第17話 宙映る水面に光を見る


「お疲れ様」


「マジで疲れたわ」


「でもハイリ、結構余裕そうだったじゃん?」


「全然。あれがお前には余裕そうに見えたのか? 俺もロッゲ達も全滅寸前。もしもあれが余裕そうに見えたんなら、一回医者に診てもらった方がいいぞ」


「酷い言いぐさだなぁ。ひど過ぎてむしろ喜ばしいぐらいだ……まあいいけど」


「しっかし、魔獣ってのは強いな本当に」


「そりゃね。あれ、一応普通なら人間じゃ敵わないような、根本から生物としての格が違う存在だし。違い過ぎて、一周回って似たようなもんだし」


「格ってなんだよ」


「蟻が力勝負で象に勝てないのとおんなじだよ。象に勝ちたいんなら、おんなじ象を味方に付けないと」


「象さんなら俺にもついてるぞ」


「ハイリってそんなこと言うキャラだっけ? いやまあ、思考回路は下世話だけどさ。下世話過ぎてむしろワイルドだけど」


「……まだ酒が回ってるらしいな。いや、そもそもだ」


「どうしたの?」


「…………お前、誰だ?」


「……」


「……」


「ふふっ、誰でしょう?」



 ☆



「……ッ!?」


 ハイリが飛び起きた場所は、酒場の外にあるベンチの上だった。


 何か夢を見ていた気がするが、ぼんやりとしていて思い出せない。それどころか、寝る前の記憶すらぼんやりとしている。


「っつつ……頭がくらくらする。絶対あの酒のせいだな」


 ハイリの記憶は、かみごろしに口を付けたところで途切れている。あの酒のせいで酔いつぶれたことは明白だ。そして、結果酔いつぶれたハイリを、誰かがここで介抱してくれていたのだろう。


 そう思いながら、ハイリはベンチから体を起こした。まだまだ夜明けには遠い星が空を埋め尽くす時間帯。これからどうしようかとハイリは悩む。


 なにしろ、酔って気絶した手前、またあの酒場に戻る気にはなれないわけで。かといって、このまま宿舎に戻るのもなんだか味気ない。


 ただ、何かをする予定も、遊びに出かける場所も知らないままでは、このベンチの上でボーっとしている意外にやることがない。


 だから、どうしたものかとハイリは悩んだ。


「お、やっと起きた」


 そうして悩んでいると、横合いから声がした。


「あれ、あんたは……確か、サバルディさん……でしたっけ」

「あ、覚えててくれたんだ。そうそう、先輩のサバルディだよ」


 どうやら、ハイリを介抱してくれていたのは、いつだかに自己紹介をしてきた先輩のサバルディであった。


「うす、ありがとうございます」

「あはは、いいよいいよ。僕もちょうど、風に当たりたい気分だったからさ」


 老人ではないと、先輩には礼儀正しいハイリである。どれもこれも彼の祖父と村が悪い。ともあれ、それでもひねくれずに育ってくれたことを喜ぶべきか。


 さて、真面目にサバルディへと感謝を伝えたハイリは、暇を持て余すように雑談へと興じた。


「しかし、あのかみごろしってなんすか」

「あれねぇ……昔、酒好きの隊長が作ったらしいけど、僕も詳しいことは知らないんだよね」

「酒好きの隊長……」

「今じゃ大騎士らしいよ、その人」


 ふと、貫禄のある肌年齢のの顔が頭に過った気がするが、気のせいだろう。そもそも、ハイリは彼女が大騎士であることを知らない。それでも彼女の顔が脳裏を掠めたのは、ハイリの野生的な勘が何か言っているに違いない。


「そういえば……もう一人、あの時いましたよね。たしか――」

「ベルヘット?」

「ああ、その人です。一緒じゃないんすか?」


 話を変えつつ、そう言えばと話を振るハイリ。前にサバルディと会った時は、横にもう一人、筋肉質な兵士が居たはずだ。


 名前は確か、ベルヘット。快活そうな筋肉で、浮かべる笑顔は善人のそれ。ただし、そんな彼らの顔をロッゲ達は疑い、ハイリがミイラ男にされてしまったのは懐かしい記憶だ。


「あいつなら宿舎の方に居るよ」

「あ、そうなんですね。一応、挨拶しておいた方がいいっすかね」

「あー……」


 以前、ベルヘットたちが声をかけてくれた時に、ハイリ達は困惑したまま自己紹介を返せなかった。それを思い出したからこそ、改めて挨拶した方がいいかと伺ったハイリに、言葉を濁したサバルディが言う。


「会いたいなら、案内するよ」

「……?」


 含みのある言葉に、疑問符を浮かべるハイリだ。

 なんだか会話がすれ違ってる気がしなくもないが、会えるのならば会っておこう。そう思い、ハイリはサバルディに連れられて、宿舎の方へと向かう。


 そこで理解した。彼がどうして言葉を濁していたのかを。


「え、こ、ここって……」

「ああ、そうか。君は医務室に居たから知らないんだったね」


 彼が連れてこられたのは宿舎裏手。練兵場からも、宿舎のどの窓からも陰になって見えない場所。そこには、無数の石碑が並んでいた。


 その一つの前に立って、サバルディは言う。


「死んだよ、ベルヘットは」


 サバルディが視線を送った石碑には、ベルヘットの名が刻まれていた。


「え、いや……」

「不意を突かれて、何人か持ってかれてさ。部隊長たちに責はない」

「そ、それは……」


 ハイリにとって、死には嫌な思い出がある。両親を失ったあの夜の孤独。あの時の悲しみを思えば、友人を失ったサバルディにも同情で器用。


 それでも、目の前の死に何かを言うことができずにいた。


「どうして、そんなに平然としてる、んですか?」


 失った悲しみを知っているからこそ、サバルディのなんともないような態度が理解できなかったのだ。


 事件は今日の昼に起きたこと。あの惨劇から、まだ半日しか経っていないはず。なのに、なぜそんなに平然と、友人の死を見下ろすことができるのか。


 ともすれば不躾なハイリの言葉は、場合によっては人を怒らせ、殴られても仕方のないものだ。それでもハイリは訊かざるを得なかった。それほどまでに、信じられないモノだったから。


 サバルディは、取り乱すことなく言う。


「いつかはこうなるって、思ってたからだよ」


 その言葉に再び、ハイリは言葉を失った。


「18の時に兵士になって6年ぐらいかな。僕は孤児院の出でさ、同期ってこともあって似たような境遇のベルヘットとは意気投合してたんだけど……まあ、不向きって奴かな。二人そろって一兵卒止まり。だから、さ」


 6年間。それは、サバルディが自らの実力を知るには十分な時間だった。自分が、隊長や副隊長たちのように戦えない人間であることを知るには、十分すぎる時間だった。


 だから、思うのだ。


「何時命を落としてもおかしくない。僕も、こいつも。だから、その時が来たか、としか思えなかったんだ」

「そ、そんなの……おかしくないですか!?」


 だが、ハイリはそれを否定する。


「だって、だって……ほかに道はなかったんすか! 例えば、警備隊やめるとか……そうすれば、死ななくても……」


 不合理だと叫ぶハイリ。彼が言える立場じゃないかもしれないが、死んだら元も子もない。少なくとも、自らを弱いと理解しているのならばなおさら。


「兵士はさ、給料がいいんだ」


 しかし、現実はそう上手くはいかないものだ。


「僕の居た孤児院は経営難で。僕が普通に仕事をして、お金を入れても余裕がないんだ。だから、兵士をしてる」

「でも、死んだらお金なんて……」

「ううん、違うよ。この国の警備隊じゃ、死んだら死亡給付ってのが家族に送られるようになってる。それがあれば、少しは食べていけるからさ。だから、死んでも大丈夫なんだ」


 家族を養うために、兵士は死地へと赴くのだ。だからこそ、いつ死んでもおかしくない。


 そう言って、サバルディは悲し気な笑みを浮かべた。


「そ、そんなの……」


 おかしい、だなんてハイリは口が裂けても言えなかった。金の価値に疎いハイリでもわかる。自分の家族が大切なことぐらい。そんな家族が生きられるためならば、なんだってすることぐらい。


 両親を幼くして失っているハイリでも、よくわかった。


 それでも、だからといって、死んでもいいだなんて。

 いいわけがない。家族のために兵士をやっているのならなおさら。


 たとえ死んでも金がもらえるのだとしても、死んだらその人は二度と帰ってこない。もう二度と会えない。


 だから、だから――


「……俺、は……俺が、守ります」

「それは……どういう意味かな?」


 家族を養うために死地に行くのを否定することはできない。だからと言って、死んでもいいだなんて絶対におかしい。


 だから、ハイリは心に決めた。


「住人にも、もちろん警備隊にも。そんな風に……理不尽に殺されていいような人間なんて誰も居ません……だから、俺が強くなります。理不尽な死を、無くせるように!!」


 水面に落ちた星が光る。


 理不尽に命を奪われるということは、誰にとっても幸福とは言えない。残されたものにとっては、死にたくなるほどに。

 それをよく知っているからこそ、ハイリは決めた。


 強くなって、魔獣から守ると。


 都市の住人も、警備隊の人間も。自分の目の届く範囲の、全てを守れるように、と。


 心から、そう思った。


「それは違うよ、ハイリ君」


 ただし、サバルディはハイリのその覚悟をバッサリと切り捨てる。まさか、否定されるとは思っていなかったハイリであだ。あんまりにもびっくりしすぎて、ぽかんと口を開けて呆けてしまった。そんな彼をクスリと笑いながら、サバルディは言った。


「僕も強くなる。だから、違うんだ」


 それは、サバルディの覚悟だった。


「僕は頭が悪いから、親友が死ぬまで気づけなかった。一兵卒でいいわけがない。死んでいいわけがないんだ。だから、僕も強くなる。強くなって、みんなを守れるような騎士になる。孤児院も、警備隊の仲間も。だから、君だけが強くなる必要なんてないんだ」


 彼は誓ったのだ。死んでしまった親友に、自分は強くなると。ベルヘットを失った分だけ。強くなる、と。


「とりあえず、ハイリ君は見習いから脱するところからだね」

「うっ……そうっすねぇ……」

「見習いなんかで足踏みしてたら、僕はすぐに置いてくから。覚悟しておくように」

「そんなこと言って、すぐに追い抜かしてやりますよ!」


 星空の下で、悲しみを乗り越えた二人は語る。


 心の底から誓った覚悟と、後悔に裏付けられた望みを。だからこそ彼らの想いは高らかに空へと昇り、いずれは一等星のような光を放つだろう。


 その光が、自分を苦しめることになるとは知らずに。


 今はただ、届かぬ空へと手を伸ばすばかりだ――



 ☆



 同時刻。


 アルダ貿易都市より遠く離れた森林の奥地にて。


 そこは、かつてハイリが暮らしていたとある村。そこでは、生贄を求めた喜びを分かち合う宴が、毎夜の如く催されていた。


 住人たちは皆酒を飲み、口々に喜びを語り合う。


 そんな彼らを傍から見ていた老人は、一杯の酒を仰いで空を見上げた。


「何をしてるんだよ」

「何って、星を見てるんだよ、星を」

「あんた、ハイリを追放してからずっとその調子じゃないか」


 心ここにあらずと言った様子で空を見上げる老人は、ハイリの祖父である。そんな彼の様子を心配してか、近所に住む老婆が声をかけて来た。


 ただ、そんな心配にも、彼は無機質に返事をするばかり。


「確かに、ハイリが居なくなってから静かになったもんだがねぇ……それでも、森ん中に罠を仕掛けて回るような悪たれ小僧、居なくなった方が安心できるってもんじゃないのかい」


 思い出してみても、ハイリに関しては碌な記憶がない。なんたって、森に入った瞬間に鳴子が鳴り響いたかと思えば、落とし穴に仕掛け網。時には腐った卵やツチイモの粘液があちらこちらから飛んでくる始末だ。


 ひどい時には弓矢に剣山、爆弾などなど……子供のやることにしては度が過ぎている。


 そんなハイリが居なくなったのだから、ようやく安心して森の中に入れるようになったと喜ぶべきなのではないか。


 そう老婆は語った。ただ――


「馬鹿いえ。確かに罠は仕掛けちゃあったが、どれも殺意のこもってねぇへちゃむくれだ」

「そうかい?」

「そうだよ。あいつ、俺たちが両親を殺した仇だって知ってて、それでも本気で殺そうとしてこなかったんだ」


 ハイリが仕掛けた罠には一定の法則があった。巧妙に隠され、見つけることも困難なものはたいていが非殺傷性の嫌がらせ目的のもの。中には殺傷力の高いものもあるが……大抵が罠を踏み抜く以前に、罠だとわかるような甘いものだった。


 だから、祖父はハイリを殺せなかった。


 ……いや、それは前からか。


「もしかしたらあいつは気付いてたのかもな。本当だったら、あの裏切り者共が裏切らなきゃ、あいつは死ぬ必要なんてなかったって」

「どうだか」


 事の始まりは9年前。すべての歯車が狂ったで、この村の未来は崩れた。その結果、ハイリの両親は無駄死にに終わり、ハイリも生贄にならなければいけなくなった。


 それでも、ハイリはその逆境を乗り越えて、ついには神すらも殺してしまったのだ。


 この村を縛っていたを。


「どっちにしろ、孫に気を遣われる時点で、合わせる顔なんてねぇよ」


 祖父は語る。ハイリは気付いてたのだと。


 ハイリには悟られまいと、必死に隠し続けて来たそれに。


 息子夫婦を殺してしまった慟哭に。

 ハイリにすら手を掛けなければいけない絶望に。


 そんなものに気づいていたから、彼は本気で殺しに来ていなかったのだと。


「案外、わしらを殺せるような罠を作れなかった、って落ちかもしれないぞ」

「それだったら言うまでもねぇよ。ま、何時か会うことになった時に聞くだけだ」


 そうしてまた、彼はぼんやりと空を見上げた。


 ハイリ達が見上げる空と同じ星空を。



 ☆



 そうして翌日。


 アルダ貿易都市では魔獣侵入の騒動もひと段落が付き、見習いたちにも雑用という日常が戻って来た。


 そんな中、一つの変化が訪れる――


「おい、ウルスク。戦闘訓練はいつからだ」

「……今日の訓練は座学以外やらないつもりだが、どうしたのさハイリ」


 魔獣騒動で民間人を助けた見習い四人衆。しかし、大なり小なりの傷を負った彼らは、休養を理由に座学以外の特訓が免除されている。


 しかし、それでもウルスクへとハイリは戦闘訓練を願い出た。


「それじゃあ遅いんだよ。一日でも早く、俺は強くなりたいんだ」

「どういう風の吹き回しさ。ハイリは今まで、こう言うのは乗り気じゃなかった気がするんだが?」

「知るかよ。俺は今、強くなりたい。強い兵士になりたい。理由なんてそれだけで十分だろ」


 いつになくやる気を出したハイリが、雑用の片手間にウルスクへとそう言った。


 その言葉に、ウルスクは胸をなでおろす。


 腑抜けてしまったハイリであったが、どうやら気を持ち直した様子。彼に何があったのかは知らないけれど、元気が戻ったのならば、嬉しくないわけがない。


 何よりも、彼もまた兵士を目指すと言い出したのだ。


 ならば、指導役として何も言うことはない。


「僕の訓練は厳しいよ」

「今更だろ。むしろ、その方がいい」

「わかった。じゃあ、今すぐ練兵場に行くぞ!」

「望むところだ!!」


 悲しむ人を見たくない。


 彼はあの日、あの夜。祖父が家族を殺したことに、強い絶望を覚えていた。縋っていた祖父すらも裏切り者だった事実に孤独を覚え、涙を流した。


 ただ、それよりも。


 自分の手で家族を殺さなければいけなかった祖父を、彼は憐れんでいた。


 憎しみながらも、憐れんだ。


 どうしていいか、わからなかった。


 だから、だから。


 そんな思いをした自分と、同じ思いをする人を生み出したくないと思った。


 心の底から。


 強くなって、誰も悲しまなくていい世界を守れるような人間を、目指したいと思った。


 それが始まり。


 これが、ハイリという人間が紡ぐ物語の最初の一歩。


 彼が巻き起こす、波乱万丈な物語のプロローグである。





 一章前半 完


 ―to be continued


 ―next 一章後半『氷の仮面が隠すモノ』




※―――



 ここまで読んでいただきありがとうございます!


 続きが気になれば是非フォローを。

 面白ければ感想や星を残していただければモチベに繋がりますので、是非ともよろしくお願いします!

 一生後編は、早ければ六月終わり、遅くとも七月が終わるまでには投稿します。


 それでは、また。

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