第12話 夢のまた夢のまた夢


 二日酔いと拷問をスクランブルした地獄の一日が過ぎた。


 色々と酷い目に遭ったハイリであるが、翌日にはケロリとした様子で雑用をこなしているのを見ると、彼が乗り越えて来た場数が伺い知れる。


「あ、ルビー隊長だ」


 そして現在、彼は昼食終わりの雑用中だ。今日の雑用は広い宿舎の掃除で、四人はそれぞれ手分けして掃除を進めている。なお、ハイリの担当は四階の窓ふきだ。


 黒々とした濡れ雑巾を片手に次々と窓を拭いていくハイリ。そんな折、ふと窓の外の景色から見えた練兵場の景色に、彼はルビーを見つけた。


 ちょうど、定期的に行われる戦闘訓練の最中のようで、ルビーは隊長として指導に務めている。


 指導、と言ってももっぱら向かい来る兵士たちを木剣片手に叩き転がしているだけなのだが。それにしても卓越した腕前だ。あのローディアの上に立つだけはあり、幾人もの現役兵士を叩きのめしていく姿には、彼女の高い実力が窺える。


 そんな姿を見て、ハイリは先日のバーでのことを思い出した。


「……『きっとハイリにも見つかるはずだ。考えも感情も価値観もかなぐり捨てて、目指したいと思えるような何かが』、か」


 酔いにぐらついた頭でもしっかりと記憶に残っていたその言葉をぽつりと繰り返して、反芻する。


「まあ、ゆっくりと見つけていくことはできるか」


 然したる目的のない彼だが、この理不尽とも呼べる兵役期間はしっかりと満了するつもりではある。というよりも、村に居た時のように、必死になってでも出ていく理由がないだけなのだが。


 ただ、最低でもあと一年はこうして見習いをするのだ。急ぐ必要もないだろう。


 そう思いながら、彼が雑用に戻ろうとした時だった――


――カァンカァンカァンカァン


「……なんだ?」


 聞き覚えのない鐘の音が、離れた場所から聞こえてきた。方角は西。距離からして都市の外壁付近からだろうか。


 非常に耳障りで、不快になる音だ。それが狂ったように何度も何度も鳴らされている。


 おそらくはなんらかの報せなのだろうが、当然ながらハイリはそれが何を報せる鐘の音なのかが判別できない。故に、この鐘が声高らかに歌うにも、彼はすぐに気付かなかった。


「ハイリ! 緊急事態だ!!」


 怒号のようなウルスクの声に呼ばれて初めて、彼は非常事態であることを知る。


「西方の外壁が魔獣の襲撃によって破壊された! 緊急招集だ!」


 その報せを、ハイリはすぐに受け入れることができなかった。いや、どちらかと言えば、外壁が破壊されたという言葉を、彼が理解しきれなかったと言った方が正しいか。


 なんたって、アルダ貿易都市の外壁は一分の隙も無く都市を囲んでいて、人の背丈の数倍はある壁はジャンプしたって届かない。そんな壁が破壊された? にわかには信じられない。……飛び越えられた、ならまだしも。


「え、外壁って……」

「一年に何度かこういうことがあるのさ。魔獣の繁殖期は特にな……ともかく、事態は一刻を争う。今すぐ練兵場に向かうぞ!」

「お、おう!」


 ただ、前代未聞というわけではないらしい。とにかく、ここで話しているわけにもいかず、ウルスクに指示されるがままに、彼は練兵場へと向かうのだった――





 練兵場にたどり着いてみれば、招集がかけられたために非番に関わらず多くの兵士が集まっていた。

 その中には、見知った顔もいる。


「お前も来たか、ハイリ」

「見習いだが兵士だからな。お前らだってそうだろ?」


 ロッゲ達だ。ハイリの顔を見つけた彼らは、相変わらずの調子で声をかけてきた。


「逃げ出したかと思ったぜ」

「そりゃどういう意味だよポーノ」

「ふっ、風の貴公子ならばまだしも、お前のような一般人には荷が重いからな」

「なめんなよブディール!」


 加えて相変わらずのやり取りをする四人だが、今は非常事態。流石にそこはわきまえているのか、いつものように殴り合いには発展せず、ほどほどに言い合ったところで、ヒートアップすることもなく会話は終わる。


 それから、彼らは改めて自分たちの周囲を見た。


 いつもならば、適当に自分たちがウルスクに転がされている練兵場。しかし、今は冗談すらも許されないような灰色の空気に包まれている。見える場所にいる兵士たちは皆、どこか落ち着かない様子だ。


 そもそも、既に彼らは完璧に武装している。武器はもちろん、胸当てや籠手のような防具もきっちりと着込んでいる。そのせいで、何の防具も武器も装備していない自分たちが浮いていた。


 そんな光景にハイリは思わず言葉を漏らす。


「……物々しいな」

「まあ、魔獣の侵入となればな」


 ハイリの独り言に言葉を返したのはポーノだ。


「魔獣に立ち向かうのは相当の覚悟がいる。下手な実力じゃ、それこそただ死にに行くだけだ。だから、みんな気が気じゃない。次に死ぬのは自分かもしれないから」


 見習いたちの中で唯一魔獣の恐ろしさをしる彼はそう語った。


 さて、ポーノの言葉が終わったところで、練兵場に凛とした声が響き渡った。


「集まったな! では、手短に状況を説明する!!」


 声の主はルビーだ。彼女は集まる兵士たちの群衆を、練兵場に設置されているお立ち台の上から見下ろしながら声を張り上げた。


「現在、西南西23区外壁が魔獣によって破壊された! 観測されている魔獣は三体! 有毒種! 尾に生えた毒針をくらったらおしまいだと思え!」


 語られるのは、この都市に侵入した魔獣について。時間がないため手短になった説明には、魔獣の侵入箇所と注意すべき要点のみが語られる。


 あまりにも少ない情報量にハイリは混乱するばかりだが、警備隊の兵士たちは違った。それぞれが、自らの武器を強く握りしめ、力強くルビーを見ていた。


 彼らは、彼女が語るであろう最後の言葉を待ちわびる――


「説明は以上だ! それでは、全員馬車へ乗り込め! 出撃だ!!」

「「「総員出撃ッ!!」」」


 その言葉と共に、兵士たちはいっせいに馬車へと乗り込み、我先にと魔獣の元へと急行していった。


 そんな中、取り残された見習いたちは、先輩方の発する熱量に唖然としたまま立ち尽くすばかりだった。


「いきなり出撃て……」

「俺たち、まだ武器も持ってないんだけど……」


 ぽつりと、あらゆる流れに置いていかれたロッゲが呟き、その声に続くようにブディールが何も持っていない自分たちの手を見下ろした。


「おい、見習いたちはこっちだ!」

「ウルスク、どういうことだよ!」


 さて、呆けているばかりの彼らには、出撃していった兵士たちとは別方向から声がかかった。声をかけて来たのはウルスクで、彼が示す馬車にはハイリ達と同じく武装していない警備隊の人間が乗っている。


「住人の避難誘導が僕たちの任務だ。ほら、今も魔獣は進攻してきてるから、急いで乗れ!」

「お、おう」


 待たせているのも具合が悪い彼らは、事情が呑み込めないながらも促されるがままに馬車へと乗り込む。


「それじゃあ改めて任務の説明をする。僕たちの仕事は、魔獣の被害が予想される市街地での民間人の保護だ」

「誘導じゃないのか?」

「それもあるけど、一応毎年のことだからな。外壁付近の住人は避難場所への経路をわかってる人の方が多い。だから、メインは何らかの理由で避難が遅れている住人の補助になってくる」

「なるほど」


 馬車の後方で顔を付き合わせた四人は、ここで改めてウルスクから自分たちの仕事が通達された。どうやら、ハイリたちは最も危険な最前線からは逃れられたらしい。


 まあ、実力不足のひよっこたちを危険地帯に送り出さなければならない程、この都市に余裕がないわけではないので当然なのだが……魔獣の前に立つ必要がないとわかったことで、ロッゲたちは露骨にほっと安堵していた。


 そんな彼らをハイリは小ばかにしようとも思ったけれど、そんな場合じゃないことはわかっている。


「それと、一応これね」

「……なにこれ」

「レザーシールド。万が一の備え」


 ハイリ達に手渡されたのは、直系60センチほどの円盾だ。確かに、魔獣とは戦わないとはいえ、彼らが赴くのは魔獣の被害が出ると予想される地域。そう言った備えは必要だろう。


 それならば防具も用意してほしいという言葉を、ハイリが呑み込んだところで、ガタゴトと忙しなく動いていた馬車がぴたりと止まった。


 早くも、現場に到着したらしい。

 宿舎近くと変わらぬ石畳の敷かれた外壁沿いの住宅区画。ここが、魔獣被害が予想される地区だ。


「さ、着いたぞ! それと、お前らは四人一組で動くこと!」

「こいつらと!?」

「冗談じゃない!」


 とまあ、相変わらずの冗談(本人たちは至って真面目だが)を交えつつ、馬車から降りた彼らの避難誘導は始まった。


 彼らの文句については簡単に予想ができていたのウルスクだ。対策として、木剣によって強かに彼らの頭部が打ち据えられた。

 容赦のなさは兄譲りと言ったところか。


「痛つつ……容赦なく叩きやがってあいつ……」

「俺なんか盾を弾かれた上で拳で殴られたぞ」

「き、貴公子の顔に傷が……」


 愚痴をこぼしつつ、大人しくしたがった方が身のためだと、見習い四人は集団行動を始める。


 外壁付近の住宅地。バザールのある中央の大通りと比べれば小規模ながら、この都市に住む人々の営みが潜む場所である。


 三階建ての似たような建物が連なるが、無個性というわけではなく、そのどれもがそこに住む人間の個性が出た装いとなっている。建物の間に吊るされた洗濯物や、軒先に置かれた花壇に咲いた花々を見れば、つい先ほどまで人の活気にあふれていたことが容易に伺い知れるだろう。


 そんな景色を見渡して、ハイリは言う。


「それにしても、魔獣が攻めて来たってのに案外静かなもんだな」


 彼としては命の危機を前にした住民たちが、我先にと逃げ出してパニック状態になっているとばかり思っていたが……予想は外れていたようだ。


「そういうなハイリ。これが常識が覆るような非常事態ならばまだしも、俺たちにとっては毎年起きることだからな」

「そういえばロッゲの家も一回魔獣被害で壊されたっけな」

「間違えるなブディール。二回だ」


 自らの不幸に顔を暗くさせるロッゲの言う通り、言い方を弁えなければ魔獣襲撃もアルダ貿易都市にとっては毎年の恒例行事のようなものだ。


 となれば、被害の多い外壁付近の住人も避難には慣れたもので、ひとたび魔獣襲撃の鐘の音が鳴れば、特に誘導する必要もなく避難は完了する。


 とはいえ、不測の事態はいつだって起こり得るものだ。それこそ、地理に疎い観光客などが外壁辺りをぶらついているケースだってある。そういった人を避難場所へと案内するのが、今回の彼らの任務である。


 さて、どんな形であろうと見習いの彼らにとっては初の出動。ともなれば、腑抜けてしまったハイリを含めて、大なり小なり無駄に士気が上がっていた。


 自然、彼らはこう考える。


(((こいつらを出し抜いてたくさん人を助ければ点数になるな……)))


 クズである。偽善である。なお、ハイリはハイリでまた違ったことを考えているのだが、ともかく。

 ここに居る四人中三人は、兵士となり騎士になる為には功績が必要と聞き及んでいるがために、その功績を稼ぐことばかりを考えていた。


 しかし、ウルスクから四人行動を言い渡されている以上、どうやって出し抜いたものか。


 考えて、考えて、ロッゲ達三人は一つの解答に同時にたどり着く。そして、たどり着くと同時に、何の疑問もなく実行する――


「「「あ!!」」」


 重なる三人の声。続けて語られる言葉は、見事な三重奏となって人っ子一人いない石畳の街並みへとこだました。


「「「あんなところに全裸の美女が助けを求めて蹲ってる!!!」」」


 三人それぞれが別の方向を指差しながらも、まったく同じ言葉を叫んだ。


 ここで彼らの行動を説明をすると、どうやら彼らはお互いにそうやって気を逸らしたすきに、背後から盾で殴って気絶させようと考えていた。


 そうして自分以外を行動不能に追い込めば、自由に出し抜くことができる……のかもしれないが、思惑通りにはいかなかった。


「「「なんだとっ!?」」」


 驚くべきことに、全員が同時に相手の嘘に気を取られてしまったのだ。普通、『UFOが飛んでいる!』と似たような文句を言われたところで、馬鹿正直に信じる人間なぞいるはずがないのだが……。


 この場合、彼らは互いの気を惹く魅力的な文句を見事言い放つことに成功したと捉えた方がいいのだろうか。


 ともかく、全裸の美女を求めてあらぬ方向へと視線を彷徨わせる三者。そして、それが嘘であることに気づいた彼らは、怒りをみなぎらせていうのだった。


「「「このくそ野郎どもよくも騙しやがったなァァ!!!」」」


 はたしてこれが、つい数秒前に仲間を騙そうとした人間の言葉なのだろうか。ともあれ、いつも通り醜き喧嘩へと発展した彼らを見ながら、ハイリは呆れかえる。


「ったく、こいつらは……」


 普段であれば、ここにハイリも混じっているのだが……まあ、騎士どころか兵士を目指す志がないハイリからしてみれば、彼らが画策する点数稼ぎには興味がない。


 故に、ハイリが彼らの争いに交わることはなかった。


「……あ」


 見るに堪えない人間のゴミから目を背けていた折、遠くを見たハイリの目に一組の避難が遅れた親子が映った。もちろん、彼らが求めるような全裸の美女ではない。


「はぁ……はぁ……」

「急いでおかあさん! 急がなきゃ、魔獣が……」

「わ、私は大丈夫だから……先に避難するのよ、マヤ……」

「やだ! おかあさんといっしょがいい!」


 子供は12歳ほどの青い髪をした少女で、彼女の小さな肩を借りてなんとか避難している親の方は、見るからに健康とはかけ離れた様子だ。


 おそらくは、病気の親と一緒に避難していたから遅れてしまった、と言ったところだろう。


「おい、馬鹿ども。仕事の時間だ」

「「「馬鹿とは何だ馬鹿とは!!……って、避難民か」」」


 ハイリの呼びかけに激昂する三人であるが、自分たちが保護するべき住人の姿を確認すると同時に、冷静さを取り戻した。


 そう言った分別はつくらしい。ならば、普段の様子は一体何なのだろう。


 ともあれ、病人の症状によっては一刻を争う。無理に移動した結果、病気が悪化して死んでしまったとなれば、悔やんでも悔やみきれない。


 なので、急いで彼らは親子の下に駆け付け――ようとした。


「……な、なんだ!?」


 その足を止めたのは、親子のさらに奥の方から聞こえて来た轟音が原因だ。がさがさと耳障りな足音が聞こえたかと思えば、煉瓦造りの建物が途端に崩れ、轟音を響かせながら土煙が上がった。


 何が起きたのか。四人の理解が追い付かない。ただ、舞い上がる土煙の中に現れたシルエットを見て、彼らは悟った。


 崩れた建物から現れた三メートルのシルエット。明らかに人ではないそれは、想定しうる最悪の事態が訪れた証拠。


 そこから、彼らは二つの事実に直面する。


「魔獣……!!」


 一つは外壁沿いの最前線にて、先輩方が食い止めているはずの魔獣が都市部に現れたこと。


 そしてもう一つは――


「ひゃ……ま、ま、まじゅ……」

「マヤ、逃げるのよ!! 私のことなんてどうでもいいから! 早く!」

「で、でも……」


 その魔獣が、すぐそばで怯える親子へと襲い掛からんとしていることだった。


 ―to be continued

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