才能の有無 【Bメロ『2』】


「すみませんサインください」


 心のこもってない空っぽな声が後ろから木霊した。見るとつやのない髪の毛の青年が一人、伏し目がちな目でこちらを見ていた。

 ごめんね、ダメなんだよ。事務所的にNGで。そう言いかけて、マ・ショウは口を閉ざした。今は深夜の一時。男性であっても歩いていたら危ない時間帯だ。

 それについて問いただそうと口を開けた。その瞬間、首に針が突き刺さる。ブス――。


 注射液で後ろから刺され、マ・ショウは地面に倒れこんでしまう。麻酔剤のようだ。


「いつき君、足押さえつけて」

「は、はい」

「誰ですか。あんたら、警察呼びますよ!」


 無視。さっきの青年に足を押さえつけられ、ガムテープで括り付けられる。打ちあがった魚のヒレのように足をばたつかせるマ・ショウ。モてる姿は何処へやら。今の無様な姿をファンが見たらどう思うだろうか。


「陽キャ成分が抜けたね。君、結構キモイよ。今の姿」


 やせ細った男が顔を近づけて、キツイ口臭を口から放ってくる。キモイ奴からキモイといわれる屈辱。耐えられるものではない。イケメン顔に怒りの感情がペイントされる。


「警察呼ぶっつってんだろ!」

「どうやって?テレパシー使えたりできるの?それはすごい。お。め。で。と。う」


 わざわざ「お」と「め」の間で口を閉ざしたり開けたりするから、口臭がマシンガンのように直撃。


「くっ……」

「マ・ショウさん。あの歌は一体何なのですか?あんな歌でもないゴミカスを作るような人ではなかったはずです。一体、なん。なんで?」


 いつきから問いただされるが、マ・ショウ自身は何のことかわかっていない。ん? 何のことだ? そもそもそれを考えられるような状況ではない。


「いつき君、この人、分かっていないみたいだよ」

「ライブ一発目に披露した曲のことですよ。あれは何だと聞いているんです」

「ん? あれか? で、その曲がどうしたっていうんだよ。夢は必ず叶う。諦めなければ叶う。いい歌詞だろ」

「……は? 本気ですか?」

「努力すれば夢に近づく。現に俺がそうだ」

「は?あんたと同期の『インスタント・デザート』はメジャーデビューはおろか、ライブに足を運ぶ人数も多くて十人。まさかこの人たちが努力してないとでも言いたいのですか」

「……違う」

「じゃあ何ですか?『インスタントデザート』が売れない原因は? 才能以外の言葉で頼みます」


 いつきのつばが顔にかかる。マ・ショウは心の中でこいつは無敵の人だと思った。ネットでちらっと見た程度なので深くは知らない。とりあえず今は頭の辞書から適切な言葉を引き出さなければならない。


「マーケティング能力が少し、俺らより」

「それは才能っていうんですよ。検索したらわかると思いますが、「マーケティング」と調べるとサジェストに向いている人、向いていない人、と出てきます。どういうことかわかりますか?わかるだろ、歌詞書いてんだから!」


 いつきの語気が強くなる。いつきの汗がマ・ショウのズボンに滴り落ちる。


「ねえ、いつき君。こいつ手遅れだ。だめだ、終わってる。終わりすぎてる。才能が誰にでも配布されていると勘違いしている。ポケットティッシュか何かだと勘違いしている。だから少しでも僕らの苦悩を味あわせよう。あれをするのはそれからだ」


 ゾロ、ゾロ、ゾロ――。男の発言を皮切りに五、六人が雪崩のようにマ・ショウを囲んだ。


「な、なにを!」

「僕の涙をお前に嚥下させたい。飲み込ませたいんだあ!」


 男に顔をがっちりホールドされる。動けない。


「うえ、うええ、うえええん。僕は悲しい。お前みたいなのが、お前以外にもいるってことがあ!」


 ボトッボトッボトッ――。ヒアルロン酸がブレンドされた極上の一品が男の目から生成され、マ・ショウの唇の上に落ちる。


「口を開けろ。開けろよお!」


 男は悲しみに暮れていた。かなりガチで悲しんでいるようだ。マ・ショウはかたくなに口を開けようとしない。当たり前だ。口に入れたくないのだろう。


「嚥下だあ!嚥下マッサージだあ!」


 一般人には聞き慣れない言葉が男の口から放たれる。その瞬間、首の横を何度も擦られる。


「これから歯磨きですよ、腐りきった精神を涙で潤そうね」


 そして次は凍らしたスポンジでのどを刺激される。これは医療用行為で行われる嚥下反射訓練だ。男が元医療従事者だからできたこと。

 がば――。遂にマ・ショウの口が開かれ、男の涙が入っていく。でもまだ飲み込んではいない。唾液の分泌が促されるツボを押され、涙と唾液が混ざり合う。


「飲め!のめえ!のめえええ!」


 そしてようやく、マ・ショウの喉仏が上下に動く。飲み込んでしまったのだ。吐き出そうとするけれど、無慈悲に顎を押さえつけられる。男はにっこりと笑った。


「君のことは好きになれない。僕の一部分が入ったとしても……でも、前よりはいい」


 そしてそのままマ・ショウは大きな車に乗せられ、いつきは助手席に、男は運転席に腰を掛けた。いつきは目を見開いて、男のほうを見た。あまりに見てくるため、男は、フフ、と笑っ『以下略』


 * * *


 後日、『DEADSTORE』のボーカル、マ・ショウのシングル発売記念ライブが開かれた。しかしマ・ショウの歌唱力は人が変わったように著しく低下しており、人気が急激に低迷。同時にマーケティング能力も落ちた。


 しかし、かいのいつき。彼は約1か月で音楽の世界へと足を踏み入れた。


 


 

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