再開させて、話は終盤に差し掛かる。花織が二年に進級した春、チャラ男は急に姿を見せなくなった。要は失踪した。戸惑ったのは花織で、生活の一部始終はチャラ男が支配していたのだから、何をして良いか分からなくなったらしい。
そこで手を差し伸べてくれたのが、僕も知る花織の友人たちだった。友人たちはそもそも花織と同じサークルの人らだそうだ。友人たちのカンパで花織の腹部の落書きは消された。ただ整形の痕は小さな傷として残り、花織は今も僕にでさえ余り見せないようにしている。
それから大学へ休学届を出し、心療内科などの世話になりつつ、アルバイトをして整形手術などの費用を友人たちに返していったそうだ。一留していた真の理由はこうだった。
ちなみに友人たちのサポートが手厚かったのは、チャラ男がサークルの真の在籍者でなく、いつの間にか紛れ込んでいた異物だったことが大きな理由だという。
高校までと違い、大学に無関係な人物が入り込んでも早々誰何もされない。風紀は学生による自治が基本だからだ。学生が呼んだ関係者と言い張れば警備員も粗末には扱えない。
花織のチャラ男に係わる過去話の聴取を終えた僕は、一つの確認を必要とした。聴取の中でチャラ男の背景についてほぼ出て来なかったから。花織は知っているのか、いないのか。
ミーちゃんから先程手渡された写真には、その疑念が結実して不思議ない場面が写されていたから。故に次なる聴取はこの設問から始めた。
「花織は――花織の言う悪魔の出身大学は、知っているか?」
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