第13話 選ばれた犠牲、選ばれるべき犠牲
俺はクソ爺のことが大好きだった。
勘違いしてほしくないのは、今は顔も会わせたくないぐらいに大嫌いだってことだ。もちろん、今この場にクソ爺が現れたのならば、その顔面に握りこぶしを叩きこんでいたことだろう。
そのぐらいには、恨んでいる。
ただ、子供のころは違ったんだ。
クソ爺……じいちゃんは、村で猟師をしていた狩人だ。鹿狩りの名手として百発百中の弓を揮っていたじいちゃんは、おかげで村のリーダー的な存在でもあった。
そんなじいちゃんに憧れて、父ちゃんも狩人になったと聞くし、じいちゃんが毎度の如く持ち帰る戦果のおかげで、俺の家はそれなりに裕福だったと思う。
毎晩のように食事には肉が出るし、野菜や魚、本や調度品のようなものだって肉との物々交換で困らなかった。
そんな家に生まれた俺の楽しみは、じいちゃんの狩りについて行くことだ。村を囲む森の中、じいちゃんの背中を追いかけて森中を走り回るのが、俺は大好きだったんだ。
そしてじいちゃんにはいろんなことを教えてもらった。弓の作り方や植物の種類。獣が油断するタイミングや、危険な地形の見分け方――そんなことを一つ、また一つ教えてもらうたびに、じいちゃんは俺の憧れとなっていった。
いつかは俺も狩人になる。父ちゃんや母ちゃんにそう言ったら喜ばれたし、じいちゃんなんかは泣いてしまった。
そんな俺の人生に転機が訪れたのは、8歳の時のことだ。……いや、厳密に言えばそれからさらに一年後のことだが、始まりは8歳の時だった。
両親が消えたのだ。忽然と。
理由はわからない。ただ、じいちゃんは二人は遠くに行ったのだと教えてくれた。
寂しかった。寂しくて泣いたのは、両親が消えた日の夜だけじゃなかった。それでも、じいちゃんがいるから、何とか我慢できた。
父ちゃんと母ちゃんが居なくたって、それでも。そんな考えが変わったのが、一年後のことだ。
唯一、一人だけいた幼馴染が村から離れる時のことだ。その両親が、俺にこう言った。
「ハイリ君も早く逃げるのよ。そうしないと……村に殺されちゃうから」
9歳だった俺には意味の分からないことだったけど、父ちゃんや母ちゃんと仲が良かった人の言葉だったから、俺はその言葉に深い関心を持った。
だから、気づいたんだ。
その夜。言葉について考え過ぎて、眠れなかった夜。ふと、居間の方から聞こえて来た泣く声に。
家にいるのは、俺とじいちゃんだけ。つまり、この声の主はじいちゃん以外に居ない。あのじいちゃんが泣いている? その事実に驚きつつも、何があったのかと俺は聞き耳を立てた。
それが、いけなかった。
「息子を生贄にしたってのに……なのに……今度はハイリも……クソッ……クソがッ!! 自分だけ助ろうとしやがって……!!! 裏切りやがて……!! なんで、なんで……こんな……!!」
息子を生贄にした。その言葉に、俺の頭は真っ白になった。父ちゃんを生贄にした? なんの? 疑問符は尽きることなく湧き続ける。そんな折、ふと思い出したことがあった。
村の奥にある祭壇。そこでは、数年に一度若者を生贄にするという。
若者。そうだ、村を出て行った幼馴染の家族以外に、若者と呼べる人間なんていない。自分の両親を除いて。
そこまで考えたせいで、気づいたんだ。
じいちゃんが、父ちゃんと母ちゃんを神の生贄にしたことに。じいちゃんが、俺の両親を殺したことに。
じいちゃんが――
「じいちゃんが……殺した……?」
寂しかった。それでも、じいちゃんがいるから大丈夫だと言い聞かせていた。でも、その寂しさはじいちゃんが二人を殺したからで、そのことを俺に隠し続けていた。
一年間。俺は寂しかった。
その感情が憎しみに変わるのに、時間は必要なかった。
それからだ。この人殺しの村から出て行こうと考えたのは。でも、どうやったところで脱出は阻止される。
俺が最後の若者だから。
俺が逃げ出したら、次の贄が居なくなるから。
だから、俺は殺そうとした。父ちゃんと母ちゃんを殺したじいちゃんを。
見殺しにした村人たちを。
憎かった。憧れていた人が、自分の大切な人たちを奪ったから。
裏切られたと思った。
ただ、それ以上に――
俺は、父ちゃんと母ちゃんを返してほしかった。
だから、だから、だから――
☆
例えば、そう。
それは必要な犠牲だ。
親が子を助ける。命の危機に迫った時、せめて子供だけでもとその命を犠牲にしてまで、親というモノは自分の子供を助けようとする。
これもその一つだ。
魔獣侵入の警報を聞き、急いで避難場所へと移動する青髪の親子。そんな二人へと、魔獣は襲い掛かった。
襲い来る魔獣。強固な甲殻に覆われたそれは、凶悪極まりない牙に一対の鋏と無数の足を備えた昆虫のような見た目をしていて、連なるように連続したの甲殻の最後尾には、二股に分かれた尾が鎌首をもたげるように憐れな犠牲者を見下ろしている。
まるで棘棍棒のような尾だ。こぶのように実った尾の先っぽに無造作に生えた無数の針。それが鞭のように、或いは蛇の頭ように揺らいでいる。ただの人間が敵う相手じゃないことは、二股の尾を見ただけで一目瞭然だろう。
いや、それは尾がなくともわかることか。尾を上げた体高はおよそ三メートルだが、体長はさらに大きい。横幅なんて、それなりに広いはずの住宅街の通りを塞いでしまっている。今もなお、魔獣は窮屈そうに鋏やしっぽを周りの建築物へとぶつけて破壊をまき散らしているのがその証拠だ。
こんなもの、勝てるわけがない。
生き残りたければ逃げるしかない。
ただ、魔獣の前に立つ母は逃げなかった。
病に侵されていようとも、戦う力が無かろうとも、自らの子供を逃がすために彼女は立つ。
それが、残り僅かな人生で最後に見せることができる、娘への愛だとでも言わんばかりに。
「逃げなさい!!」
力強い母の言葉が、娘へと向けられた。
「い、いやだ……おかあさんといっしょがいい!!」
恐怖に包み込まれて動けなくなった少女は、母親への愛を叫ぶ。離れたくない。逃げ出したくない。
「馬鹿! 死んだら……元も子もないでしょ……!!」
「でも……」
「逃げなさい!」
「……う、うわぁあああああああ!!!」
少女には逃げるしかなかった。母親と一緒に居たい。でも、そんなことをしたら死んでしまう。死ぬのは怖い。だから、だから――
「ケホッ……じゃあね、マヤ」
獲物を定める魔獣は動かない。それが、娘が逃げ出すまでの猶予となったことに感謝した母親は、そのまま魔獣に向き直った。
ただ――
「え……な、そっちは――!!」
魔獣とは人類の敵だ。度々現れては、人々が築きあげて来たものを台無しにして、虐殺の限りを尽くす怪物。
それは母親の思惑を裏切って、逃げ出した子供の方へと尾を向けた。
「マ、マヤ!!」
既に魔獣の眼中に母親の姿はなく、逃げ出した子供に焦点を絞っている。魔獣の甲殻の下に生えた無数の節足が生み出す速度は驚異的。馬の全速力に匹敵する初速で魔獣が走り出せば、たかが12歳そこらの少女が必死になって逃げだしたところですぐに追いつかれてしまうだろう。
追いつかれて、殺されてしまうだろう。
鋏で斬られるか、尾で叩き潰されるか。それとも、もっともっとひどい死に方をするか。
「やだ、死にたくない……死にたくない……おかあさん!!」
こらえきれなくなった涙をボロボロとこぼす少女は、助けを求めて母の名を呼ぶ。しかし、間に合うはずがない。元より、病人故に避難に送れた人間なのだから。
そして、魔獣の尾が少女目がけて振りかざされる。
「あ……や……やだ……」
今際の際で、言葉すら紡げないままに少女は――
「――ふざけんじゃねぇぞクソ野郎!!」
少女は、助けられた。
棍棒をふるうように高らかと掲げられ、流星のように落とされる魔獣の尾。それが少女へと叩きつけられるその瞬間、少女の背後から超特急で猛突してきたそれに防がれたのだった。
「ああクソ……嫌なことを思い出させやがって……覚悟しろよクソサソリ、俺が相手になってやんよ!!」
バックルを握り魔獣へと立ち向かった男は、少女を守りながらそう言った。
その男の名は――
「俺は……アルダ貿易都市警備隊見習い兵士ハイリ――」
気づいた時には、ハイリは自分がそこに居た。
「ここは俺に任せて逃げろ! そんぐらいの時間はたっぷりと稼いでやる!!」
自分の背丈を大きく超える魔獣には、流石のハイリだって恐怖する。足がすくみ、飛び込めば命はないと本能が訴え続けている。今すぐ逃げ出したほうがいい。そうしないと死んでしまう。
今もなお、そんな赤い警鐘が脳裏をびりびりと刺激している。ただ、それでも。
彼は、親子を見捨てて逃げ出したくなかった。
親を失った子を見たくなかったから。
子を失った親を見たくなかったから。
自分を、思い出してしまうから。自分の過去と、重ねてしまうから――
そうと気づいた時には、既に足は魔獣へと向かって突撃しており、その拳は支給されたレザーシールドを握りしめて殴り掛かっていたのだ。
ならばこそ、戦おう。
見習いであろうと、力不足であろうと。
この都市を守る警備隊の一人として。
自分がそうしたいと思ったから。
〈ギギギギギギ!!〉
はてさて、狙っていた得物を邪魔されたからだろうか。威嚇するようにガチガチと牙の鳴らして激昂している。
そして、またもや魔獣は尾を構える。今度は、獲物ごとハイリを吹き飛ばすように横薙ぎに尾を払う――だが、その攻撃は止められた。
誰に?
他でもない、彼らに。
「は、はは……お前ら!」
「ふざけんじゃねぇぞハイリ! 一人で飛び出しやがって、お前だけにはかっこつけさせるかよ!」
「この戦場には風の貴公子の力が必要だろう……功績の独り占めなんて刺せねぇぞコラァ!!」
「俺のデータではここで参加することが吉。出し抜かれることだけは阻止しなくてはいけないからな!」
遅れて駆けつけたロッゲ達が、横一列にレザーシールドを並べることで、魔獣の尾の一撃を跳ね返すことに成功したのだ。
「あ、ありが……」
「気にすんな! 早く逃げろ!」
「は、はい……!」
それから、ようやく少女が離れたのをハイリは確認して、それから改めて彼は魔獣へと向き直る。
「さて、やることは決まってるな」
「当り前だろ、ハイリ」
ハイリの問いかけに、当然だろうとロッゲが答えた。
並ぶ四人。目の前には、容易く人を殺す魔獣が一匹。更にその奥には、逃げそびれた病人が一人――
ロッゲの言葉に続いて、ポーノとブディールは言う。
「民間人を助ける。時間を稼ぐ。二つで一つだ」
「風の貴公子にはなんてことはない任務だな」
警備隊としての役目。それは住民を守ることだ。
自分たちが生き残ることではない。住民を生かすことだ。そのために、彼らは前を見る。相対すべき敵を見る。
「ハイリ。俺のデータにいい考えがある」
「ちょうどいいポーノ。今日ばかりは、お前の大法螺話に付き合ってやるよ」
戦いのゴングは、今鳴らされた。
―to be continued
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