第15話 命の叫び
魔法というものがある。
言うまでもなく、それは特別な力だ。
神に誓約することでその力を借りる『信徒』。
『信徒』は世界中に存在する。何しろ、世界中に神は無数に存在するのだから。たくさん居すぎるのだから。そんなものだから、誰もが神へと祈りを捧げ、その力を借りるために誓約する。
人間が神を崇め、神が人間に力を与える。それが、この世界に循環する一つのルールだ。その関係性の最上位に位置するのが、神の力を直接借りて、超常の現象を引き起こす魔法使いである。
彼らは一息で竜巻を起こし、人睨みで雲を散らしたかと思えば、触れずとも敵を彼方まで吹き飛ばし、動かずとも一つの海峡を渡る力を持つ。
まさに人間に非ざる力である。
「――時神クロノイロスに告ぐ」
そして、王国へディアが誇る騎士団に集う騎士たちはすべてが魔法使いである。その力を評価され、王国に忠誠を誓い、王国へディアに仕える彼らは、等しく神の御業と共に戦う。
故に、へディアは列強と呼ばれ、大国としての地位を持つのだ。
【冷刻】のローディア・ガンベルトもまた、へディアに忠誠を誓った騎士の一人である。
「我が誇りと矜持に懸けて、ここに我が神から賜りし第一の魔法を解放しよう」
祝詞は紡がれる。同時に、彼が身に着けている指輪が淡く輝きだした。
「な……んだ、これ……」
同時に、ハイリは感じた。
周囲の空気が突然、粘性を持ったかのように体に纏わりつき始めたことに。いや、それだけじゃない。疲れ果てた自らの体では分かり辛いことだが――彼の動きもまた、次第に緩慢になっていっていた。
その事実は、へたり込むハイリよりも、目の前に現れた新手を殺さんと奮い立つ魔獣の方が、より顕著に感じ取っていた。
動きづらい、ではなく。
動けない、と。
「後学のために説明をしておこうか」
あらゆるものが緩慢になったこの世界で、ただ一人何事も無く動く男は、どういうわけか手のかかる部下への座学を片手間に始めてしまった。
いや、それもそうか。
この程度で動けなくなるような奴は、彼にとって敵ではない。それほど、彼我の差は圧倒的だった。
「魔法とは、神の御業によって世界の常識そのものを書き換える術だ。魔獣に溢れたこの世界で、人間が生き残るために神が与えた奇跡だ。そして、私の魔法は時神の名の下に、あらゆる物体の進行を否定する」
彼の魔法の影響下では、あらゆる『進む』という概念が『停止』する。それはまるで、時が止まってしまったかのように。
「私の魔法は制限を掛けなければ無作為に広がる。そのため、解放する際は細心の注意が必要だ。なにしろ、このまま放っておくと……世界そのものが止まりかねないからな」
彼の言う通り、その力は人の手に余るものだ。魔法の対象となる魔獣だけではなく、ハイリやその周辺の環境にすら魔法の影響が表れているのを見れば明らかだろう。
「だからこそ、神は信徒を試すのだ。信仰を用い、誓約を交わすことで、その人間が理外の力を行使するに足る人物なのかを。そうでなければ――この世界は、簡単に秩序を失ってしまうから」
秩序を失う。
「はは……そりゃ、こんな力を誰も彼もが使えたら……世界なんて簡単に滅んじまうんだろうな……」
彼の言葉に、ハイリは唖然とするばかりだ。
空を飛ぶ鳥がその動きを止めている。しかし、鳥が羽ばたくことをやめたのに、下へと落ちることはない。鳥は空中に静止したまま。
崩れ落ちる瓦礫も、肌をなぞる風も、空を行く雲すらも。
止まったのだ。すべてが。何もかもが。
進むことをやめてしまったのだ。
そして動きを止めた彼らに襲い掛かるのは、命すらも凍てつかせる冷気。熱とは、動のエネルギーである。その正反対に位置する『停止』の力は、故に再び動くことを許さぬ氷河期を齎すのだ。
時が止まり、凍りつく。
故に、彼はこう呼ばれる。
――【冷刻】と。
「魔法を解除しよう」
そして、静かに戦いは終わった。
いや、戦いですらなかった。なぜならば、ローディアは一歩も動かず、攻撃らしい攻撃もしていないのだから。彼はただそこに居ただけ。そこに居て、佇んでいただけだ。
それだけなのに、魔獣は動きを止めた。二度と動き出すことのできない氷の中で、息を引き取った。
自分たちが死にかけた魔獣が、いとも容易く討伐されてしまった事実に、ハイリは唖然とするばかり。
ともあれ、こうして戦いは終わった。
「――あ!」
ただ、落ち着くにはまだ早い。なにしろ、ハイリは一つの重大な事実を思い出してしまったのだから。
「ブディール! そうだ、ローディア! ブディールが不味い!!」
「ふむ、なにかあったのか?」
「この魔物は毒があるんだろ! あいつ、もろに毒を受けちまったかもしれねぇ!」
魔獣との戦いによって酔い倒れのようにまばらに路上で寝そべる彼らだが、倒れ伏す三人の中に一人重傷者がいた。
もちろん、囮として活躍していたブディールのことである。ハイリは今の今まで完璧に忘れていたが、彼は魔獣の尾の攻撃を受けていた。
そして、出撃前のルビーの言葉では、この度都市に侵入した魔獣は有毒であると語られている。尾の攻撃を受けたら、命はないと――
「ふむ、確かに死にかけているな」
「ブディィィルゥ!?」
はて、言われてローディアが確認してみれば、確かにブディールは毒に侵されていた。
白目をむき、口から泡を吹きながら、患部と思しき傷の周辺にまだら模様の痣が浮かび上がっているではないか。しかも痙攣までしている。もって数分と言ったところか――
「いや、おい! 何で死にかけてんだよ!!」
ここに来て死人が出るなんて寝覚めが悪い。そう思ったハイリが慌てたその時、パチンとローディアが指を鳴らした。
「静かにした方がいい」
「う、ぐ……」
慌てたところでどうにもならないと、ハイリは動きを止められてしまった。
「で、でもよ! ブディールが!」
だが、落ち着いたところでどうすればいいのかとハイリは叫ぶ。毒に対する対処法なんて――
「その毒は、フタツオマダラサソリのものだな」
「その通りだポーノ」
そんな折、起き上がったポーノがブディールの症状を見てそう言った。
その名前には、確かハイリも聞き覚えがある。
「そういえば、それって座学でやった……」
「大いに気に食わないが、あの部隊長の座学がここで役に立つとは……解せん」
思い出してみれば、その名前は座学の時間に部隊長のイグドラが出題した質問の中にあったものだ。その時は、ポーノがそもそもフタツオマダラサソリはここルスカンダ地方には生息していないと反論していたはずだ。
「なるほど、座学で学んでいると。ならば、対処はできるな?」
「い、いや……それが……」
座学では学んでいたが、彼らは座学をまともに受けていなかった。ハイリもポーノも、その知識を不必要なものとして覚えていなかったのである。
その事実を彼らの態度から察してか、改めてローディアは深いため息をついた。
「嘆かわしい。まったくもって、嘆かわしい」
「普通、ルスカンダ地方にフタツオマダラサソリがいるなんて思わねぇだろ!!」
「人を見殺しにするしかなくなっても、お前はそう言い訳するのか?」
「うっ……」
イグドラにしたように、ローディアの嘆きに反論するポーノであったが、続けられたローディアの言葉にはぐうの音も出なかった。
「反省することだな。座学とて甘く見るな。問いの一つが、一人の命を救うと心得ろ」
現に今、一つの設問を欠いたがゆえに、ハイリ達はブディールが苦しむのを見ていることしかできずにいる。
恥ずべきことばかりだ、とハイリは思った。なにもかも。自らの未熟具合には。
「それでは、座学を含めた治療を行おう」
そして、心の底からここにローディアがいてよかったと思った。自分の力不足を、噛みしめながら。
「フタツオマダラサソリの毒は即効性のある神経毒だ。投与からおよそ一時間もかからずに全身に毒が回り切り、呼吸すらもできなくなって死ぬ。それに対する特効薬が、このシロカサネ草の葉だ」
そう言ったローディアは、徐に懐からシロカサネ草を取り出した。
「随分と用意がいいな……」
「フタツオマダラサソリと違ってシロカサネ草はルスカンダ地方でも見つかる多年草だからな。救護班からくすねてきたものだ」
「なるほど」
なんとも準備の良いローディアに呆れるハイリ達。ともあれ、おかげで助かる命があるのだから、文句などない。
今のところは。
「しかし、素材のままのシロカサネ草の葉だけでは効力が薄いため、食べさせるだけでは有効な効果は表れない。さて、ここで問題だ。このようなケースでは、どういった処方が正しい?」
「え……」
そこで、座学としてローディアは二人へと問いを投げかけた。余談だが、今更ながらロッゲは疲れ果てて完全に気を失っているため、この座学には参加していない。
さて、ハイリ達としても、シロカサネ草が食べれば簡単に毒を直せるような優れた代物ではないことは、納得できた。
では、一体どのように使えばいいのか?
もちろん、授業をまともに覚えていないハイリにはわからない。それはポーノも同じで、それでも絞り出した回答で、あてずっぽうながら答えてみる。
「か、患部に貼る……とかか?」
「半分正解だ」
「半分?」
半分と聞いて首をかしげるポーノは、ふと嫌な予感を感じた。それもそうだ。何しろ、ローディアが徐に手袋を付け始めたのだから。
「え、えと……正解は?」
恐る恐る尋ねてみる。返って来た答えは――
「直腸吸収だ。貴様ら、このデブを脱がせろ。汚い尻に特効薬をねじ込むためにな」
「「いやぁああああああああ!!!!」」
人の命を救うためとはいえ、何故男を脱がせなければならないのか。
これには文句を言いたくなったハイリ達。しかし、人命には代えられないと、彼らはブディールを脱がせた。
そして薬の処方は行われる。
「あ、あ……なにこれ新体験ぅぅぅ……!!」
「戻れブディール!! その先には行ってはいけない! 戻れなくなるぞ!!」
「で、でもよぉ……お、俺ぇ……開いちゃう、新しい扉開いちゃうぅううううう!! うわああああああああああああああ!!!!」
死の淵から帰還したブディールの命の叫びが、この日、都市中に響き渡ったという――
☆
さて、なんとも汚れた一幕を経て、一先ずの終わりを迎えた魔獣襲撃。都市に侵入した魔獣たちは、無事警備隊によって討伐され、都市には平和が戻った。
ただ、その裏側で都市を守った彼女たちのことを語らぬわけにはいかないだろう。
場所は都市からほど近い西の森林地帯。そこに、一筋の小さな紫煙が、青空を目指して立ち上っていた。
「煙草は体に悪いですよ、へパさん」
「あん? いいんだよ、ルビー。あたしみたいな老害、もういつ死んでも構わないさな」
「私が構います。悲しみます。だから死なないでください」
「考えとくよ」
その森に居たのは警備隊の隊長を務めるルビーと、以前、ハイリを酒の席へと誘ったへパであった。
森の中で一服するへパは、ルビーの小言に煩わしそうに返事をする。この至福の瞬間を邪魔されたくないのだ。
ただ、彼女ももう70を超えた老人だ。ルビーとしてはへパの体調が心配だった。
しかし、だ。
「そもそも、まだこれだけやれるさな。多少の不養生は見逃してくれよ」
「まったく……」
これだけ、と言ってへパは辺りを見渡した。そこには、森林特有の緑がすべて覆い隠されてしまうほどの、悲惨な赤で塗れていた。
このすべては、魔獣の血だ。
都市へと侵入した三匹の魔獣。それ以外の、森に潜んでいた都市を襲う可能性のある魔獣のすべてを、彼女らはたった二人で全滅させたのである。
「ちなみに、ルビーは何体狩ったんだい?」
「17ですね」
「お、勝った。あたしゃ26さな」
「競争じゃないんですから……」
子供のようににたりと笑って、自分の方がたくさんの魔獣を倒したと自慢するへパ。そんな彼女に呆れるばかりのルビーだが……彼女も別に手を抜いたわけではない。
(流石はへパさん。これでもそれなりに本気で魔獣を狩って回ったんだけどな……)
へパの方が討伐数に優れているのは、単純にヘパの方がルビーよりも優れていたからに他らならない。
実力主義の警備隊に置いて、ローディアの上に立つルビーよりも、へパの方が優れていたからに他らならない。
「しかしなにさ。こいつぁ、確かここの魔獣じゃなかったさな」
「東のマゴ砂漠原産の魔獣だったはずです。ルスカンダ地方には、少なくとも存在が確認されていなかったかと」
「なるほど。ってことはつまり、誰かが持ち込んだってことかねぇ」
以前にもポーノが言っていた通り、今回暴れた魔獣――フタツオマダラサソリはへディア王国のあるルスカンダ地方には生息しない種である。
それが突然現れて、都市を襲った。しかも、50体近い群れを成して、森に潜んでいた。
それを何者かが持ち込んだと予想するヘパであったが、ルビーはその考えを否定した。
「この巨大な魔獣をこれだけの数運ぶコストを考えると、その線は薄いかと思います」
「移動系の魔法は?」
「マゴ砂漠からここまで、どれだけの距離があると思ってるんですか……それなら、都市に近い魔境から魔獣を捕まえて来た方が手っ取り早いはずです」
「それもそうだねぇ」
なんとも不思議な話である。どうして、へディアとは国境ですら隣接していない東方の魔獣がこんなところに現れたのか。
「こりゃ、何かが起きる予兆かもしれないねぇ」
「不吉なことを言わないでくださいよ……まあ、でも」
不吉な未来を予感してケラケラと笑うヘパ。しかし、ルビーは必要以上に、その未来を不安には思わなかった。
「あなたがいる限りは問題はないと思いますよ。なんたってあなたは、へディアが誇る大騎士なのですから」
「ふっ、褒めても何も出ないさな」
ヘパ。
その本名を、ヘパイストス・ウゥルカーという。
またの名を。
へディア王国最高位騎士。
【剣聖】ヘパイストス・ウゥルカー。
ルビーだけではなく、この国の人間すべてが羨望する英雄。へディア王国に九人しかいない大騎士。その一人である。
「さて、町の方は無事かねぇ」
「大丈夫ですよ。私たちの部隊は、弱くありませんから」
「それはそうさな」
煙草を一本吸い終えたところで、彼女は都市の方角を見て、呟いた。
その言葉に、自信を持ってルビーは答えるが……ヘパが返した言葉には、無関心がにじみ出ていた。
まるで、期待していた応えが返ってこなかったような……2×3という問いに、Xと答えられて気分を害してしまったような。そんな風だ。
では、ヘパがこの会話に
(あの小僧は、無事に乗り越えられたかねぇ……)
誰に言うでもなく、ヘパは心の中でそう呟くのだった。
―to be continued
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