犀川よう様からの返答に、僕は足場を見出し、もしかしたら立って歩けるかもしれない

第60話 秋坂さんの「大いなる疑問を、大いなる自分語りに埋めてみた」へのお返事

https://kakuyomu.jp/works/16818023213320173035/episodes/16818093074649576238


 まずは犀川さま、丁寧な「あんさー」、本当にありがとうございました。

 やさしい言葉で分かり易く、犀川さまの過去のお話も伺えて、この時点で大変勉強になったのですが、最後の最後、僕がずっと悩んでいたことに、犀川さまは、ひとつの、サジェストと申しますか、言ってしまえば「物書き・秋坂ゆえへの期待・希望」を書いてくださっていました。


 それを読んだ時、僕はまたしても「赦された」ような、「これでいいのかも」という現状の肯定感を覚えました。

 以下、引用させていただきます。


——わたしは秋坂さん自身を見て、「この人の先にあるもの、足元にあるものを見てみたい」と思ったからです。


 自分で言うのもなんですが、僕のここまでの人生というやつは、もう言っちゃうけど、「日本に生まれ、育ち、小中高と教育を受け、例えば大学まで進学し、就職活動を経て内定をもらい、働いている」といったものとは掛け離れています。

 犀川さまがどの段階でそれに気づいたのか、見抜いたのか、或いは最初から見えていたのかは分かりません。

 しかし僕は、日本で日本語の小説を書くにあたって、これら経験がないというのは、いわゆる「日常モノ」を書く上で大きな弊害となっていて、変化球で書いてみたり、オリジナルの世界を作ってしまうとか、そういう貧乏くさい(?)ことをしてきたような気がします。

 その代わり、「これは俺にしか書けないぞ」と、ちょっとした確信とイキッている体験や経験が多々あります。だからこそ、ずっとそれらを書いていたのですが、僕の筆力では、せいぜい、


「こういう人間もいますよ」

「こんな人生もありますよ」


 という、いわば『エスノグラフィ』に終始してしまい、小説として、物語として、そこまでの切れ味はなかったと、自分でも自覚しています。

 特に日本の文壇事情で僕がいつも頭を抱えることになるのが、「純文」か「エンタメ」か、という二分化です(ここではライト文芸については触れません)。

 しかし犀川さまは、


——わたしが秋坂さんに期待しているのは、「普通の人では経験できないポジションからの世界を、読者に見せてあげること」です。文章の面白さや技巧などどうでもいい。秋坂さんの生きざまってやつを読者に叩き込んでほしいなと思います。


 と、おっしゃってくれました。

 

「嗚呼、俺は、この『体験や経験』を書いてきたのは、間違っていなかったのか」と僕自身を肯定してくださったように思ったのと同時に、先ほど『エスノグラフィ的なだけで主題や読後感がイマイチ』という作風に対して、「見せてあげること」という新たな視座を与えてくださり、さらには「秋坂ゆえの生きざまを叩き込んで欲しい」と結構でかい挑戦も僕に『期待』していると言ってくださいました。


 生きざま。でかい言葉ですよ、これは。


 お気づきの方もいらっしゃると思いますが、現在非公開にしている拙作「解離する日々のうた」は、僕自身や近しい人間のことを『徹底的に描いてこういう現実・生活もあると知って欲しい』という想いから生まれたものです。

 ですが、話を進めていくと、どんどん「え、これ私小説じゃね?」とセルフ・ツッコミを入れたくなってしまったのです。

 しかし、それは即ち僕の「生きざま」であり、さらに僕はこれをエッセイやノンフィクションとして書かずに、「で描こうと選択したのです。


 でしたらもう、自分の足で立ち、手に筆をとり、最初は遅々とした歩みでも進み、そして技術面など『』も忘れず、書き切るしかない。素直にそう思えました。犀川さまが、背中を押してくださったというより、


「自分、書けるんやろ? なんで書かかへんの?」


 という謎の関西弁で軽く絡んできたような(他意はございません)、その結果、名状しがたい『書き手としての秋坂ゆえ』への肯定と、激励を受けたように思いました。

 

 

 本当に、ずっと、かなり長い間、僕は僕なりに懊悩していたのです。

 それは「純文かエンタメか」というあまり必要性のないことから、「俺にしか書けないような体験、経験値はあるのに、どう読み手に届ければ良いのか?」、そして「普通の日本人ってどういう感じなの?」という少々稀有なことまで。


 もちろん、悩みが全て消え去ったとは言いません。

 しかし、書き手としての根幹を、これまで僕が努力して書いたきたものを、犀川さまは、極論言えば「もっと書け!」的にディレクトしてくださいました。

 ジャンルやカテゴリなんてどうでもいい、俺は今これが書きたい、だから書く! といった開き直りに近い気持ちです、今。


 そしてそういった開き直りor逆ギレテンションで書く作品は、僕の場合結構良くなるんです。

 ですから、「解離する日々のうた」ならびに「レキシントン大学東京キャンパス」シリーズ(これも僕の経験を基に膨らませた作品です)にとりあえずは着手し、読んでくださる皆さまに、僕から見える『世界』を「見せてあげる」ことに腐心したいと思っております。

 犀川さま、本当にありがとうございます!!


   ◆


 ところで、今回は例外的に僕がまた先に書いてしまいましたが、確か犀川さまは僕の「自動筆記」について書かれる予定だとおっしゃっていた気が。お応えできる範囲まで対応させていただきますので、どうぞ「俺のターン! ドロー!」と聞いてくださいませ(「ネチネチ」は少々おっかないですがw)。


 では、ターンエンドです。

 とりま自作書くぞーーーー!!! どろん。

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