第2話 非常識がやってきた


 ハイドランド大陸西方に位置するルスカンダ地方は、広大な平野と温暖で安定した気候によって人間のみならず多くの動植物が息づく土地だ。

 そんなルスカンダ地方でも有数の大国へディアは、ルスカンダ地方を北から南へと横断する巨大河川エルー川に支えられて大いに栄えており、世界各地より様々な客人を集める大陸最大の貿易国家である。


 へディア貿易を支えるのは、国境から首都までを所狭しと張り巡らされた街道に点在し、時に旅人たちの休息の地となり、時に行商隊が風呂敷を広げるバザールの拠点となる貿易都市だ。


 ただ、経済の要衝であり国内外の人間が入り乱れる貿易都市は様々な利益を上げる一方で、多くのトラブルを生み出す犯罪やトラブルの温床でもあった。


 他国からの難民から始まり、行商隊を狙った盗賊、人身売買や違法薬物などを持ち込むブローカー、武装したテロリストや、世界破滅を企む邪教徒などなど、その幅の広さを挙げたらきりがない。


 そんな奴らに好き放題された挙句、国家利益の要である貿易都市を治外法権の無法地帯と化されてしまったらたまってものではない。


 故に、へディアは王都守護の要である騎士団を地方へと派遣し、警備隊を編成して、貿易都市の警備を強化した。


「また問題か……ここのところ問題が立て続くな」


 白銀の鎧を身に纏い、赤い髪をなびかせる彼女――ルビーもまた、へディア西方の辺境に位置するアルダ貿易都市の警備を任された騎士の一人だ。


 といっても、ただ任されたわけではない。20歳にして王国騎士に拝命された彼女は、そこら辺の一兵卒たちとは比べ物にならないエリートである。本来、騎士とは兵卒から下積みを経て功績を上げ、国家を運営する貴族からの推薦の元、へディア王から騎士の位を拝命しなければいけない程の狭き門なのだ。


 それほどの位を若くして拝命したルビーは、アルダ貿易都市の警備隊長という責任あるポジションに着かされた。


「それで? 解決はできそうなのか?」

「それが、直接的な犯行には至ってない為なんとも……」

「対応に窮しているなら私が直接出向く。南門の方だな?」


 もちろん、責任ある立場を十全にこなせる程の経験を彼女は持っていない。しかし、叩き上げと呼ばれる自分の名誉を挽回するためにも、彼女は隊長の責任を受け入れた。


 そしてゆくゆくは、あらゆる騎士の頂点に立つ大騎士になる――それがルビーの夢だった。


 となれば、へディアの中でも地方に位置するアルダ貿易都市で起きる些事にかかずらわっている暇などないのだ。

 さっさと問題を解決して通常業務に戻るべく、彼女は南門へと足早に向かった。


 聞く話によれば、どうやら南門で不審者が見つかったらしい。ならば、そのまま拘束し詰問するべきだとルビーは考える。


 それこそ、アルダ貿易都市には日常的に身の丈程の大剣や、何百メートル先の獲物を射抜く大弓を抱えている人間も出入りしているのだ。そのような事情を踏まえて、なお不審というのだから見てわかるほどの危険人物であることに違いない。ならばこそ、なぜ拘束すらしないまま自分に判断を任せるのか。

 その程度の判断を自分たちですることのできない兵たちの判断能力にまたもや憂うルビーであるが……彼女は知らなかった。


 非常識というモノは、あちらからやってくるということを――




 アルダ貿易都市は、ある事情から高さ十メートルの外壁が町全体をぐるりと囲んでいる。外壁にはそれぞれ四つの東西南北に分かれた街道へと続く大門が設置されており、毎日のように外国からの旅人が長蛇の列を作るのは、ここだけではなく国全体の貿易都市の名物と言えるだろう。


 ルビーが訪れたのは、その東西南北のうちの南に位置する門だ。特に東西南北の外壁に据えられた大門は、見上げる程に巨大で、今もなお旅人たちが開放された大門を行列を為して出入りしている。


 その大門近くにある関所へと入り、駐在の衛兵へと状況を確認する。


「状況は?」

「はっ、ルビー隊長。現在、不審者を入門列から引き離し、事情の確認をしているところであります」

「引き離しただけだと? 拘束もしていないのか!?」

「そ、それが……す、少し事情が……」

「もういい、私が直接確認する!」


 警備隊のマニュアルには、不審者は見つけ次第拘束という文言がある。それが不当なモノであろうと、順当なモノであろうと、むき出しのナイフを放っておくことができない様に、都市の治安を担う彼らは取り締まらなければいけないのだ。


 だからこそ彼女は、不審者を自ら取り締まるべく関所を飛び出し、衛兵用の大門横出入り口を抜けて、壁外で未だ悶着しているであろう不審者の元へと駆けつけた。


「何をもたもたしている! 貴様らの目をもって不審だというのであれば、すぐにでも拘束……を?」


 そして目を疑った。なぜならば、そこには全裸のまま木に縛り付けられた男が衛兵に取り囲まれていたのだから。


「え、い……んー……?」


 見えた景色を疑ったルビーは、一度目の前の光景から目を背けた。そんなことをしたところで現実が覆るわけはないが、自分の常識を超える光景を見たルビーには少し時間が必要だ。


 そしてもう一度、気を取り直して向き直る、が現実は変わらない。


 半裸の男は居るし、どういうわけか縄で三メートルはありそうな木に縛り付けられているし、なぜか木を背負ったまま男は歩いている。


 変態である。


 不審者を拘束するつもりが、既に不審者は拘束されていた……いや、拘束されているから不審者なのだろうか?


 ともあれ、こんな不審者が出てしまえば衛兵たちも対応に困ろう。なにしろ、マニュアルには木に縛り付けられたまま歩く全裸の男に対する対応方法なんてないのだから。


「お困りのようですねお嬢さん」

「え……あ、ああ」


 ルビーが困惑しているところ、変態が決め顔で迫って来た。彼女が困惑してる原因は主にこの変態のせいなのだが……まあ、一先ずその話は措いておこう。


 余談であるが、男は全裸であるがゆえにすべてを曝け出している。身の潔白どころか、何もかも包み隠していない。ぶらぶらと。


 ただ、ルビーもルビーで頭が状況に追い付いていないので、変態の言葉に応えることでいっぱいいっぱいだ。


「ふむ、貴方のような美しいお嬢さんを困らせるなんてひどい輩がいたものですね」

「そ、そうだな……」


 かっこつけた変態が動くたびにぶんぶんと、彼に括り付けられた巨大な木が右に左にと首を揺らす。その一挙手一投足に気を取られて上を見上げるルビーには、やはり下のぶらぶらとしたものは見えていない。


 よほど彼女はテンパっているのだろう。可哀そうに。


「ところで、お嬢さんには彼氏とかいるのでしょうか?」

「え、や、彼氏とかはいないぞ……」


 なにを真面目に質問に答えているのだろうか。ルビーは正常な判断ができていないようだ。


「それはもったいない。そのような素敵なおむ……ゲフンゲフン。素敵な女性なのに。よければ、僕なんていかがでしょう」


 かっこつけてルビーに言い寄る男。しかし変態である。全裸の状態で木に縛り付けられた変態である。傍から見れば完全なる事案でしかないが……正常な判断を失ったルビーにはわからない。


「あ、いや……そ、そんな、素敵な女性だなんて……」


 それどころか、男に言い寄られるという人生初体験に頬を染めている始末だ。この状況、むしろ目の前の人物が全裸であることに恥ずかしがる方が自然だと思うが。やはり正気ではないか。


 ただ、安心してほしい。今のところの登場人物は変態と混乱中の女騎士だけだが、この場に居るのはその二人だけではないのだから。


「そうですね。良ければこのあと、この町のおいしい店でも――」

「おい小僧」

「……はい?」


 これはいけると思った変態による追撃がされようとしたその時、変態の肩がポンと叩かれた。そうだ、ここには彼らがいた――


「お前みたいな変態が俺たちのお嬢の純情を口説き落とそうだなんて死刑だぞ若造ゥ!!」

「ひぇっ……」

「やっちまえ野郎ども!!」

「ヒャッハァァァアアア!!」


 ここに居たのは、変態と女騎士ともう一つ。純情で生真面目で、予想外の状況に陥るとテンパって何もできなくなるポンコツな女騎士のことを支える衛兵たちが居た!!


 彼らにとって、騎士という大役を任されても健気に頑張るルビーは、可愛い可愛い妹のようなもの。そんな妹をかどわかす狼が居ようものなら、修羅と化して彼らは狼を縊り殺すだろう。


 そうして衛兵たちに袋叩きにされた変態は、その後改めて拘束され、都市の牢獄へと送られるのだった。


「……はっ!? わ、私は一体何を……くっ、まさか奇策で私の動揺を誘うとは……不覚を取った……あの悪漢め、次に会った時はただじゃおかないぞ!!」


 そして、男が牢獄に送られた後でようやく正気に戻ったルビーは、初めて見た男の裸体に気を取り乱してしまった自分を戒め、そして変態への怒りを募らせるのだった。


 頭の角を幻視するほどに修羅と化した衛兵たちの攻撃から何とか生き残った変態だが、まさかこの都市の警備隊長に目を付けられてしまうことになるとは……彼の運命は如何に――



 ☆



「牢屋に入って大人しくしてるんだこの変態め!」

「くそっ!!」


 変態――ことハイリは散々な目に遭っていた。そもそも、前回から生贄にされかけたり、謎の災害に巻き込まれたり、家を勘当され村から追放されたりと散々なのだ。


 そこに加え、何もない草原の中に木に縛り付けられていた彼は、何とか拘束から逃れようと暴れた結果、服がボロボロになってしまった。


 それこそ、土に木に体をこすりつけまくった結果、縄の下を残して服の布地が破け散るほどに。ほぼほぼ全裸になるほどに。


 これはもう仕方ないと拘束から逃れることを諦めたハイリは、唯一自由に動かせる足でまわりの土をどかして、なんとか木を引っこ抜き直立することに成功したのだが。


 ここで、とんでもない怪力を発揮したハイリである。しかし、村から追放されほぼ全裸で木に縛り付けられているという状況に頭が麻痺したのか、それどころではなかったのか、その事実を特に気にしはしなかった。


 その後、彼はどうするべきかと考えた結果、とりあえず近場の町に行ってここがどこなのかを確かめようと思い立ち、ちょうど遠くに見えた街道を辿って、アルダ貿易都市へとたどり着いたが、ここまでの道のりだ。


 そして、アルダ貿易都市の南門での出来事は知っての通り。性欲に正直な男児らしく、好みの女性に言い寄った結果、地獄を見た彼は現在獄中である。


「素敵なおっぱいを見ていただけなのに、こんなことになるなんて……なんてひどい一日だ!」


 今のところ全裸を気にしている様子がないのは気のせいだろう。きっと、村から追放された悲しみから頭がどうにかなってしまったに違いない。


 ともかく、文字通りの無一文から始まった彼はこの先どうするのか――


「ふっ、新入りが来たか」


 その時、牢屋の奥から声が聞こえて来た。どうやら、ハイリがぶち込まれた牢獄には先客がいたらしい。


「しかし、随分な間抜け面が来たな」

「どうやら、ここよりも甘い場所から来たようだ」


 声の主は三人。警戒するようにハイリが牢屋の奥へと目を向けた時、彼は戦慄した。


「お、お前らは……!!」


 そこには居たのは、三人の全裸の男だった。


「そんな汚いものを見せるんじゃねぇえええええ!!!」


 本日二度目となるハイリの雄たけびが、獄中に響きわたるのだった――。


 なお、何度も言うようであるが彼も全裸である。




 ――to be continued

 

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