大いなる疑問を、大いなる自分語りに埋めてみた
200X年某月某日、場所はアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ、築92年のアパートメント。
シングルベッドから抜け出して靴を履き、のそのそとリヴィングへと向かって半覚醒のままラップトップの電源を入れる。意識が完全に覚醒する前に僕の右手は煙草を一本取り出していて、PCがネットに接続されるのを待ちながらマッチで火をつける。
『You've got mail!』
僕が使っていたアメリカのプロバイダはブラウジングとメール管理機能を揃えていたので、今では「インターネット老人会」と呼ばれる奇妙なネット接続音の後、必ずこのボイスを聞いていた。
いつもであれば日本の友人や親族からのメールが多いのだが、その朝新着メールを、正確に言えばそのメールの送信者を見た瞬間、一気に頭が覚醒した。
大学のENG101という科目の教授、MG氏の名が表示されていたからだ。
僕は思わず冷や汗をかく。ニューヨーク市立大学某キャンパスに席を置いていた僕は、少々特殊なクラスに放り込まれ、「クラスにノンネイティブがひとりだけ」というかなりハードなカレッジ・ライフを送っていたからだ。
そして、その前日には、僕は初めて英語で小論文を書いて他ならぬMG教授に提出したばかりだった。メールの内容は、僕が書いたものについて質問があるとのことで、その日はちょうど別の授業もあったので、空き時間にMG教授のもとに赴いた。
一体何を聞かれるんだろう、やはりノンネイティブに大学レベルのライティングは及ばないのか……等と思いながらMG教授と対面すると、教授は挨拶もそこそこに、
「きみは日本でなにか、文章を書く教育を受けたり、専門的な機関にいたのか?」
と、黒縁眼鏡に白い指を添えながら、言った。
僕はそんな経験がなかったので否定したのだが、思い当たることが、ひとつだけあった。
「教育を受けたことはありませんが、幼い頃から小説を書いています。その、全部日本語で、ですけど……」
「なるほど、そういうことか……合点がいったよ」
僕は全然いってない。
「グラマーは細かいミスが多いが、全体のプロット、ストーリーテリングが素晴らしい。あとはこのセメスターで書くテーマをもっと具体化しよう。きみはすでに良い書き手だ」
マジか。
なんて今では茶化せるが、その時の僕は興奮に全身をぐるぐる巻きにされていた。
——言語が変わっても、筆力は生きるのか……!
残念ながら持病の悪化で、大学生活は続かず帰国することとなったが、僕はあの時の『ブレイクスルー』のような発見を、いまだに忘れられない。
いきなり自慢のようなエピソードから書いてしまったが、この文書の冒頭として、この出来事が象徴的なのではないか、と思ったまでだ。
実は、という枕詞は不要なのだが、僕は小説よりも先に、作曲を始めていた。
正確には、作曲は七歳から、小説が九か十歳だ。
そのためか、僕は親族や周りの『大人』たちに、
「ゆえくんは早熟だわ」
「ゆえは大人びてるね」
と言われ続けてきた。
だが、僕だって立派な子供だったのだ。『大人』がそう言うなら、僕は『早熟』に違いない、と、結構な年齢まで思い込んでいた。
だから、十七歳から公募の新人賞に自作小説を応募するようになり、一度は最終選考らしき合評でメッタ斬りにされたりしたが、デビューには至らず、気づいたら『早熟』なんて年齢はとっくに過ぎ去っていると気づいた時、「あれ?」と首を傾げたのだ。
その後も個人的なご縁で、現代フランス文学の編集者さんに原稿を読んでいただいて、情け容赦ないダメ出しをされたり、最近だと直木賞作家さんから短篇小説に鋭い指摘やアドバイスをいただいたこともある。こんだけボロクソに言われたら普通書くの辞めるんじゃね? と他人事のように泣きながら、それでも僕は書くことを辞められなかった。
今これを書いている僕は、まだアマチュアの小説書きだ。
奇妙な縁でWEBライターを数年間(ブランクはありつつも)続けたことは、現在も色々な形で小説の執筆に生きていると思うし、ジャンルも様々なものを書いてきたという自負すらある。
白状すると、二、三回、デビューの機会はあった。
だけど、一件は出版詐欺っぽかったし、他は出版社がいい加減すぎて自らお断りした。共同出版のオファーはしこたま来たが、僕の母親は、
「あんたの小説がほんまにええもんやったら、向こうから金出してでも出版させてくれぇてゆうてくるもんやろ」
と一刀両断。僕も半分以上同意していた。
そして考えを改めた。
僕は『早熟』ではなく、『大器晩成型』である、と。
でもそれも一種の逃げなのではないか、と自問することが最近増えていた。
僕は、持病の症状と薬の副作用が原因で、本を読むこと、特に紙の本でフォントが古い明朝体だったりすると、ほとんど、否、まったく読めなくなる。
これには波があって、一度一冊するりと読めたら、短期間でかなりの量を読むが、波が去ってしまうと、また「読みたいのに読めない」という苦しい時間が訪れる。
村上春樹がエッセイの中で、彼自身は小説の執筆の鍛錬などはさほどしなかったが、
「本だけは浴びるように読んできた」
と書いていて、じゃあ僕は? 読めない僕は? と自己嫌悪に陥った。また、自分よりも筆歴が浅かったり年齢がかなり下の小説家のデビューや活躍をスルーして己が道を力強く歩むことも、僕はできなかった。
かなり卑屈になっている自覚はある。
だが卑屈にもなってしまう心情は、ここまで書けばご理解いただけると思う。
"Why not me?"
なんで僕じゃないんだろう? と、ずっと思ってきた気がする。ずっと、とは、初めて公募に送った十七歳の時から、いわゆるアラフォーとかいう年齢に至る今この瞬間までだ。
しかし最近、
"Why the heck me?"
なんで俺なんかなんだろう? という疑問が浮かんでいる。
そう、ここまでの約2500字は実は前フリだったのだ、フッハッハ!
とにかく、この「脳内倉庫」と、犀川 よう様の「セメタリー」で、お互いの断片やネタについて、言及できたら面白いのではないか、お声掛けいただき、単純に良き刺激になるであろうと考え、「公開スパーリング(※俺的には「公開処刑」)」という形で、コラボというか何というか、「衆人環視の文通」が開始されたことは諸君もご存知だろう。
そして先ほど、犀川さまの以下の創作論を、今更ながら拝読した。
「ちょっと厳つい創作論」 犀川 よう様
https://kakuyomu.jp/works/16818023213716344413
白状する。
泣いた。
言っておくが、ビビったり自分を責めたり嬉し泣きしたわけではない。
ディティールは書かないが、そして犀川さまの意図とは異なるかもしれないが、どこか「赦された」ように感じたのだ。
そしてますます疑問が大きくなったのだ。
"Why the hell me?" なんなら、"Why the Fxxk me?" とすら小一時間(懐かしいネタだ)。
とか書いてたら2900文字って!!
ここまで読んでくれた皆さま、お疲れ様です(?)。身勝手な形になりましたが、単なる自分語りに見せかけた犀川さまへの「くえすちょん」、言わずもがな、
「何故、犀川さまは僕こと秋坂ゆえに声を掛けてくださったのか?」
に、お付き合いいただき、誠にありがとうございました。
犀川さまからの「あんさー」に関しましては、内容次第ですので公表できるか現段階では不明ですが、何かしら、ご報告できたらいいなと思っている次第です。
やべぇ、思い出し泣きしそうなので逃げます。どろん。
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